第3話 人質は私

 警備隊員としては頭の痛い話だが、この街の治安は、お世辞にも良いとは言えない。ヒューゴが警備隊総隊長になってからはある程度改善されつつあるものの、強盗や押し込みといった事件は日常茶飯事だ。

 しかし、自らが人質にとられるというのは、クリスにとって初めての経験だった。


「聞こえなかったのか。早く金を持ってこい!」


 クリスを背後から捕まえ、首元にナイフを突きつけながら、男が再度言い放つ。その視線の先には、店の奥から怒鳴り声を聞いてやってきた店主。それに、同じく声を聞いてやって来たヒューゴがいた。


「クリス!?」


 ヒューゴも、まさかの事態に驚いているのだろう。本当ならすぐに強盗を取り押さえたいところだが、クリスを人質にとっている以上、迂闊なことをするわけにはいかない。

 ぐっと、悔しそうに唇を噛む。


 悔しいのはクリスも同じだ。本来こういう輩を捕らえるべき警備隊員が人質になってしまうなんて、笑い話にもなりはしない。

 任務中ではなく、考え事をしていたとはいえ、いくらなんでも油断しすぎていた。


 だがクリスも、このまま大人しく捕まっている気はなかった。

 そっと、男の様子を伺う。


「どうした、早くしろ!」


 男は相変わらず怒鳴りちらしているが、その顔には緊張の色が濃く出ていて、ナイフを持つ手も、わずかに震えていた。

 一見粗暴な態度をとっているものの、おそらくこういう荒事には慣れていないのだろう。それならば、隙さえ見つければ逃れることができるかもしれない。

 ならば今は、余計な刺激を与えずチャンスを待とう。


 だがそんな風に考えていたその時、店主が震える声で言った。


「や、やめろ! ここにいるのは警備隊の

 総隊長で、人質にとっているのはそのお連れ様だ。何かあったらただじゃすまないぞ!」


 それを聞いたクリス、それにヒューゴも、今すぐ店主の口を閉じたくなった。


 店主は、こう言うことで強盗が恐れをなすのを期待していたのかもしれないが、それはとんでもない悪手になりかねない。

 そして、その予想は見事当たってしまった。


「な……な……なんだって!?」


 人質がいる場合、犯人を迂闊に刺激してはならない。警備隊員としては常識だが、その基準で言えば明らかにまずい状態だ。


 男は明らかに動揺し、手の震えが激しくなっま。その結果、持っているナイフはクリスの首元に当たったり離れたりを繰り返している。


(ちょっと。痛い痛い!)


 警備隊員だって普通の人間だ。ナイフで切られてら当然ケガをするし、場合によっては死んでしまう。普段命がけで任務にあたってはいるが、だからといってみすみす死ぬのなんてごめんだ。


「待て、彼女に危害を加えるな。解放してくれるなら、悪いようにはしない」


 ヒューゴが男をなだめようとするが、一度こうなってしまうと、そう簡単にはいかなかった。


「うるせえ! 今すぐここから出ていけ! いや、そんなことしたら応援を呼ばれるか。やっぱりここにいろ──いや、でも……」


 男も、どうすればいいのかわからず混乱しているようだ。

 何しろ目の前にいるのは警備隊総隊長で、人質にとっているのはその連れだ。これでパニックになるなという方が無茶だ。


 せめてもの救いがあるなら、人質であるクリスもまた警備隊員であると、知られていないことだろう。

 もしもそれがバレたら、いよいよ何をしでかすかわからない。


 そんなことを思っている間にも、男はなおも、ヒューゴの扱いに困っていた。


「やっぱりこいつを外に出すのは危険か。だが近くにいたら何されるかわらなねーし、手足を縛って自由を奪うか。いや、相手は総隊長だ。縄くらい簡単に引きちぎるかもしれん」


 いくらヒューゴでもそれは無茶だ。

 だが、もしもクリスが人質にとられてさえいなければ、こんな男一人取り押さえるくらいなら、難なくできていただろう。


(私がヘマなんてしなければ……)


 改めて、自らの失態を後悔する。これは、多少の危険を犯してでも動くべきなのかもしれない。

 だがそう思ったところで、ヒューゴが再び口を開く。


「クリス、無茶な考えを起こすんじゃないぞ。必ず助けてやる」


 まるで心を読まれたかのような言葉に、息を飲む。それと同時に、少しだけ冷静にもなれた。


 警備隊員として命をかけるのと、命を粗末にするのは違う。隊員達が危険な任務にあたる際、ヒューゴは常にそう言っていた。

 それは、今のクリスにも言えることだ。

 了解の意を込め、こくりと頷く。


 しかしその直後、ヒューゴは強盗に向け、思いもよらないことを言い放った。


「おい。お前にとって、そこまで俺は邪魔か?」

「当たり前だ! だから、どうればいいか考えているんだろうが!」

「ならば話は簡単だろう。その手にしたナイフで、俺を刺せばいい」


 その瞬間、まるで時が止まったように、その場にいる誰もが絶句する。

 そして一瞬の間を置いて、男が訳がわからないというように叫びだす。


「お前、何言ってんだ。ふざけてるのか!」


 混乱しているのはクリスも同じだ。いったいヒューゴは、何を思ってそんなことを言いだしたのか。しかし当の本人は、真面目な顔で言葉を続けた。


「俺が邪魔で、外に出すのも中にいたままにするのも厄介なんだろ。だったら、そのナイフで刺して自由を奪うか、命をとればいい。そうすれば驚異にはなるまい。お前が人質をとっている限り、俺は一切手出しは」

