第25話 マグロ漁船


 これは漁師をやっている友達の伯父が、同じ漁師仲間から聞いたという話。


 その仲間の漁師を仮にAさんと呼ぶ。

 Aさんの父親は太平洋側のある港で網元あみもとをしている。網元とはたくさんの漁船を所有している漁業営業者のことだ。雇用した漁師に船を貸し、漁を指揮するのが仕事だ。なのでAさんの父親は実際には漁に出ない。

 父親は堅実な性格で、漁師達からの信頼が厚い。しかしその反面、きびしい性格で、些細なミスでもすぐに部下に罵声をあびせる。まあ、そういう性格だから、雇われた漁師達も怒鳴られないように一生懸命やっていた。

 Aさんは網元をやっている父の姿をみて海の仕事にあこがれていた。高校卒業後は漁師をめざした。

 マグロ漁船に乗せてもらい、初めの一年は見習いとしてこきつかわれた。船で沖に出ているあいだは休みなし。寝る時間も惜しんで漁にいそしんだ。

 先輩にいびられながら仕事を学んで、一年経った頃にはそれなりに網や機械も上手に扱えるようになった。


 そんなある日。

 いつものようにAさんがマグロ漁船に乗ると。

 そこには新人漁師がいた。

 短い金髪に痩せた体。ちょっと筋肉質で、いかにも町のチンピラという感じ。でも体中に青あざがあって妙におびえている。


 Aさんが父親に聞くと。

「お前と同じく漁師にあこがれてるんだ。厳しく教育してやれ」と言う。

 そうかと納得して、沖にでるとマグロ漁のやり方を教えた。


 そのチンピラ風の男は年下のAさんに対しても「はい、はい」とやたら丁寧に返事する。悪い気はしないんだけど、なんだか気持ち悪い。


 しかしその日は延縄はえなわを投げてもぜんぜんマグロが釣れない。

 だからポイントを変えようということになった。しかしそれでもダメだった。マグロはあきらめて夜の漁にそなえる。

 夜はイカ釣りをするので、イカがよく釣れるポイントにいく。そこは夜になると海に幽霊が出るという噂があった。


 まあAさんは幽霊なんか信じてないので、たんたんと仕事をしていた。

 そしたらそのチンピラ風の男が夜の海を指差して突然に……。


「幽霊が泳いでいる、泳いでるぞ」


 とわめく。

 しかしAさんには見えない。なんとなく人影のようなものが波の間に見えたけど、どうせ魚だろうとおもい気にしなかった。

 波のせいで船がガタンガタンと揺れる。そのチンピラ風の男は船酔いして、甲板でフラフラだ。しまいには船から落ちそうになる。

 そしてまたわめく。


「幽霊に手をつかまれた。落ちる、落ちる、助けてくれ」


 本当に海に落ちそうになっているんだけど、先輩の猟師たちは笑って見てるだけ。

 誰も助けない。

 まじでその男が海に落ちそうになったので、しかたなくAさんが助けた。

 しかしこの男は船酔いして仕事どころではない。けっきょくマグロはゼロ。イカも前回の半分しか釣れなかった。


 港にもどる。

 それでしばらくしてまた船に乗って漁に行くんだけど。

 あのチンピラ風の男は二度とあらわれなかった。

 そして今度は知らないおっさんが乗っていた。肥満気味で、へらへらと笑っているおっさんだった。

 出発前にAさんの父親が言った。


「そいつも漁師にあこがれているんだ。だから、たっぷりしごいてやれ」


 そうか。

 このおっさんも漁師にあこがれているのか。

 と馬鹿で単純なAさんは素直に納得した。


 いわれたようにAさんは、そのおっさんにマグロ漁のやり方を教えた。

 めちゃくちゃ大変だった。おっさんはあきらかに漁に不慣れだ。おそらく釣り竿さえ握ったことがないだろう。

 先輩らもしだいに手荒になり、殴りながら教えていた。めしもろくに与えず、休みもなし。とうとうおっさんが泣きだした。


 とまあそんなこともあったが。

 その日は延縄をなげると、驚くようにぽんぽんとマグロが釣れた。夜になって例の幽霊が出る場所に移動。するとおっさんが「ぎゃああ、幽霊だああ」とわめく。

 先輩らがその姿を見て一言。


「仲間がお前を呼んでるぜ」


 ひどいことを言うもんだ。まったく意味は分からないけど。

 しかしそのときAさんにもハッキリと見えた。チンピラ風の痩せた男の幽霊が海をおよいでいるのを。いや幻覚だ。幽霊などいるわけがない。目をこすり、ふたたび海を見た。


 もう幽霊はいなかった。


 その晩はイカも大漁だった。

 港に帰るとAさん達には特別給料がでた。しかしおっさんには一文もでなかった。

 なのにおっさんは喜んでいた。

「ありがとう、ありがとう」とAさんに何度もお礼して別れた。

 それっきりおっさんには会ってない。


 またある日のこと。

 今度は眼鏡をかけたガリガリの大学生が漁船に乗って来た。

 いつものように「漁師にあこがれているから、たっぷりしごいてやれ」と父にいわれた。しかしその大学生は今までの新人の中で一番使えなかった。先輩が無線で誰かに連絡する。しばらくして男が一人だけ乗っているボートが近くまで来た。その大学生は邪魔だからと漁船をおろされ、ボートに乗せられた。

 朝になってAさん達が港にもどる。あの大学生を探したがどこにもいない。人にたずねても見てないという。

 その日の夕方に、Aさんの家に地元のヤクザがたずねてきた。この人は父の友人らしい。ヤクザは自分の娘をつれていた。今年で20歳だという。とても美しい顔をしている。娘はAさんと父親に、とても丁寧にお辞儀してくれた。


 それをみてAさんは妙に納得した。

 なるほど。あの男たちはこの娘に手を出しちゃったんだろうなぁと。

 それで脅されてタダ働きで漁船に乗せられていたのかも。

 ノルマをたせば釈放。果たせなかったら……。

 きっとあの大学生も今ごろは……。


 たぶん同じ船に乗っていた先輩達は、いろいろ事情を知っていたんだろう。

 それについてAさんは父親にたずねた。しかし父は多くを語らず。

 だからAさんもそれについてあまり語らない。

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