『フリーダム』を飛び出した後、私は完全に、何もかもをシャットアウトしていた。

 自分の部屋にこもって、もうどのくらいになるのかわからない。

 友里さんが心配して様子を見に来てくれたけど、そんな気遣いすら迷惑だった。

 とにかく、そっとしておいてほしかった。

 なんだかもう、何もかもがどうでもよかった。

 今の私の中にあるのは、やり場のない悲しさと、怒り。

 それだけだった。



 コンコン、というノックの音が聞こえた。

 出たくない。一人にさせて。

 そんな私の気持ちは尊重されるはずもなく、しばらくして誰かが話しかけてきた。


「のんちゃん? いる?」


 無視。

 だんまりを決め込む。


「入るよ」


 でも声の主はずかずかと私の部屋に入り込んできた。


「ふうん、まあまあきれいにしてんじゃん」


 潜っていた掛け布団から少しだけ顔を出して様子をうかがう。

 入ってきたのは岸井さんみたいだ。

 この前に見たときよりも顔色がよくなっている気がする。

 元気を取り戻しているように見えて安堵する。


「いるなら返事くらいしてよ」


 私を見つけるなり、岸井さんはそう言った。

 私は再び、布団に顔を引っ込める。


「私のことなんて、ほっといてください」

「えー? せっかく四季くんからもらったお菓子、一緒に食べようと思ったのに」

「いりません。だから早く出てってください」

「…………」


 軽くため息が聞こえた。

 ベッドが軽くきしむ。

 どうやら岸井さんが座ってきたようだ。


「まだまだ子どもだね。きみも四季くんも……私も」

「…………」


 急に何を言い出すんだろう。

 まあ、その通りなのかもしれないけど。


「ねえ、のんちゃん?」

「…………」

「……って、返事くらいしてほしいわけだが」

「…………」

「ま、いいや。私が言いたいこと、言っちゃうね。……きみはさ、四季くんのこと好き?」


 あまりにもストレートな質問。

 なぜかベッドの中で赤面してしまう。

 ”のんのん”のときはこんなこと言われても平気なのにな。


「あんな人……大っ嫌い」

「やっと反応してくれた。……それにしても素直な返事だね」

「あんな自分から逃げてるだけの怖がり、大っ嫌い。なんでもかんでもひとりで溜め込んで、私なんてずっと近くにいたのになんにも相談してくれないし……それがかっこいいとでも思ってんのかな?」


 ひとたび口を開くと、止まらなくなってしまった。

 昔から変わらない。

 私の悪い癖だ。


「でも……私のことはもっと嫌い。あんなに悩んでる四季くんに声を掛けてあげられなかった。悩んでるって気づいてあげることすら……できなかった……。私、毎日いっしょに過ごしてたのに……バカみたい……」


 目に熱いものがこみあげてくる。

 もう涙なんて、とっくに枯れ果てたと思ってたのにな。


「のんちゃん、きみは自分のこと責めたりなんてしちゃダメだよ」

「じゃあ、私はどうすればいいんですか? この……自分でもなにがなんだかわからない想いを……どこにぶつけたらいいんですか?」

「決まってんじゃん。あのバカにぶん投げてやればいいんだよ」

「そんなのできっこない。第一、四季くんは私の言葉を聞き入れようだなんて……思ってないんですよ……」

「それは違うよ」

「何が違うっていうんですか? どうせ私の過去、たんでしょう?」

「……四季くんはね、のんちゃん、君のことを守りたかったんだよ」


 少しだけ掛布団から顔を出して尋ねる。


「……どういうことですか?」

「自分がフレンズの研究を続けていけば、近い将来、自分の周りにはその影響が必ず及ぶ。でも、きっとのんちゃんにはそのままでいてほしかった。だから研究についてもほとんど話さなかったし、『一緒に荷物を背負う』ことも受け入れなかった。……それが、四季くんがきみを”人質”にした理由だよ」


