第30話 「くるくる」のお呪い
同窓会で久しぶりに中学生時代の友人に会いました。
その友人(女性)から聞いた話。
その友人の女性を仮にけい子さんと呼びます。
私はけい子さんと、ときどき話す機会があります。
いつもなら旦那や息子の話に華を咲かせるのですが、最近は妙に口数が少ないのです。それが気がかりでした。
それで「なにか悩みがあるのですか?」とたずねたところ、このような話を聞きました。
けい子さんには6歳になる息子がいます。
この息子を仮によしお君と呼びます。
よしお君は自閉症ではないのですが、多少発達障害がありました。
友達と遊ぶより、ひとりで遊ぶことが多く、また同じ行動を繰り返すことが多かったのでした。
それでもけい子さんは、息子を温かく見守っていました。
よしお君は、いえ、この年齢の子供にはよくありがちなのですが、自分ルールの遊びをよくやります。
1分間に何回ジャンプできるかとか、道路の白線だけを通って家に帰るとか、みなさんも子供の頃はそういう遊びを一度はやったと思います。
さて。
よしお君も、そういう自分ルールの遊びをよくやってました。
それがテーブルや椅子のまわりを『くるくる回る遊び』でした。
けい子さんには何が楽しいのか分かりませんでしたが、息子のよしお君が、それはもう一生懸命にくるくる回っているから、なんだか微笑ましくなるのでした。
よしお君が楽しそうだからいいか、と。
それに中学生になれば、性格も落ち着いて、そういう遊びはしなくなるだろうと楽観的に考えてました。
しかし年齢が上がっても「くるくる回る遊び」はいっこうにやみませんでした。
息子のよしお君は執拗にテーブルやけい子さんの周りをクルクル回るのです。
まるで見えない糸を巻き付けるかのように。
私の教育が悪かったのかな。
そう思って、けい子さんは自分を責めるときもありました。
それに。
お父さんは出張でよく家をあけます。
もしかしたら父親がいない寂しさをまぎらわせるために、そういう変な遊びをやっているのかもしれない。
けい子さんは、そんなふうに息子のことを思っていました。
そしてある夜のこと。
けい子さんは息子と一緒に同じ寝室で畳に布団を二枚敷いて寝るのですが、その日はなんだか疲れてしまい、けい子さんも息子と一緒に早く寝ることにしました。
よしお君と一緒に夜の九時には、布団にもぐって寝てしまいました。
どれほど時間が経ったでしょうか。
ふと枕もとでトントンと足音がするので、けい子さんは目を覚ましました。あたりは真っ暗。時計を見れば夜中の0時。
そして誰かが布団のまわりを回っている。
けい子さんが驚いて起き上がると、息子のよしお君が、自分の寝ている布団の周りをくるくる回っているではありませんか。
「もう夜だから寝なきゃダメでしょ。遊ぶのは明日の朝にしなさい」
けい子さんが息子に優しくさとします。
「うん」
息子のよしお君は蚊のような小さな声で返事をします。
しかしくるくる回るのを止めようとしません。
「ほら! 布団に入りなさい!」
「うん」
けい子さんは、息子にちょっと強く言いました。
息子のよしお君は小さな声で返事するのですが、その行為をやめようとしません。
とうとうけい子さんは起き上がり、息子の肩をつかんで止めようとしました。
「ママの言う事が分かる?」
「おねがいママ、とめないで……」
見ると息子のよしお君は泣きそうな顔をしています。
ひどく怯えているのです。
とにかく息子を落ち着かせて布団に寝かせました。そしてけい子さんも布団に入ってから、息子のよしお君に優しくたずねました。
「さっきはどうして布団の周りをグルグル回っていたの? 眠れないから遊んでたの?」
息子は返事しません。
「布団のまわりに虫がいたから驚いて、クルクル回っていたの?」
息子のよしお君には発達障害があります。もしかしたら布団のそばに蜘蛛がいて、驚いてクルクル回っていたのではないか。
前にもそういうことがあったので、今回もそうだろうとけい子さんは思いました。
すると。
それまで黙っていた息子のよしお君が……。
「おまじない」
「えっ?」
「くるくるの……おまじない……」
息子のよしお君は泣きそうな声でそう答えました。
「おまじないって何?」
息子のよしお君は尋常じゃないほどの怯えています。
けい子さんはすこし不安になりました。
おまじないとは何かたずねたのです。
「えっとね、お父さんがいない日は、いつも真夜中になると目が覚めるの。それでね、体を起こそうとするんだけど、手足が動かないの。ママに助けてっていうんだけど、口が動かない。それにいつもママはその時間になるとぐったり眠ってぜんぜん起きないの……」
