第19話 目玉を返しておくれ 【閲覧注意】
この話は長いです。
またグロ描写や残酷描写があるので苦手な方は読まないでください。
これは私の
祖父が生まれた大正9年(1920年)ごろの話だ。
そのころ
その時代はまだ山沿いの村とあればインフラが整っていない。
夜になれば真っ暗だし、山中には今のように整備された道路がない。
細い獣道をとおって山を越えなくてはならない。そんな時代だから今よりも畑を荒らす害獣が多かった。
畑の被害が多くても村の老人たちは山への信仰が
めったに狩りにはいかない。
「欧米列強とならぶ日本人が、なにを根拠のない風習にビクビクしておるんじゃ」
と
年寄りに対抗するように、
この秋田犬のモスケもまた飼い主に似てとても
さて。
この山沿いの村から20キロほど離れた先に、山と山に挟まれた
そこは昼でも薄暗い。うっそうと茂る森と浅い沼地がどこまでも続くじめじめした場所だ。
村の老人たちは、ここはいわくつきの土地だから絶対に足を踏み入れてはならないと口をすっぱくして言っていた。だから村の者は誰も近づかなかった。
しかし
村の畑を荒らす猪どもは、だいたいこの辺りからやってくる。
ある日のこと重正は「畑の害獣を退治したる」と意気込み、昼過ぎに猟犬のモスケを連れて猪狩りに出かけた。
猟師たちの掟では、山へ狩りにいくときは1人で行ってはならない。かならず2人以上で行く事とされていた。
しかし狩猟の経験が長い
2、3時間歩いてようやく
あたりを散策するが猪はみつからない。
気がつけば夕暮れだ。
森はだんだん薄暗くなっていく。
しかし重正は気にせず、あと1時間だけ
それから数十分すぎて、もうあきらめようとしていたころ、とつぜん茂みの中から大きな
すかさず重正は猟銃をかまえた。
しかし猪はそれに気づいてきびすを返し、あわてて
パアン。
逃げる猪にむかって一発撃った。
弾はたしかに猪の後ろ足に当たった。だが興奮した猪はずんずんと崖を駆けのぼり、丘のうえに去っていった。
愛犬のモスケが真っ先に猪を追う。重正もそれにつづいて険しい崖を駆けのぼった。
それから20分ほど追跡したが。
その猪はとうとう見つけられなかった。
愛犬のモスケもどこかに行ってしまい、重正は
しかし耳を澄ますと、どこか遠くで「わおん、わおん」と勇ましく
「でかしたぞモスケ。猪を見つけたんだな」
重正はそう思って、声のする方に走った。
モスケがいた。
モスケは竹やぶにむかって激しく
そこは沼地になっており、動物の骨が散乱していた。
重正はそこをよく知っていた。
そこは
信心深い老人達が恐れて絶対に近寄らない場所。
祟りの地。いわくつきの土地。
「
重正は幼いころから老人達にそう言われてきた。
でもモスケがその竹やぶにむかって激しく吠えている。
きっと
「日本はこれから列強国になるんじゃ。だからそんなくだらない古い迷信は破壊せねばならん」
猪を狩りたい
そして重正は古いしきたりを嫌っており、それを壊したい気持ちがあった。
重正は恐怖を振り払い、その禁断の地に足を踏み入れた。
すでに夜。
満月の明かりでまわりが見える程度。
この暗さではもう狩りはできない。とにかくその猪だけでも取って帰りたい。
モスケも吠えるのをやめて、静かにあとをついてくる。
しかし猪はみつからず、さすがにもう無理かなと
するとモスケがまた激しく吠えて、奥へと走っていく。
重正もそれを追った。200メートルほど走っただろうか。
急にモスケが腰を落として
「そうか。ついに猪をみつけたか」
重正は正面をじっと見た。
暗くてよく分からないが竹やぶの開けた場所があった。
小さな草しか生えておらず広い空間になっていた。
そこに黒い影がうずくまり、クチャクチャと何かを
今まで嗅いだことがない凄まじい異臭がした。
「しめたぞ。他にも獣がいたか」
重正は右の
重正はつばを
さっきの猪ではなさそうだ。猪にしては前足と後ろ足が長い。それに胴体も細い。最初は山犬かと思ったが、山犬も狼も絶滅しており、この谷にいるわけがない。
よく見ると。
そいつの足元には、さきほど仕留めそこなった
重正はそいつを狩ろうと猟銃の引き金に指をかけた。だがそこから指が動かない。まるで体全体が金縛りにかかったかのように動かなくなってしまった。
そいつに気づかれた。
そいつは食うのをやめて、ゆっくりとこちらに近づいて来た。
そいつは
そしてどう見てもそいつは人間の顔であった。それも子供のようなすべすべした顔だ。
そいつのニヤけた口は血で真っ赤にそまっている。あの猪の肉が口のはじっこから垂れさがっていた。
前足と後ろ足には、それぞれ5本の長い指がはえており、まるで人間の手のようだった。