 それが、私を”人質”にした理由……。

 やっぱり私、なんにもわかってなかったんじゃん。

 悔しさとか申し訳なさとかいろんな感情がぶつかり合って、気づいたら私はベッドのシーツをぎゅっと掴んでいた。


「………そんなの……勝手すぎる。勝手すぎるよ。私は……守ってほしいだなんて一言も言ってないのに……」

「きみは自分が思っている以上に、四季くんに大切にされてるよ」


 いなくなってまで私のことをこんなにも揺さぶるなんて。

 四季くんは卑怯すぎる。

 おかげで、あのとき言えなかった言葉とか、伝えられなかった気持ちとかが湧き上がってきてしまう。

 でも――。


「………でももう、四季くんは行っちゃった。私にはなんのスキルもないから何も伝えられない。だから伝えようとしても無駄、無意味だよ……」


 岸井さんは私の言葉を聞いて、少しだけ黙った。

 目を閉じて何かを思案しているみたい。

 しばらくして、目を開けて私に向き直った。

 その蒼い眼にすべてを見透かされているような気分になる。


「確かにそうだね。……無駄かもしれない。無意味かもしれない。でもね、私は思うんだ。……スキルっていうのは、みんなが持っているものなんじゃないかって。スキルコレクターには、世界を動かす力がある。だけど世界っていうのは、一人でできてるわけじゃない。ここで生きている全員の想いが重なり合って、世界をつくってる。誰一人として欠けてはいけない。誰かがいなくなってしまえば今のこの世界は崩壊してしまう。……ねえ、のんちゃん。”スキル”っていうのは、人それぞれの”想い”のことなんじゃないかな」


 みんなの想いが重なり合って、世界をつくってる、か。

 ここに生きている全員の存在は、無駄なものじゃない、無意味なものじゃない。

 そういうことなのかな?

 私は率直な疑問をぶつけてみることにした。


「……なら、今の私のこの気持ちも、無駄じゃないのかな?」

「うん、きっと!」

 

 岸井さんは自信に満ち溢れた笑顔で返答をしてきた。



 もし、彼女の言う通りなら。

 もし、この”想い”が無駄じゃないのなら。

 私は――。


「岸井さん……私……私ね? 四季くんにまだ、言ってない言葉があるの。伝えてない気持ちがあるの。それは、もう言っても届かない気持ちなんだって思ってた。伝えないまま、心の中に閉じ込めて、忘れようとしてた……でも……」

「のんちゃん、忘れ去られた言葉はね、伝えられらかった気持ちはね、それでも、想い続けていれば、いつかきっと、誰かが見つけてくれるはずだよ。今日、隠されてた四季くんの気持ちを、こうしてきみが知ることができたように……。伝えたいって思っていれば、それはきっと届くよ。……だから、早く行っておいでよ。四季くんのところ」

「……まだ、会えるかな……?」

「大丈夫! ぜったい!」

「……うん。……じゃあ、行ってきます!」

「あ、一つだけいい?」

「……?」

「私ね、親しい人には名前で呼んでほしいんだ」


 そう言って岸井さんは笑った。

 私もつられて笑顔になる。


「うん! 今度からそうするね! 七羽ちゃん」

「分かればよろしい。……それじゃ、行ってらっしゃい!」




 名京大病院に向かう。

 四季くんはきっとそこにいるはず。



 私は、坂本四季という人間が、大好きだった。

 憧れだった。

 でも今の彼は、光ることをやめてしまった星みたいに絶望している。

 私はそんな彼を突き放してしまった。

 大嫌いだって、そんなことを感情に身を任せて言ってしまった。

『言ってしまった言葉は、もう元には戻らない』。

 私の大好きなゲームキャラの言葉にこういう言葉がある。

 心に刻みつけていたはずなのに、なんで忘れてたんだろうな……。

 でもね、四季くん。

 だからこそ。

 だからこそ私は。

 もう一回あなたに会いたい。

 これは誰のためでもない、私自身のために。

 私は今、泣きたいくらい求めてる。

 叫びたいくらい望んでる。

 私のポラリスが復活するのを。

 ねえ、四季くん。

 ちょっとだけ、そこで待ってて。

 私が必ず、もう一度あなたに光り方を教えに行くから。

 今度は絶対に、光らせてみせるから。



『やりたいことをやりたいようにすればいい』。

 去年のあの日。私の時間が動き出した日。

 四季くんはそう言った。

 私が今、いちばんしたいことは――。

『私の”想い”を四季くんに届けたい』。



 これが私のやりたいこと。

 これなら、文句ないよね、四季くん。







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