「だからママを起こそうとして、布団の周りをクルクル回っていたの?」
「ううん、ちがうの」
息子が首を横に振ります。
それからよしお君は、長いこと沈黙してましたが、ついに観念したように、小さな声でこう言いました。
「足元になにかいるの。大きな熊さんがいるの。お父さんがいない日は、いつも、夜になると熊がやってくるよ」
「家の中に熊がいるの?」
「ううん、分かんない、暗くてよく見えない。でも熊さんみたいに大きな影が家の中にいるの」
「その熊さんを追い払うために布団の周りをくるくる回っていたの?」
「ううん、ちがうの」
「じゃあどうして?」
「えっとね、その熊さんがね、僕の足首に糸をまくの。糸をむすびつけてくるの。するとね、窓の方に引っ張られていくの。窓の外に熊さんの仲間がいて、窓の方まで引っ張られていくと、僕は連れて行かれちゃうの。だから僕は、足首の糸を、ママの体にまきつけていたの。そうすれば、ママと離れないですむから」
「えっ!?」
「昼間もだよ。ママのいないところで、あの熊さんがやってくるの。僕の体に糸をまきつけて、外に引っ張って連れて行こうとするの。だからいつも、テーブルや、ママの、まわりを回っていたの。糸をまきつけて、外に引っ張られないようにするために……」
「そんなこと……」
息子の言うあまりにも突拍子のない話。
けい子さんはしばし頭が呆然となりました。
もちろん。
家の中に熊がいるわけがありません。
熊のような大きな影がいるというのは不気味ですが、あたりを見渡しても、そんなものはどこにもいません。
とうぜん窓の外にもいません。
ただ窓の外には、暗い夜道が映っているだけ。
きっと息子は怖い夢でも見たのだろう。
そう思ってけい子さんは息子を自分の布団に入れて寝かせてやることにしました。
息子のよしお君は安心してすぐに寝てしまいました。
疲れていたせいか、けい子さんもすぐ寝てしまいました。
しばらくして。
息子を抱きしめていた手に違和感をおぼえました。
手が誰かに引っ張られている。
おかしい。
いや、ちがう。
抱きしめているはずの息子が、布団の外にむかって引きずられているのだ。
だから息子を抱きしめている自分の手も引っ張られているのだ。
けい子さんはハッと目を覚めました。
しかしどういうわけか体が動きません。まるで金縛りにあったように。
かろうじて動く目で枕もとの時計を見ました。
午前1時ころです。部屋の中はしんと静まり返り、真っ暗です。
けい子さんの耳に、かすかに糸の張り詰める音がしました。
ぴいいん。ぴいん。
その音にあわせて、息子が布団の外に、外に、と引きずられていくのです。
「だめ!」
けい子さんの体は動きませんでしたが。
さいわいにも、けい子さんは息子を抱きしめる恰好で寝ていたので、そのまま息子を抱きしめる手に力を入れました。
ぴいいん。
ぴいいいん。
糸の張り詰める音が、かすかにします。
それにともなって、ものすごい力で、息子のよしお君が引きずられていきます。なのに息子はまったく目を覚ましません。
けい子さんはなんとか息子を起こそうとして叫びました。しかし声が出ません。
ぴいいん。
ぴいいいいん。
さらに糸の張り詰める音がします。
ものすごい力で、息子が引っ張られていきます。
それでもけい子さんは必死に息子の腕を掴みました。
よしお君の下半身はすでに布団を抜け出して、つま先が窓の近くまで引きずられていました。
ぴいいん。
さらにすごい力で引っ張られます。
けい子さんが手を放しそうになった、そのとき──。
プチン。
糸の切れる音がしました。
同時にけい子さんの体は自由になりました。
けい子さんはすぐに息子を抱きしめました。息子のよしお君はすすり泣いていました。けい子さんも何も言わず、ただ黙って息子を抱きしめていました。
次の日から、けい子さんとよしお君はリビングルームで寝ることにしました。
寝室には鍵をかけて入らないようにしました。
しかしそれから寝室で何か起こることはありませんでした。なにも起きない平和な日々が過ぎていきました。
それからというもの……
息子のよしお君はあまり『くるくる回る遊び』をしなくなりました。
発達障害も和らいでいき、今では友達ができて自然に外で遊ぶようになりました。
もう変なことは起こらなくなりました。
しかし今でもけい子さんは布団に入る時には、かならず息子の手をつかむそうです。
自閉症の子供がときどき変な行動をするのは、そうしなくちゃいけない理由があるから。
けい子さんの話を聞いたとき、私はなんとなく、そんなことを思い浮かべました。
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