人面の狼。長い指の生えた異形の存在。
「ば、化け物じゃ!」
重正はこれまで感じたことのない恐怖をおぼえた。
どっと
化け物は猪の血を浴びて真っ赤にそまった口を
「食われる……」
重正の恐怖が頂点に達した。
そのとき愛犬のモスケが
モスケはそいつの前足に
「ぎゃあああああ!」
そいつは人間の子供そっくりの泣き声をあげた。
そしてモスケの背中に
重正は
金縛りがとけている。指が動いた。
もういちど猟銃をかまえなおし、そいつめがけて引き金をひいた。
しかし弾がでない。
不発だ。
ありえない。
今朝、猟銃の手入れをおこなったばかり。
出かける前にも猟銃がしっかり機能していることを確認している。
もういちど弾をこめて引き金をひく。
やはり不発だった。
重正がとまどっているあいだに、その化け物が愛犬モスケの首に食いついた。
血がにじんで、モスケが「きゃあん、きゃあん」と悲壮な声をあげる。
そのとき化け物はこちらに背を向けており、完全に無防備だった。
「こんどこそ撃ち殺してやる」
重正はそうおもって、ふたたび猟銃に弾を込める。
油断していた化け物が、モスケの首を放し、こちらに振り向いたとき。
パアン。
一発撃った。
銃弾はそいつの左の目にあたった。そいつの目玉がバラバラに飛び散った。
「おみゃああああああ!」
そいつは人間の赤子のような、あるいは発情期の猫のような鳴き声をあげた。
そいつはヨタヨタと歩きながら、竹やぶのさらに奥へと逃げていった。
重正はいま見たものが信じられず、あっけにとられ、立ちすくんでいた。
愛犬モスケが首から血を流しており、「くうん、くうん」と弱々しい声をあげている。
そこで重正はハッとした。
モスケの首にはハッキリと人間の歯型が残っていた。
水筒の水で血を洗いながし、アルコールをしみこませたハンカチで、傷口をふいてやった。
ともかくぼうっとしていたら、またあの化け物が戻ってくるかもしれない。
そうおもって愛犬のモスケを連れて、急いで来た道をもどった。
ひたすら走って、ようやく日陰谷の入り口までやってきた。
そこには、もう誰も使っていない古い炭焼き小屋がある。
そのさきは開けた道になっており、村まで一直線につづいている。
二時間も歩けば村に戻れる。
重正はホッとして、さらに足をはやめた。
おかしいと重正が気づいたのは、下り道を歩きながら10分ほどたったときのこと。
どうも同じ道をぐるぐるとまわっているような奇妙な感覚にとらわれた。
このあたりは何度も来ている。道にまようはずがない。
言い知れぬ不安をかんじて、重正は足早になるが。
やはり同じ道に戻ってきてしまう。それでも意地で走っていると、見慣れた炭焼き小屋が前に現れた。
「そんな馬鹿な……」
あり得ない。
山道をくだっていたはずなのに。
また同じ炭焼き小屋の前にたどり着くなんて。
それとも気が動転して、自分でもわからないうちに山道をまわっていたのか。
真っ暗だから知らぬうちに違う道へ入ったのか。
そうおもってもういちど山道をくだる。
しかしどうしても山道を降りた先に、あの炭焼き小屋がある。
愛犬のモスケはいよいよ疲れ果て、弱々しく鳴いている。首からまた血がにじんでいる。
これいじょう歩くとモスケが危ない。
本当は嫌だったが、しかたなくその炭焼き小屋で朝まで休むことにした。
そのころにはすでに夜の9時を過ぎていた。
重正は小屋の床に横になった。
天井を見上げながら、つい先ほどのことを思い出し、恐怖に震えた。
狼の体に人間の子供の顔。前足後ろ足に5本の長い指がはえており、まるで人間の手のようになっていた異形の化け物。
あれは何だ?
あれが老人たちの言っている山の神さんなのだろうか?
とても神さんには見えない、おぞましい姿をしていたが?
そう考えると、また体がぶるぶる震える。
重正は猪を狩ったときに飲もうと思っていた祝いの
恐怖から逃れるように、焼酎をいっきにあおった。にぎり飯も持っていたが、どうにも食う気分じゃない。
モスケに分けてやった。
モスケは腹をすかしており、よろこんでそれを食べた。
今夜は眠るわけにはいかない。朝まで小屋を見張ろうと思い、猟銃を
がりがり……がりがり……。
いつのまにか眠ってしまったらしい。
ふと重正が目を覚ますと。
がりがりという奇妙な音が、入り口の扉から聞こえてくる。
懐中時計をみると午前2時すぎ。
モスケも起きており、扉にむかって
重正もがばっと起き上がり、猟銃を扉にむかってかまえた。
今度は何かが小屋の屋根に飛び移ったようだ。
ぺたぺたと音がする。
まるで人間の手で這っているような不気味な音だった。
まさかあいつがやって来たのか?
