針鼠の距離感
@opai-hunter
第一話
結果が全てといい、終わり良ければ全て良しともいう。要するに、同じ黎明高校に入学できたのだから、補欠合格だろうが主席合格だろうが大した差ではない。その点において、俺はお前のように中学校生活のほとんどを勉強に捧げたわけではないから、効率良く時間を使うことができたといえる。つまり俺が言いたいことは、結果的に見れば俺の方がお前よりも頭が良いといえるということだ。
隣に並ぶ親友、岡部雄太郎に俺はこんなことを話した。
四月、二人揃って市内の高校に通うことができたのはほとんど奇跡といえる出来事だった。それはその高校、黎明高校が俺の成績では到底合格できそうもないような私立進学校だったからであり、俺が中学三年になるまで進学について全く危機感を持たずにいたからである。中学三年の夏、俺はそのとき初めて市内の高校が黎明高校だけだと知った。今のご時世、高校ぐらいは出ておかないと後々就職先に困る。だが黎明高校に受からなければ必然的に市外の高校に通う羽目になる。それだけは何としても避けたかった。通学に片道一時間以上もかけるなど、無駄以外の何ものでもない。俺は、無駄が何よりも嫌いなのだ。そうして半ばやけくそになりながらも受験勉強を開始した。紆余曲折はあったものの、結果として黎明高校に無事合格。俺、蜂須賀悠人の輝かしい高校生活はここから始まるのだ!
風光る桜並木の土手を、真新しい制服に袖を通した男子二人が肩を並べて歩く。天気良好、入学式にはもってこいの快晴であった。今日は、黎明高校の入学式なのだ。
隣で俺の話を黙って聞いていた雄太郎が口を開いた。
「思ってもみない幸運に恵まれて嬉しいのは分かるけれど、さすがに言い過ぎじゃないかな」
「どういう意味だよ」
「補欠合格の場合、留年の危機に常に脅かされながら生きていかなければならない。その点においては、僕の方が頭が良いといえるよ。僕はこれからの高校生活を、有意義に過ごすことができるからね」
そんな、あからさまに嫌なことを言うなよ。俺は今、やっと受験勉強という名の地獄から抜け出したばかりなんだから。
「そんなことを言っておきながらも、結局お前は三年間勉強三昧なんだろうけどな」
嫌みたらしく言ってやったのだが、雄太郎はそんなこと気にせず、
「ま、今のところはそのつもりだね」
からっと答えた。
「つーかそんなに勉強って楽しいのか?」
「まあね。……それより、君と僕、どっちの方が頭が良いのかって話はどうなったのかい? その話は君から振ってきたじゃないか。自分に都合が悪くなるとすぐに話をそらす癖、やめた方がいいよ」
「別にわざとじゃねーよ」
「わざとじゃないから、癖なんだよ」
雄太郎は肩をすくめて呆れる仕草をした。それには少し苛立ったが、怒るのは俺の性分に合っていないので、その場で地団駄踏むようなことはしない。
「じゃあ話を戻すが、俺が言いたかったのは、成績が良いのと頭が良いのとは違うってことだよ。はい、これでおしまい」
「どうしてそんな曖昧な表現をするのさ。それじゃあ、頭の良さに成績は関係ないってだけでどっちが上かって主題には触れてないじゃないか」
「頭の良さってのは、そう簡単に決められるものじゃないってことさ。それに俺はどっちが上かを競っているわけじゃないしな」
「それは一理あるね。僕らの話の矛盾も、根拠とする基準が違ったと考えれば納得がいく。結局君が言いたかったことは、君が補欠合格だからって頭が悪いわけではないんだってことなんだろうけどね」
「まあ、そんなとこだ」
さりげなく空を見上げる。最初から気付いていたのかということと、やはり雄太郎は頭が良いんだなという二つのことを思った。
「まあでも、黎明に合格できて本当に良かったね。さもなければ玉響高校だったんでしょ」
「だな。市外は嫌だし、つーかたまゆらって読めねーしな」
「そこは黎明も大概だけどね」
こうして軽口を叩き合いながら歩いていると、もう桜並木を抜け、橋のところまで来ていた。この橋を越えれば後は田んぼの畦道を一直線に進むと黎明高校にたどり着く。辺りにもちらほら学ラン姿が見え始めた。一陣の風に振り返ると、何人かの学生のうちの一人と目が合った。すぐ脇を自転車が駆け抜ける。ちりんちりんという音が春の空に吸い込まれていった。
しばらく歩いていると車の事故に出くわした。といっても大したものではなく、少々ボンネットの左端がへこんでいるといったものだった。ボンネットのへこんだ車が一台、道脇に止まっていて、そのすぐそばに車のボンネットを撫でている男が一人いた。恐らく車の所有者であろうその男は、へこみ具合を確認している様子で、大したことでないなら警察を呼ぶ気はないようだった。そこはここら辺で唯一のスーパーマーケットであるジャスコの前の道路で、その道路は直線だから車がよく飛ばすのだ。そのため事故が起こることも珍しくない。俺は大して興味はなかったが、雄太郎が事故の経緯を推測しようと言い出したので、別に断る理由がなかった俺は歩きながら少し考えてみることにした。それにこういったことは今に始まったことではない。こういうとき、雄太郎が俺の推理を拝見するのが常なのだ。
