スパーク/夢

 丸子橋の上から、空を見ていた。

 今日も星が瞬いている。

 その夜空の中心、いつものところにひときわ明るく光る星を見つけた。


 ポラリス。


 僕はそれに向かって手を伸ばす。

 伸ばした手からは、さっきから休むことなく光の粒子が溢れ出ていた。


「僕は……誰かのポラリスになれたのかな?」


 なんて、ちょっとだけセンチメンタルな気分になっちゃってるみたい。




「あのー」


 誰かに声を掛けられた。


「はい?」


 声がした方に振り返る。

 3メートルくらい離れたところに、同じように星空を見ている、身長が低いショートカットの女の子がいた。



 気づかれないように一度ため息をつく。

 それから彼女に訊いた。


「何か……お話でも?」


 女の子は僕の方をちらりと見て、それから星へと視線を戻す。


「……星、きれいですね」

「……そうですね。星がお好きなんですか?」

「……どうなんでしょうか」


 僕とその子は星空を眺めたまま話し続ける。


「さっきから星を見ていると、とってもきれいだなって思うのに……胸の奥の方がじくじく痛むんです」

「胸の奥が?」

「そう」


 僕は少し明るい雰囲気をつくって、彼女に言う。


「じゃあ、見ない方が良いんじゃないですか?」


 彼女は少し驚いたように僕を見て、それから寂しそうに笑った。


「そうですよね。……うん、そうなのかも」

「でしょ?」



 お互いに、少し黙って夜風に当たる。

 湿った、生暖かい風が身体にぶつかる。

 これから夏本番だということを思い出す。

 ――まあ、僕には関係なさそうだけど。



 不意に、女の子が口を開いた。


「私、人を捜しているんです」

「人捜し……ですか」

「これまでずっとその人は一緒にいたはずなのに、急に私を置いて、いなくなっちゃったんです」

「……薄情な人ですね」

「はい。でも……私にとってその人が、この世でたった一つの北極星ポラリスだったんです。……合ってますよね、北極星、ポラリスで」


 その言葉を聞いて、僕は危うく泣き出しそうになる。

 でも、ここでは平静を装わないと。


「……はい、合ってますよ」

「よかった。……でも私、その人が今どこにいるのかわからなくて。ていうか、その人が誰なのかすら、わかんなくなっちゃって……。私、その人に会って、伝えたいことがあるのに」

「それで……捜してるんですか」

「はい……何か、知りませんか?」


 いつの間にか彼女は僕の方を見ていた。

 これまで何度も見てきたその顔に、これまでになかったような表情を僕は見つけた。


「そっか……君は今、君自身がやりたいことをやってるんだね」


 僕は、彼女を守りきることができなかった。

 結局、彼女を深く傷つけてしまった。

 記憶まで弄ってしまった。

 でも、彼女のそんな顔を見たら、ちょっとだけ報われたような気がした。



 僕は、夜空に目を戻して話す。


「あなたは……夢を見ているんじゃないですかね?」

「夢、ですか」

「うん、夢。……夢の中で、あなたのポラリスさんはきっと、あなたを守ろうとしたんですよ」


 訳が分からないといった様子で、彼女は首をかしげている。


「人間ってね、本当に大切な人が危ない目に合うかもしれない時、何をしてでも大切な人を守ろうとするんです。きっとポラリスさんは……あなたのことが何よりも、誰よりも大好きで、大事なんじゃあないですかね」

「でも……それだったら私に一言くらいあってもよくないですか?」

「ポラリスさんは不器用なんですよ、たぶん。だから、何も言えなかった」

「そんなの……勝手ですよ。私はどんなことでも一緒に受け止めて、一緒に歩いていきたかったのにっ……‼」


 彼女はうつむいてそう言った。

 僕は3メートル離れた彼女に言い聞かせる。


「あなたはそう思うかもしれない。でもね、本当のことを黙ったままにしたり、心配させないようにするためのウソ――優しいウソ、とでも言っておこうかな。それを言ったりしてまで、あなたを守りたいって思ってくれる人と出会えたってことは、幸せなことですよ。……まあ、夢の中の話、ですけど」

「優しいウソ……」

「はい。優しいウソ、です。……僕も昔、あなたと同じように『全部を知りたい』って思っていたことがありました。でも今となっては、何も知らずに過ごしたあの時間、あの場所が、かけがえのないもののように思えるんです。だから今では、教えてくれなかったことを感謝してるんですよ」


 笑顔を浮かべて、彼女を諭した。


 名京大病院で七羽さんや松村先生と冗談を言い合って過ごしたあの時間。

 自分の過去という得体の知れないものに追われながらも、難しいことを考えずに過ごせていたプロテクターズでのあの時間。

 その一つ一つが、僕をつくっていた。




 少しだけ黙った後、彼女が僕に訊いてきた。


「でも、感謝してるなら、なんであなたはそんなに寂しそうな顔をしているんですか?」


 …………。

 不覚。

 寂しそうな顔をしていたらしい。

 必死に言い訳を考える。


「え、ええっと…………僕の中では、感謝と寂しさは、同居してるんですよ」

「…………?」

「ずっと一緒にいて、いろんなことを一緒にして、たくさんの思い出を作って……。そんな中で『ありがとう』っていう気持ちが積み重なった分だけ、別れる時って、寂しいじゃないですか」

「確かに」

「だから、胸の奥が痛くなるのは、あなたのポラリスさんに対する感謝を、寂しさという形に変えて、心っていうキャンバスに消えないように深く刻み込んでいるからなんじゃあないですか?」

「なるほど……」


 彼女は頷く。

 どうやら誤魔化せたみたいだ。

 それにしても、言い訳の割には、我ながら結構良いこと言った気がする。



 何気なく髪をいじろうとする。

 でも、いくら腕を動かしても頭を触る感覚がなかった。

 たまらず手を見てみる。

 でもそこにもう手はなかった。



 ……時間みたい。



 彼女も、僕の異変に気付いたみたいで、心配そうな顔をしている。


「大丈夫、なんせ僕は、あなたの夢の中の存在なんですから」

「……ほんとうに?」

「はい。この顔が嘘をついている人の顔に見えますか?」


 僕が微笑むと、彼女も笑おうとしてくれた。

 それは明らかにうまくいっていなかったけれど、それでも笑おうとしてくれた。


「はい。あなたは、ウソ、ついてます」

「ええ……」

「でもそれは……優しいウソ、なんですね」

「……分かればよろしい。それじゃ、もうちょっとで目覚まし時計鳴るから、びっくりしないでね」




 僕は、彼女に背を向けて歩き出した。



 大丈夫、心配しなくても、君の想いは届いてるよ。

 だから君は――。



「のぞみ‼」


 気持ちを抑え込めずに振り返って名前を呼んでしまう。

 彼女はなぜか泣きそうな顔で僕の方を見ていた。

 ……そんな顔しないでよ。

 そんな顔されたら。


「良い、目覚めを」


 こんなことしか言えないじゃん……。










 彼は私に笑顔でそう言って。

 その直後、全身が光の粒子になって。

 やがて星の瞬きと共に。

 消えた。



 しばらくその場でたたずんでいると、光の粒子が1つだけ、風に揺られて私のもとに来た。

 それを掴む。

 私の手の中に収まったそれは、すぐに輝きを失って、消えた。


「私はやっぱり、あなたには敵わないな」


 なぜだかわからないけど、そう口にしていた。

















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