でも外に出て確かめる勇気はなかった。
気の遠くなるような長い時間がすぎた。
音がやんでも重正は天井にむかって銃をかまえたまま。
やがてぼそぼそと人の話す声が聞こえた。
「め……だま……めだま……」
愛犬のモスケが天井にむかって激しく吠える。
ぺたぺたぺたと音がして、何かが屋根を這い回ったあと、すとんと地面におりた。
小屋のまわりを何かがぐるぐるまわっている。
ふたたびぺたぺたと音がする。
それから外にいる何かは入り口の扉の前でとまった。
愛犬のモスケが今度は扉にむかって激しく吠える。
がりがり……がりがり……。
さっき屋根のうえにいた何かが、ふたたび入り口の扉を歯で
愛犬のモスケも怯えはじめ、すみっこで丸くなっている。
「だれだ!」
重正は叫んだ。
猟銃を扉にむかってかまえる。
すると扉を引っ掻く音がやんだ。
扉のすぐ外から、人間の子供のような声が聞こえてきた。
「わたちの……めだまを……かえちて……かえちて……」
重正の顔から血の気がひいていく。体はぶるぶる震えてとまらない。
それでも重正はガチガチなる歯をおさせて必死に叫んだ。
「何しに来た!」
気がつけば愛犬のモスケが
モスケも怖いのだ。それでもモスケは扉に向かって
「わたちの、めだまを、かえちて、おくれ」
外の化け物は、ハッキリと人間の幼児に似た声で「目玉を返しておくれ」と言った。
恐怖がこみあげ、たまらず重正は猟銃を扉にむかって一発撃った。
すると銃弾であけられた扉の穴から、片目のない人間の白い顔がみえた。
「わたちの……めだま……めだまを……かえちて……おくれ」
またその化け物は人間の幼児に似た声で言った。
「お前の目玉など知らん! 去れ!」
重正はそう叫んで、二発目を撃とうとした。
しかしまた金縛りにかかったように指が動かない。
「わたちの……めだま……めだまを……かえちて……おくれ」
まるで壊れたレコードのように、そいつは同じ口調で同じ言葉をささやいている。
「ほ、本当に知らん。俺が銃で撃ったとき、お前の目玉はバラバラに
しかしそいつはもう片方の血走った赤い目で穴をのぞきながら。
「ちがう……おまえが……わたちの……めだまをうばった……めだまを……かえちておくれ」
とても恨めしそうな声だった。
もはや愛犬のモスケも吠えるのをやめて、重正の背中に隠れてちぢこまっている。
「だから俺は知らん! たのむからあっち行ってくれ!」
重正は理性をうしない、ひたすら叫んだ。
「ちがう……おまえが……わたちの……めだまをうばった……おまえの腹を
また恨めしそうな声をあげると、
「勘弁してくれぇ! 許してくれぇ!」
重正は絶叫した。
恐怖のあまり重正の記憶はそこから先があいまいになった。
人面の狼が目の前に。そいつの5本の指が迫った。
首をしめられ床に倒される。腹を
するどい痛みが走った。血がにじむ。
そして愛犬モスケの
モスケが化け物に飛びかかる。
猟銃を
化け物が悲鳴をあげる。重正から離れた。
すると今度は化け物が愛犬モスケに飛びかかる。
化け物はモスケの腹を引き裂いた。腹の中に手をいれて中を探りながら。
「ここにはない……ここにはない……つぎは……おまえの……
重正は発狂して、小屋を飛び出し、無我夢中で走った。
転げるように山道を降りて、そこから意識がとぎれた。
そして。
次に目を覚ましたとき。
重正は村から近い診療所のベッドのうえに寝ていた。
医者がいうには、道端で倒れているお前を、心配して探しに来た村人達が見つけたと。
発見されたとき重正は重症だった。
右足首の骨折。全身の打撲。腹部に獣に
そして狂ったように「たすけて、たすけて」とわめいていた。
一緒に行った愛犬のモスケだが、その数日後に村の近くの山でみつかった。
モスケはきれいに骨と内臓を抜き取られており、毛皮しか残ってなかった。
医者はモスケは熊におそわれたのだろうと説明した。
しかし生前に祖父はこう言っている。
「あとになって村の者たちがモスケの死体を見た。それで皆が口をそろえてこう言った。あれはどうみても絶対に熊のしわざじゃないと……」
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