第17話 教科書のゾウ


 これは東京から田舎の農家に嫁いだ女性Aさんの話。


 夫の家には大きな物置きの蔵がある。

 三角屋根で黒い板が壁に貼りつけてある古い蔵だ。

 もうすぐ田植えの時期だからAさんは蔵に入って必要な農具の整理をしていた。


 この時期になると忙しい。

 朝から晩まで田んぼの中で汗水たらして働く。

 それで長靴や軍手の箱をさがしていると、古いダンボール箱を見つけた。

 箱の中には夫の小学生のときの教科書やノートが入っていた。Aさんはひと休みしてそれを読みふけった。

 勉強は苦手だったようでノートには落書きがいっぱいあった。

 まるばつゲームの落書き、漫画のキャラの落書き、クラスメイトの悪口など。


 おもしろくて夢中で読んでいると、あるページに目がとまった。

 そこには今までにない変な落書きがあった。


 四つ足の生物だ。

 頭がふくれて大きい。えんぴつでガリガリと真っ黒に塗りつぶされている。

 頭から細長いものが垂れ下がっている。それもえんぴつで真っ黒に塗りつぶされていた。


 おもしろい。

 頭から垂れさがっているものは鼻か?

 ひょっとしてこれは動物のゾウではないか。

 夫はゾウが好きなのか。


 それは小学四年生の国語のノートである。

 どの小学校でもそうだが、四年生になると動物園に写生会にいくものだ。

 きっと彼は動物園にいったのが嬉しくてゾウの落書きを書いたのだろう。

 Aさんはそう思って微笑んだ。

 それからAさんはちがう教科書を手にとった。

 小学六年生の算数の教科書だ。


 「おもえば自分は算数が苦手だったなぁ」


 それをみてAさんは苦笑した。

 なつかしくてパラパラとページをめくる。


 ふと手がとまる。


 またあの落書きをみつけた。

 ゾウの落書きだ。

 真っ黒に塗りつぶされたゾウがいた。


 「なんでここに……そんなにゾウが好きなのかしら……?」


 気になって他の教科書やノートを読む。

 そのすべてにゾウの落書きがあった。


 頭が異様に大きなゾウだった。

 頭と長い鼻は、えんぴつでガリガリと真っ黒に塗りつぶされている。

 なんだか不気味だ。


 その夜のこと。

 Aさんは仕事から帰ってきた夫にさっそくゾウの話をした。


「昼に蔵の整頓したんだけど、小学生時代のあなたのノートが出てきたわ。それにしても意外ね。あなたってゾウが好きなんだ」


「え? べつに好きじゃないけど」


「そう。あなたのノートにいっぱいゾウの落書きが書いてあったのよ。一年生から六年生まですべてのノートや教科書にね」


 しかし旦那は否定する。


「いや。おれはゾウは好きじゃないぞ」


「それなら直接見なさい」


 Aさんはそう言い返した。

 そして蔵に行ってあのダンボール箱を取ってきた。

 夫はなつかしそうにそれを見ていた。


「まだこんなもの残っていたんだな」


 そう言ってノートや教科書を懐かしそうにめくる。

 目を細めて思い出にふける。

 しかしそのときAさんは気づいた。

 手が震えている。ぶるぶると。あきらかに動揺している。


「忘れていたのに、思い出してしまった……」


 そういって夫が乱暴にノートを箱に入れた。

 それから静かに話し始めた。


 小学生のころ。

 家の庭でひとりで遊んでいると、蔵のまわりを四つん這いでグルグルまわっている女を見た。それも何度も。

 怖くなった彼は両親に相談した。

 しかし両親にはその女が見えないという。

 それで気づいた。あの女はこの世の者じゃない。


 ある晩になって。

 彼がひとりで二階の部屋にいると物音がした。窓の外から。


 びちゃびちゃびちゃ。

 泥水を手ではじくような音だ。


 おどろいて窓の外を見た。

 四つん這いの女がいた。その女はブツブツつぶやきながら、四つん這いでグルグルと蔵のまわりを這っている。


 そして女と目が合った。

 女は凄い勢いでペタペタと這ってきた。そのまま壁を這って登ってきて、二階の彼の部屋の窓にはりついた。


 垂れ下がったボサボサの髪の毛。異様にふくらんだ頭。

 それがトラウマになり、子供の彼は教科書やノートにあの女の絵を書きまくった。


 それを聞いてAさんは背筋がぞっとした。


 あのゾウの落書き。

 長い鼻だとおもっていたのは、実は垂れ下がったボサボサの髪の毛か。


 あれはゾウじゃない。


 あの頭のふくらんだ女の霊は、いまも夜になると蔵のまわりを徘徊している。

 でもなぜ女の霊が蔵に現れるのか夫もよく分かっていない。

 ただ夫は死んだ祖父から、夜になったら絶対に蔵の扉を開けるなとしつこく言われていたそうだ。

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