第22話 フラミンゴの絵 【閲覧注意】


 この話は長いです。

 またグロ描写と残酷描写があるので苦手な方は読まないでください。




 東京に住む高校生Tさんの話。


 Tさんの父親は美術品の輸出入に関する業務をやっている。

 それでよく海外出張にいく。

 夏休みのある日。

 ひさしぶりにアフリカに出張していた父親が帰ってきた。

 着替えの入っているスーツケースのほか、なにやら白い布につつまれた大きな正方形の物体をわきにかかえている。

 Tさんが「これはなに?」とたずねると、父親はその正方形の物体を愛おしそうに見つめながら。


「これは現地の美術商からゆずってもらった絵だ」


 とこたえた。

 Tさんが見せてくれとたのむ。

 父親は白い布をめくって絵を見せてくれた。


 それは鮮やかな色彩の抽象画ちゅうしょうがだった。

 抽象画とは対象を具体的にえがくのではなく、あえてぼやけて描いた絵のこと。


 どうやら外国の街の広場をかいた絵のようだ。

 広場のまわりの地面には赤い花が咲きみだれている。それはまるでユリのように大きくて赤い花だった。

 広場の中央には黒い鉄製?の囲いにおおわれた大きな円形の泉がある。


 その泉のなかには10羽ほどの、色鮮いろあざやかなピンク色や赤色のフラミンゴがいる。そのフラミンゴたちは羽ばたいているようにも、跳び上がっているようにも見える。

 まるで今にも動きだしそうなほど躍動感やくどうかんのあるフラミンゴの絵だった。


 美術品のことにはうといTさんだが、その絵をいちど見たら、もう目が離せない。おもわず見とれてしまった。


 絵の具が色褪いろあせてない。とくに赤い色彩しきさい鮮烈せんれつだ。おそらく最近描かれた絵だろう。10年前か20年前に。それにあまり見たことがない絵だ。教科書に載るような有名人ではなく、無名の新人画家が描いたのだろう。

