第27話 もんばの墓


 これはゴミ屋敷の清掃などを請け負う個人経営者Fさんの話。



 Fさんはとある団地のマンションの一部屋の清掃を大手清掃会社Dから、ある部屋がゴミ屋敷にやってるので清掃してくれと依頼された。

 その部屋の住人はかなり偏屈な老婆で、部屋の中にゴミをため込んでいるという。

 本来ならこのマンションの清掃管理は大手清掃会社Dが請け負っている。

 だがその部屋の住人とトラブルを抱えてるらしい。そのため個人経営のFさんにこの依頼がまわってきた。

 その大手清掃会社の担当者のTさんはFさんにこう言った。


「あなたは知らないから言うけど、依頼したゴミ屋敷の老婆はかなりやばいよ。対応に注意してね」


 やれやれ。

 そんなにやばいのか。Fさんは改めて気を引き締めた。

 電話で依頼されたマンションにやってくる。築10年だろうか。四階建てで外見はいたって綺麗だ。階段で一階から三階までのぼってみたが、どこの階も外廊下は綺麗で、住民たちもみんな親切に挨拶してくれる。

 しかし四階に行くと雰囲気がガラッと変わった。天井の蛍光灯が壊れており、昼でも薄暗い。水道管にヒビでも入っているのか、天井から水が滴り落ちてる所もある。そして何よりも床には、黒い土がたくさんこぼれ落ちており、悲惨な状況だった。この階は空き室だらけで人が住んでない。扉の郵便受けが空だし、外の電気メーターもまわっていない。静かで不気味な外廊下をしばらく歩いた。


 405号室。

 そこが依頼されたゴミ屋敷だ。

 さっそくFさんは呼び鈴を鳴らした。

 五十代後半の男性が扉から顔をだした。小太りで白いタンクトップを着て、とび職のズボンをはいてる。坊主頭には白いタオルを巻いていた。男はあきらかに不機嫌な顔をしており、「何の用?」と不愛想に言った。


「すみません。電話で依頼された掃除の者です」


「おう。入れ」


 その男性があごをくいっと引いて中に入れと促す。Fさんが玄関で靴を脱ごうとすると「そのままでいいよ。中も汚れてるから」と言われた。それから男性は廊下の奥にむかって怒鳴った。


「おーい。清掃会社の人が来たぞー」


 すると廊下の奥から『ぎいいいやああああああ』というけたたましい女の金切り声がした。何かが床をバタバタと音をたて走りまわる。それからガサガサとふすまを開け閉めする音がきこえた。それからしんと静まり返る。


 Fさんは何事かとぎょっとした。

 男性は頭に巻いてた白タオルをとり、大きなため息をつきながら顔をごしごし拭いた。

 それから苦笑いして言った。


「わりいな兄ちゃん。あれはうちの母なんだが、年取って認知症になっちまってな。毎日あんなふうに叫びながら走り回ってんだ。気にしないでくれよ。どうせ掃除中は押入れに閉じこもって大人しくしてるだろうから」


 ああ、なるほど。

 年取った子供が親の介護をする、昨今話題の老々介護というやつか。

 そうおもって部屋にあがるとすえた異臭がした。なにやら廊下が泥だらけ。その先の台所の泥やら土にまみれている。

 あきらかに外廊下の汚れはこの住人が原因だな。男性は『散らかってるから気を付けて』と笑う。しかしあきらかにこれは散らかっているというレベルじゃない。土まみれの廊下と台所を通り抜け、奥のリビングにむかう。ドアを開けるとリビングの中まで酷いありさまだった。

 どこもかしこも泥まみれ。黒い土がまき散らされている。

 Fさんはこれまで多くのゴミ屋敷を見てきた。しかしこんなふうに泥まみれ、土まみれの部屋を見たのは初めてだ。リビングには大きなプラスチックの白い衣装ケースが4、5個並んで置いてあって、そのなかにこんもりと黒い土が盛られている。

 その土は変な異臭がした。

 男性は押入れのふすまを足で思いっきり蹴りながら。


「また床をこんなに汚して! いつも押入れに隠れてるくせに、俺がいなくなると外に出て大量の土を持ち帰って来るんだから。もう勘弁しろよ!」


 と怒鳴っている。


「片付けますよ。とりあえず土はどうしますか?」


 Fさんがたずねる。

 男性が窓の外を指差した。


「ありがとうな。ほら、そこから河川敷が見えるだろ。どうやらうちの母はあそこから土を持ってくるらしいんだ。悪いけどよ兄ちゃん、この土を全部、そこの河川敷に運んで捨てて来てくれねえか」


「はい」


 たしかに窓の外に河川敷がみえる。

 とりあえず衣装ケースを一つかついだ。

 土がまんべんなく盛られており、ずっしりと重い。

 エレベーターで降りて河川敷にむかう。

 どこの土だろうかと辺りを見渡す。大きな橋の下に穴だらけの場所があった。

「あそこだな」そう思って近づいた。そこだけ雑草が生えておらず、黒い土があらわになっている。そしてとなりに細長い石碑のようなものが立っている。Fさんはその石碑の文を見た。


『ここは犬塚と呼ばれています。昭和中期に保健所で処分された大量の犬が骨が、ここで見つかりました。供養のためにこの石碑を建てています』


 Fさんは背筋がぞくっとした。

 なんでこんな場所の土を持ってくるんだろうなと疑問におもった。それでも部屋の土を片付けなくてはならない。往復して3時間が経ち、陽も暮れたころにようやくリビングの土は片付いた。