「ジャスコから出ようとした車と直進していた車がぶつかったんだろ」
俺は言った。
「悠人は寝ぼけてるのかい? 今は七時半。まだジャスコは開いていないよ」
雄太郎が言った。
「だからあれだよ、通り抜け。交差点の信号を無視できる」
「その場合だったら、ボンネットの右側がへこむはずだよ。だけど実際は左側だ」
もし車がジャスコから出ようとした場合、進行方向左に曲がろうとするはずだから、当然へこむべきは右側だ。となれば。
「じゃああれだろ。通り抜けしようと車がジャスコに入ろうとしてぶつかったんだ」
逆転の発想である。だが。
「残念だけど、それも可能性は低いだろうね。ジャスコに入るためには、一車線越えないといけない。朝のラッシュ時にそれはほぼないだろうね」
それは俺も言いながら気付いた。
うーん。俺は唸る。段々と打つ手がなくなってきた。これは思った以上に厄介な代物に手を出してしまったのかもしれない。
「わからん」俺は言った。
「もう諦めるのかい? 一度やり始めたことは最後までやり通すべきだよ」
「厄介事はごめんなんだ」
「ただ面倒臭いだけだろう」
「人聞きの悪いことを言うなあ。省エネルギーだよ。地球に優しい」
雄太郎はじとっとした目つきで俺を睨んだ。
「ただ自分に優しいだけでしょ」
「それほどでも」
「褒めてねーよ」
さてそうこうしているうちに、一つ思い当たることを見つけた。
「お、何か思い付いた顔だね」
雄太郎が言った。
「まあな」
俺は言った。
そもそも、これが車同士の衝突事故だと決めつけるのがいけなかった。もし車同士がぶつかったのだとしたら、ここにはあるべきものが決定的に欠けている。そう、ここには車が一台しかないのだ。となれば、逆説的に車単体での事故だと考えるのが妥当だろう。車の衝突事故だがもう一方は車ではなく車の進行方向左側にある何かで、その車は二車線道路のうちジャスコ寄りの道路を走っていたのだと分かる。そして俺は、ジャスコの駐車場から少し離れた所のガードレールが歪に変形しているのに気付いたのだ。
「そういうことだ」
俺は雄太郎に自分の考えを披露した。俺は話が上手いわけではないが、別に下手だとも思っていない。だがどちらかと言えば俺は鶴の一声の方が近いだろう。結果が全てだと思っている俺にとって、その過程を重視する謎解きは至極無駄事である。もっとも、鶴の一声であっても無駄だと思えば言わないことも多々ある。
「なるほどね。それなら全ての辻褄が合うね。あの運転手が警察に通報しないのも納得がいく。だけどまあ、なんというか、実際は何てことはなかったね」
「そんなもんだろ。タネの割れたマジックほど惨めなものはない」
「別にマジックじゃないでしょ」
雄太郎は笑った。期待通りだと満足しているようだった。
「種明かしをしてはいけない。サーストンの三法則の一つだ」
「ハワード・サーストンか。でもこれはマジックじゃないからね」
「謎解きにおいてもいえるさ。謎解きにおいて、種明かしをしてはいけない。ほら」
「なに言っているんだよ。種明かしをするのが謎解きなんだよ」
雄太郎は呆れた声で言った。
「つまり謎解きなんて無駄なことするべきじゃないってことだ。何度も言うように、結果が全てなんだよ」
「したのは悠人だよ」
「させたのはお前だろ」
「でも謎解きをしない悠人は悠人じゃないよ」
「俺のレゾンデートルはそんな安価なものだったのか」
「推理力は安き位だよ」
雄太郎は笑って言った。
目の前に黎明高校が見えてくる頃には、辺りも随分と賑やかになっていた。
「こんな田舎でも、こうして見ると結構人はいるもんなんだな」
俺は特に深く考えずに言った。
「田舎だからでしょ。市内の高校生は皆ここに集まる」
雄太郎は少し呆れたように言った。ああそうか、と思った。
「もう、しっかりしてよね。己に如かざる者を友とする無かれ、なんだからね」
「鄧小平か」
「孔子でしょ。てか、何でそれが一番に出てくるのか不思議なんだけど」
「それより、意味分かって使ってんのか?」
「分かってなくて使ってると思った?」
「俺がそんなこと思うと思った?」
特に深く言及したりはしない。そして今の発言から、雄太郎が俺がさっき本当に伝えたかったことをきちんと理解しているのだなと察した。
「僕は見込みのない人と付き合うほどお人好しじゃないよ。それに、悠人はああ言ってたけど、実際はある程度の過程がなければ良い結果はでないさ。過程があってこその結果なんだからね」
雄太郎はそう言うと、自分で言っておいて恥ずかしくなったのか、続けざまに言った。
「ほら悠人。ここがこれから僕たちの母校となる学校だよ」
雄太郎は校門の前に仁王立ちすると、両手を広げ、にっと屈託なく笑った。
小鳥のさえずり、車のエンジン音、小川の水の絶え間なく流れる音、自転車のベル、そして生徒たちの喋り声。校舎から聞こえるチャイムまでもが、全て新鮮に感じられた。
「よし」そう呟き、大きく一歩を踏み出す。
校門のそばの桜の木が風に揺れるのが、まるで新入生を歓迎しているかのように、悠人の目には映った。
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