 とにかく色が鮮やかで、その絵を見ているとぐいぐいと引き込まれる。


「すごい絵だね。みてると引き込まれるよ」


 Tさんは率直そっちょくな感想をのべた。

 それを聞いて父親もうれしそうだ。


「お前もそう思うか。俺もこの絵をみて圧倒されて、現地の美術商に『どうかゆずってくれ』と相談したんだ」


「へえ。いくら払って?」


「それがタダ」


 Tさんはもういちど絵を見た。

 こんなに美しい絵を、その人はただであげたのか。

 すごく価値のある絵に見えるけど。

 いや、でも。

 もしかしたら新人画家が描いたのものだから。

 無名の新人。

 だから売れないのだ。

 無名画家が描いた抽象画を欲しいと思う人はあまりいない。

 おそらくぜんぜん売れないから、現地の美術商もあきらめてタダで手放したか。

 Tさんはそう思って納得なっとくすることにした。


 その夜。

 午前1時ごろ。

 ふと喉がかわいてTさんは目が覚めた。

 階段をおりると、うめごえがした。ちいさく「うー、うー」と。

 もしかして父親がよっばらって寝ているのか。

 無視して暗い廊下を歩く。どうも声は居間の方から聞こえてくる。

 やっぱり父親がテレビをみながら寝ちまったんだな。

 起こしてやろうと思い、居間の扉をガラッと開ける。


 真っ暗だ。

 だれもいない。

 あのフラミンゴの絵が壁にかざってあるだけ。


「おかしいなぁ。たしかにこの部屋から声がしたんだけど」


 気のせいか。

 そう思って部屋をでた。台所にいって水を飲む。

 ホッとひと息ついて二階の自室にむかう。


 階段をのぼっているとき。

 背後から、小さく「うー、うー」とうめごえがした。


「またあの声だ」


 不審におもってTさんはまた階段をおりた。

 やはり声は居間の方から聞こえてくる。

 今度はゆっくりと扉をあけた。Tさんはしずかに居間に入る。

 呻き声は部屋の奥から聞こえてくる。

 あのフラミンゴの絵の方から。


 なにげなくフラミンゴの絵を見た。

 泉のなかにいるフラミンゴ達がクネクネと動いている。そして「うー、うー」とうめごえをあげている。


「なんだこれは?」


 Tさんは頭が真っ白になった。

 なぜ絵が動いてるのか分からない。しかも絵の中のフラミンゴがうめいている。

 それを見ていたら、なんだか急に背筋がゾッとした。見てはいけないものを見てしまった。そう思って、Tさんはあわてて二階の自室に駆け込んだ。

 そして朝まで布団のなかで震えていた。


 翌朝。

 それを父親につたえた。

 しかし父親は「そんな馬鹿なことがあるか」と笑い飛ばすだけ。

 そして父親は仕事に行かず、朝ごはんも食べず、ずっとフラミンゴの絵を見ている。

 母親が何を言っても無視。会社から電話がかかってきても無視。そしてご飯も食わずにひたすら絵をながめる。

 二日がたってもそのまま。取り憑かれたように絵を見ている。

 三日目になり父親は痩せ細っていた。

 父親は目を見開いたまま。


「聞こえる……聞こえる……くねくね……動いている……」


 とぶつぶつつぶやいている。

 それからもずっと絵から離れない。


 Tさんも母親もこれはやばいと思った。

 しかしどうすることもできなかった。


 次の日の午後に会社の人がたずねてきた。

 その人はアフリカ出身(ケニア出身)の黒人の方だ。しかし長年にわたり日本で暮らしているので、日本語が達者だった。Tさんもこれまで何度か会っている。


 その人を仮にジミーさんと呼ぶ。

 ジミーさんはアフリカの歴史にも、アフリカの美術品にも詳しいので、そっち方面の輸入の業務にたずさわっていた。


 ジミーさんはさして深刻な顔をしておらず、いつもの陽気な笑みを浮かべていた。

 Tさんと母親が事情を話す。


「なるほど。絵に見とれて、絵のように固まっているのか」


 とジミーさんは笑いながらいつものように冗談をとばしている。

 母親がジミーさんを家の中に招き入れた。

 そして父親のもとに案内した。

 会社の同僚が直接会いにきたのだから、きっと父親も態度を改めるはず。

 Tさんは期待した。


「だいじょうぶですか?」


 ジミーさんが声をかける。

 Tさんの父親の肩に手を置いた。

 そのままジミーさんの手はとまった。まったく動かなくなった。


 ジミーさんはフラミンゴの絵を見ていた。

 ぽかんと口を開けたまま。


 浅黒い顔が一瞬にして青くなる。


「なんでこの絵がここに? はやくこの絵を捨ててください!」


 ジミーさんが大声で叫ぶ。

 それから彼はフラミンゴの絵を壁からおろした。暴れる父親にもかまわずに。

 ジミーさんはひたいに脂汗がながしながら、真剣な顔で母親にたずねた。


「この絵をどこで手に入れたんですか?」


「わかりません。夫がアフリカに出張しているときに現地の美術商から譲り受けたと……」


 母親がこたえる。

 ジミーさんは真剣な顔で言った。


「すぐにこの絵を燃やしてください!」


 Tさんはフラミンゴの絵を庭に出した。母親が持ってきた灯油とライターをつかった。

 すぐに火の手がまわる。絵は激しく燃えた。

 またたくまに絵は灰に変わっていった。

 すると壁を蹴って暴れていた父も急におとしなくなった。それから母親は父を車に乗せて病院にむかった。

 さいわいにも父は点滴をして元気になった。





 後日。

 ジミーさんからあの絵のことを聞いた。


 あのフラミンゴの絵……。

 赤いユリの花が咲きみだれる街の広場、その中央に泉があって、10羽のフラミンゴが水浴びをしている抽象画だと思ったが。


 本当は違った。


 あれは東アフリカに位置する内陸国ルワンダで1994年に実際に起きた民族紛争をモデルにした絵らしい。

 紛争が過激化して民族大虐殺が起こった。

 そのときの光景を絵にしたものだ。


 広場に咲きみだれていた赤いユリの花は、実際には花じゃない。

 抽象画で分かりづらいが、あれは人間の血まみれの死体だ。


 そして広場の中央にある泉。

 あれは泉ではなく大きな鉄製の拷問器で、中に煮えたぎる油が入っているそうだ。


 あのフラミンゴに見えたのも、本当はフラミンゴじゃない。

 フラミンゴに見えたものは、その油の中に生きたまま入れられ、全身に火傷を負って赤くなりながら、苦しみもがいている裸の人間たち。



 なぜフラミンゴのように片足で立っているのかというと、それは油の熱から逃れるため。

 そしてなぜ体を低くして、右手をフラミンゴの頭のように高く掲げているのかというと……。

 それは彼らが必死に命乞いをしているから。


 つまり拷問され虐殺されている絵なのだ。

 抽象画だから虐殺の絵に見えなかった。

 それをフラミンゴの絵だと思い込んでいた。

 赤い花が咲きみだれる広場の泉でフラミンゴが水浴びをしてる絵だと……。


 しかもフラミンゴのあざやかな赤色には、本物の人間の血が使われているらしい。

 なんでもこれを描いた画家は、ルワンダの民族紛争で家族を殺されたそうだ。

 その恨みから、画家は気が狂ってしまい、死んだ家族の血でこれを描いたという。


 この絵を見た者を呪い殺すために。



 それから変なことは起きてない。

 父は今も元気に美術品の業務にたずさわっている。

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