第2話 ドーベルマンが来る


 東京で彼氏と暮らす女性Оさんの話。

 Оさんはオートロック付きの高級マンションで彼氏と一緒に住んでいる。

 Оさんが働いている居酒屋はいつも繁盛。家に帰れば優しい彼氏が待っている。


 しかし一つだけ嫌なことがあった。

 それは隣に住んでいるMさんだ。

 Мさんは独り暮らし老人だ。性格はひどい。いつも傲慢かつ高圧的な態度で周囲に当たり散らしている。特に女性に対してきびしい。

 だから気の弱いОさんは何かと因縁をつけられていた。

 その日も夜遅くにОさんが仕事から帰ってくると、玄関の前にМさんが立っていた。軽く会釈して部屋に入ろうとすると急に呼びとめられた。

 そしていきなりОさんに怒鳴どなってきた。


「おたく、部屋で犬を飼っているの? このマンションはペット禁止なの知ってる?」


「いえ、飼っていません」


「うそつけ! 夜になるといつもおたくの部屋から犬の鳴き声がするんだよ。いい加減にしてくれよ!」


 もちろん犬など飼ってない。このマンションがペット禁止なのも知っている。

 Оさんは必死に説明した。それでやっとМさんがあきらめてくれた。

「チッ!」と舌打ちしてМさんはしぶしぶ帰って行った。


 それから一週間後。

 いつものようにОさんが深夜に仕事から帰ってくると、またМさんが玄関の前に立っていた。


「ほらな、俺の言ったとおりだ! やっぱり犬を飼ってるだろ! あやしいと思って俺の家の玄関に隠しカメラを仕込んでおいたんだ、これが証拠だ、よく見ろ!」


 そう怒鳴りながらМさんがスマホを見せてくる。

 その画面には隠しカメラの映像が流れていた。録画したカメラの映像をスマホにコピーしたらしい。Оさんは不審に思いながらも、仕方なく映像を見ることにした。


 撮影された日付時刻が画面の右上に表示されている。

 昨日の午前1時30分。

 その時間、Оさんは部屋で寝ている。

 蛍光灯に照らされた、ちょっと暗い無人の廊下。それだけの映像。

 一番奥の突き当りには非常用階段がある。


 何も映らない無人の廊下。

 もういい加減に帰ろうと思ったそのとき。

 廊下の奥の突き当りで何かが動いた。

 非常用階段を黒い影がのぼってくる。


「えっ?」


 真っ黒い何かがピョンピョンと飛び跳ねている。そんな変な動きをしながら、無人の廊下をダダダッと走り回っている。

 カメラの画像が荒い。だからそれがなにか分からない。

 でも確かに犬のように見える。

 黒い毛のドーベルマンという犬種に見えた。


 なぜかその犬はピョンピョンと飛び跳ねている。

 やがてОさんの部屋の前で止まった。

 後ろ足で立ち上がり、前足を玄関のドアノブに引っ掛けてグルグル回してる。

 しかも『ぎゃふぎゃふ』と変な声で鳴いている。

 それはОさんの部屋の中に入ろうとしている。


 これにはОさんも驚いた。


「もう言い逃れできんぞ。管理人にちくってやる!」


 Мさんが勝ち誇ったように言う。しかしОさんはその映像から目が離せなかった。

 どうにもその犬に違和感があったのだ。


「この犬、なにか変じゃないですか?」


 Оさんがぼそっと言った。Мさんも愚痴りながらスマホの映像を見る。


 ふと犬がこっちを見た。

 隠しカメラの存在に気づいたようだ。

 犬がカメラに近づいてくる。


 そのとき犬の顔がはっきりと見えた。

 それを見てОさんもМさんも震えあがった。


 それはドーベルマン犬じゃなかった。

 真っ黒に焼け焦げた人間の顔だった。

 焼けてこげて筋肉が萎縮いしゅくしている。だからあのようにピョンピョン飛び跳ねる変な動きをしていたんだ。あんなふうに走っていたんだ。


 こっちをみながらそいつが『ぎゃふぎゃふ』と鳴いている。

 まぶたが焼け落ちて、黄色い眼球があらわになっている。

 画面いっぱいにその顔が映しだされた。

 Оさんは悲鳴をあげた。Мさんも悲鳴をあげてスマホの電源を消した。

 ふたりとも見なかったことにした。そのスマホはお寺に渡して供養してもらった。


 それから数日後にМさんは自殺した。

 Мさんは最後まで『ドーベルマンが来る』とひどく怯えていたらしい。

 あとで管理人から聞いた話だが、戦時中はここもよくB29が飛んできた。

 はげしく空爆されて大勢の人が焼け死んだという。

 しかしあの焼け焦げた男との因果関係は分かっていない。


 Оさんは悩んでいる。

 高額で買ったマンションだが、今すぐ出ていった方がいいだろうか?

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