第44話 猪狩り
居酒屋で知り合った年配の男性から聞いた話です。
この方を仮に久保さんと呼びます。
昭和初期の頃。
久保さんは山の麓の農村で暮らしていた。
ときどき猪や猿が現れて畑を荒らす。
久保さんは猟銃を扱う資格を持っていた。
大日本獵友會(当時の猟友会の名称)に属しており、定期的に仲間と狩りに出かけた。
ある蒸し暑い夏の日。
隣の農家が久保さんの家に来た。猪に畑を荒らされたという。
今年に入ってから猪の被害が続いている。
そうなると大日本獵友會も黙っている訳にはいかない。
久保さんは仲間5人と一緒に猪狩りをおこなうことにした。
だが山に入ってすぐに天気が悪くなった。空が暗くなり雨が降り出した。
雨がふると猪は隠れてしまう。
今日はあきらめて帰ろうと話していたとき。
「おい。みつけたぞ」
先頭にいた人が叫んだ。
仮にこの人を池田さんと呼ぶ。
久保さんも彼の指差す方向を見る。
そこは鬱蒼と茂る竹やぶだった。
左側が崖になっており、すぐ下を川が流れている。
枯れた笹の葉を厚く敷き詰めた場所に、腹の大きな猪が倒れていた。
「撃ったのか?」
久保さんがたずねる。
池田さんは「撃った」と答えた。
「よくやった」と仲間たちが賞賛する。
撃たれた猪は身ごもっていた。
猪は一度の出産で4頭ほど子を産む。
死んで筋肉がゆるんだか、母猪の死骸は子を1匹産んでいた。
胎盤と赤い液体にまみれた猪の赤子。
それは奇形児だった。
その赤子には毛が無かった。のっぺりして白っぽい。しかも足がグニャグニャだ。
先天性の病気で骨が無いようだ。
そして、その赤子の顔は猪にしては平らである。
鼻がつぶれており、両目が正面についている。
それはなんとなく、人間の赤子のような顔をしていた。
死んでいるのか微動だにしない。
久保さんも仲間たちも、全員がそれを見て固まっていた。
しかし大日本獵友會の掟で、証拠の死骸を持ち帰らねばならない。
しかたなく池田さんと仲間2人で母猪の死骸を持ち上げる。
へその緒が繋がっており、赤子の死骸が引きずられる。
「遠藤、小林、気持ち悪いから、へその緒を切って、そいつを川に投げ捨てろ」
たまらず久保さんが言った。
「池田さん、鉈を貸してください」
小林さんに頼まれ、池田さんが腰にぶらさげていた鉈を渡す。
そのときである。
「えんどう…、こばやし…、いけだ…」
突然、猪の赤子がしゃべった。
白目を剥いたまま、口だけがパクパク動いている。
まるでテープを早送りしているような奇妙な高い声だった。
そいつが再び言った。
「えんどう…、こばや……」
ザシュッ!
言い終わる前に、鉈でへその緒を切る。
小林さんだった。
彼はへその猪を断ち切り、赤子をガシッと掴んだ。
それをおもいっきり崖下の川に放り投げた。
その話を聞いたとき、私は息を呑んだ。
「それから、彼らはどうなったんですか?」
私は恐る恐るたずねた。
久保さんはグラスを持ち上げて、中に入っている酒をじっと見つめていた。
「遠藤、小林、池田、3人とも、その日の晩に自殺した。
山を下りているあいだ、3人はずっと両耳をふさいで、気がおかしくなったように『俺の名前を呼ぶなぁ!』とわめいていたよ……」
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