第2話 沸き上がる不満
実を言うと、クリス自身はけっこう楽しくもあった。
エンパイアラインだのパゴダスリーブだの言われてもなんのことだかわからないし、試着した中には明らかに似合わないものもあったが、普段着れないようなドレスを色々着まわしするのはワクワクする。
店主も、その一つ一つにきちんと解説し、良し悪しを教えてくれた。
クリスと店主の二人だけなら、何の問題もなかったかもしれない。だがここにはあと一人、ヒューゴがいる。
そのヒューゴが問題だった。
「えっと、ヒューゴさんはどう思います?」
クリスが今着ているのは、スレンダーラインのドレスだ。縦に長い間シルエットが細身な体と合っているだけでなく、比較的動きやすいのも、クリスにとっては好印象だった。
ならば、ヒューゴはどうだろう。見せつけるように、くるりと一回転しながら感想を求める。
しかし、それに対する彼の返事はこれだ。
「……うむ」
いや、はたしてこれを返事の括りに入れていいのだろうか。ただの相槌であり、そこに込められた感情の良し悪しなんてまるでわからない。いったい何がどう、『うむ』なのだろう。
これが、たまたま似合っていないものへの反応だったり、これまでにたくさん褒めすぎて言葉のレパートリーがなくなったりしたというならまだわかる。
しかしヒューゴは最初から、何を着ても、『ああ』とか『そうだな』とかしか言っていない。
これには、さすがにクリスも不満げだ。
(少しくらい、褒めてくれたっていいじゃないですか)
自分が特別美人などとは思っていないし、そもそもヒューゴにそういうのを求めるのは難しい気もする。
しかし、仮にも求婚した相手がこうして着飾っているのだ。少しくらいは気の効いたことを言ってくれるのではという期待もあった。
もしや、求婚こそしたものの、外見については心底どうでもいいと思っているのか。それなら、わざわざこうして今日ここに連れてきた意味はあるのか。
考えていくうちに、不満はだんだんと怒りへと変わっていく。
それを敏感に感じとったのが店主だ。
仕事柄、今まで幾多の男女を見てきた彼の勘が告げていた。
これは、まずい。
「つ、次をお持ちしますね」
冷や汗をかきながら、そそくさと新たなドレスを取りに行く。こういうのは、下手に割って入らないのが一番だ。
一方ヒューゴは、そんなクリスの変化にちゃんと気づいたかどうかはわからない。
ただ、様子が変わってきたというのは察したのだろう。
「クリス、疲れたか?」
ええ。主にあなたのせいで。
そんな言葉をグッと飲み込んで、近くにあった椅子に座る。
「そうですね。私は休んでおきますから、その間ヒューゴさんは、私に合うと思うドレスを探してきてもらえますか?」
せめてそれくらいはやってほしい。少々棘のある口調で言ってしまったが、またもヒューゴは小さく頷くと、そのまま店内を見て回る。
本当に、合いそうなものを選んでくれるだろうか。そしてそれを着たら、少しは何か言ってくれるだろうか。
重ねて思うが、ヒューゴにそういう誉め言葉を強く求めているわけではない。異様なまでの女嫌いである彼に、過度な期待をかける方が無茶というものだ。
だが、例え綺麗や可愛いなんて言ってもらえなくても、せめて、せめて一言、似合っているくらいは言ってもらえるのでは。そのくらいの期待はしてもいいのではと思っていた。
なのに、実際はこれだ。
そもそも、ヒューゴには女性の美醜などという感覚があるのだろうか。
そういえば求婚された時だって、内面的な部分を褒められはしたが、容姿については何も言われていなかった気がする。
「まあ、私は別に美人じゃないし、顔がいいから好きになったって言われても、それはそれで複雑だけど……」
溢れてくるモヤモヤを吐き出すように、俯きながらブツブツ呟いていると、ふと、誰かが側に寄って来たことに気づく。
ヒューゴが戻って来たのかと思い顔を上げると、そこにいたのは見知らぬ男性だった。
一見すると、このような高級店に来る者らしく高そうな衣服に身を包んでいるが、その表情にはどこか緊張感が漂っていて、どうにもちぐはぐな印象が否めない。
「あの、何かご用でしょうか?」
不思議に思って尋ねたその時だった。
男がポケットから何かを取り出し、クリスの首元に近づけてきた。
一瞬遅れて、それがナイフだと気づく。
「なっ──!?」
「大人しくしろ」
思わず声が漏れるが、被せるように放たれた男の言葉によって掻き消される。
それから男は、さらに大きな声で言い放った。
「おい、店主はいるか! この客を殺されたくなかったら、金を持ってこい!」
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