「すまねえが風呂場にも土があるんだ。それも片付けてくれ」


 男性がそう言った。男性はずっと押入れの前に立って母を見張っている。

 押入れの中ですすり泣く女性の声がする。ときどき襖をどんどん叩いているが、男性が襖を蹴ると大人しくなった。


 Fさんは脱衣所に行った。

 たしかにそこも泥まみれ土まみれであった。

 浴室のドアを開けたとき、Fさんはぎょっとした。

 バスタブがいっぱいになるまで大量の黒い土が盛られている。しかもその上に何十本ものお線香が土にさして立っている。焚かれており、煙がもくもくたちこめている。


 しかし驚いたのはそこじゃない。

 浴室の壁に30センチ四方のダンボール箱がガムテープで貼ってあった。

 ダンボール箱にはそれぞれ一文字ずつマジックペンで文字が書かれている。


【も】

【ん】

【ば】

【の】

【墓】


 気が付くと男性が背後に立っていた。

 ダンボール箱を見ながらため息を吐く。


「困るよ。そんなものまで貼ってあるんだから。わるいけど土を片付けたら、そのダンボール箱も処分してくれよ」


「はい」


 Fさんは短くそう答えた。内心では気味悪くて早く帰りたかった。

 何度も河川敷に往復して土を捨てた。重労働だ。

 気がつけばもう日が沈んでいる。あたりは真っ暗だ。おかしいことにこのマンションには夜になっても誰とも会わない。不気味だった。

 それでもFさんは頑張った。土をすべて捨てて床を綺麗に清掃した。

 最後にあの浴室のダンボール箱を袋に詰めてた。回収した数個のゴミ袋を外のハイエースにのせる。思ったよりゴミが少ないので車内はガラガラだ。それで最後に男性に挨拶をしようと思い、またあの部屋にもどってきた。

 呼び鈴を鳴らす。応答がない。


「すみません。清掃が終わりました」


 返事がない。鍵はあいていた。玄関の扉をあける。廊下は真っ暗だ。おかしい。20分前に出たときは明かりがついていたのに。不審に思いながら部屋にあがる。

 台所も真っ暗だ。リビングも真っ暗だ。あの男性はどこにもいなかった。いよいよ不審に思い、Fさんは押入れのふすまを開けた。


「あれ? どこ行ったんだ?」


 そこには誰もいない。

 まるで最初から誰もいなかったかのように、部屋の中は静まり返っていた。

 Fさんはあの【もんばの墓】と貼られていた浴室にむかった。

 そこもとうぜん真っ暗だった。しかしよく見ると、真っ暗な浴室の中から、なにやら荒い鼻息が聞こえる。


「えっ?」


 よくみるとバスタブの中に真っ黒い不定形のブヨブヨな塊がある。Fさんが『なんだこれ』と覗き込むと、その不定形の塊は大きく膨らんだ。黄色い双眸があって、鋭い犬のような牙がはえていた。Fさんは情けない悲鳴をあげて浴室から飛び出した。あの黒い塊が追いかけて浴室から出てきた。

 またFさんは悲鳴をあげてマンションの階段を駆け下りた。

 ハイエースに乗り込み、近くの賑わっているファミレスの駐車場にとめた。それから落ち着いたFさんは大手清掃会社Dの担当者Tさんに電話した。


「依頼された部屋の息子と母親がいなくて。浴室に変なものがいるから逃げてきたんだ」


「はい?」


「だから依頼の部屋の息子と母親がいなくなって……!」


「あの部屋の住人、独身女性で息子なんかいないよ」


「えっ?」


「幽霊でも見たんじゃないの?」


「いやでもほんとうに。普通の人だったんですよ。絶対に息子がいますよ」


「大家に確認してもあの人は独身で独り住まいだって。今まで誰も男の人なんか見てないよ」


「そんな……」


 ぞくっとした。

 息子じゃないならあの男性は何者だ?

 まさか本当にあの男性は幽霊なのか。だから住人の老婆は、あの男性をみて、あんなにもおびえていたのか。

 もう何が何だか分からなくなり、Fさんは気分が悪くなって吐きまくった。Fさんの話を聞いて担当者Tさんがやってきた。一緒にあの部屋をみたが、もう黒い塊はどこにもいなかった。それどころか住人の女性も消えていた。あの男性も。

 TさんとFさんは警察に通報したが、いまだに女性は見つかってない。


 Fさんは会社にもどったあと、あのダンボール箱をもう一度見た。

【も】の部分に違和感がる。よくみると文字が薄れており、しかも上から縦線2本ひかれている。だから【も】に見えたんだ。

 よくみるとそれは【も】ではなく【犬】だった。


【犬】

【ん】

【ば】

【の】

【墓】


 だからである。

 そしておそらくこれは逆さまに貼られていたのだろう。

 だから正確には……。


【ば】

【ん】

【犬】

【の】

【墓】


 だったと思う。


 番犬の墓?

 そこでFさんは思った。

 なぜあの部屋の住人が必死になって犬塚の土を集めていたのか?

 もしかしたら、あのとき浴室で見たのは犬塚で死んだ犬の怨霊だったのかもしれない。あのマンションの四階にあらわれる犬の怨霊を封印するために、あの女性は犬塚の土をバスタブにためていたのだろうか?

 今となってはもう何も分からない。

 でもそのとき確かに耳もとで、あの男性の「うひひひひひっ」と笑う声を聞いた。

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