「バカか! そんなもん信用できるか!」


 男でなくても、ヒューゴの言ってることは、とても正気とは思えなかった。

 あまりにもな発言にクリスも驚愕するが、当の本人は至って真面目な様子だ。


「もちろん、何も無しにこんな提案はせん。俺が大人しく命を差し出せば、彼女を解放してほしい。その人は、俺にとって一番大切な人だからな。命をかけるには、十分な理由だ」

「…………本気か?」


 少しは興味を引かれたのか、クリスを掴む男の手に、ぐっと力が入るのがわかった。


 だがクリスにしてみれば、そんなもの到底受け入れられるわけがない。

 一番大切な人なんて言葉、こんな状況で聞きたくなんてなかった。


「なに言ってるんですか。そんなのダメに決まってるでしょ!」

「うるせえ! お前は静かにしてろ!」


 叫ぶクリスだが、男によってあっさりと黙らせられる。

 それから男は、改めてヒューゴに問い質す。


「おい。今の言葉、本当だろうな」

「ああ、本当だ。彼女の無事を保証するなら、俺の命をくれてやろう」

「少しでも妙なことをしやがったら、この女の命はないぞ」

「わかっている。だから、どうか彼女を離してやってくれ」


 男は少しの間何も言わずに、じっと押し黙る。ヒューゴの提案に乗るべきかどうか、考えているのだろう。


 クリスとしては、そんなもの絶対に乗ってほしくない。

 例えそれで自分が助かったとしても、引き換えにヒューゴが死んでしまうなんて、そんなことあっていいはずがない。

 そもそも男が約束を守るという保証もないのだ。そんなことヒューゴだってわかっているだろうに、どうしてこんな無謀な取り引きを持ちかけているのか。


(隊長、いったい何を考えるの? 強盗、お願いだから断って!)


 しかし、そんなクリスの思いが届くことはなかった。


「よ、よし。わかった。お前が大人しく始末されれば、その後でこの女は離してやる」


 だんだんと、恐れていた事態が現実になってくる。何もできない自分の無力さに歯痒くなる。

 せめて、首元に当てられているナイフが、少しでも他に逸れてくれればいいのに。そうすれば、その隙をついて脱出できるというのに。


 そう思っている間に、男はヒューゴに命じていく。


「手を頭の後ろで組んで、一切動くな。もし動いたら、わかっているな」

「ああ。一思いにやってくれ」


 言われた通り、一切の動きを止めるヒューゴ。自ら両手を封じたその姿は、完全に無防備だ。


 とはいえ男も、未だ半信半疑なのだろう。何かしでかすのではないかと慎重に様子を伺いながら、決して迂闊に近づこうとはしない。

 そして、ひと突きで始末できるよう、ヒューゴの心臓に向けて、ゆっくりとナイフを構え直す。


 ヒューゴの心臓に向けて、ゆっくりとナイフを構え直す。


(あれ? これって……)


 そこで、クリスはようやく、ヒューゴの狙いに気づいた。


「クリス、今だ!」


 場の空気を震わせるように、ヒューゴの声が飛ぶ。だが例え何も言わなかったとしても、クリスは同じことをしていただろう。


「やぁっ!」


 ヒューゴの声が耳から消える間も無く、今度はクリスが叫ぶと、男の鳩尾に思いきりひじ打ちをお見舞いした。


「がぁっ!」


 男は避けるどころか綠に反応もできないままそれを受けると、鈍い声をあげ、大きくよろめく。


 さっき前までのように、首にナイフを当てられた状態では、いくらなんでもここまで大胆なことはできなかっただろう。

 だが今は、ナイフの先ばかりか男の注意そのものがヒューゴただ一人に向けられていて、隙をつくのも簡単にできた。

 ヒューゴがあのような突飛なことを言い出したのも、全てはこのための作戦だったのだ。


「くそっ──てめえ!」


 男は打たれた腹を押さえながら、怒りの形相でクリスを睨みつける。その手には未だナイフが握られていてどうやらまだ観念する気はないようだ。


 もっとしっかり倒さなくては。

 一度男から離れ、改めて身構える。だがその時、クリスのすぐ横をヒューゴが駆け抜けていった。


「よくやったな。あとは任せろ」


 そして次の瞬間には、あっという間に男を地面に押さえ込む。


 男はジタバタと手足を動かすが、無駄だった。まるで貼り付けられたように地面から離れることができない。ましてや逃れることなど、到底不可能だ。


「くそっ、騙しやがったな!」

「悪いな。人質が自力で脱出した以上、さっきの約束は無効だ」


 警備隊総隊長の目の前で、警備隊員を人質にするという稀有な強盗劇は、こうして幕を閉じた。

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