織姫
ドアが開いて、お客様が入ってくる音がした。
「いらっしゃいませ‼」
「あ、あづい~」
まだ梅雨明けの発表もされてないというのに、外はまるで灼熱地獄のように暑い。
そんな地獄から逃げてきたかのように、岸井さんが『フリーダム』に来た。
「ななにゃん、いらっしゃいませだニャン♪」
「ああ、のんちゃん、こんにちは。……それにしても、暑いわね」
「でもここは涼しいから、ゆっくりしていくといいニャ」
岸井さんを席まで案内すると、いつものようにロールケーキを注文された。
どうやら彼女は甘いものに目がないらしい。
私が研究室にお邪魔したときもお昼ご飯と言ってメロンパンとクリームパンを食べていたし、冷蔵庫の中にも「岸井」と名前が書かれたチョコレートの箱が大量にあったのを覚えている。
ロールケーキを持って岸井さんが座っている席へと向かう。
「お待たせしました。ロールケーキだニャ」
「ありがとう」
「そういえば……明日は七夕だニャ」
「確かに……言われてみればそうね」
7月7日。
七夕。
年に一回だけ、彦星さまと織姫さまが会うことを許されている日。
なんか四季くんが好きそうな年中行事だなあ。あの人、ロマンチストだから。
まあ、そうじゃなくてもロマンを感じるのは確かだけれど。
岸井さんが訊いてくる。
「ここでは何か催し事とかやるの?」
「うーん、考えてニャいけどなんもしないっていうのも寂しい気はするニャ。織姫さまコスでもしようかニャ。ななにゃんもしてみないかニャ?」
「え? 私?」
「うん! 絶対似合うニャ!」
「丁重にお断りさせていただきます」
「ニャンで?」
「だってそんな……恥ずかしいよ、コスプレなんて」
「始めだけニャ」
「その始めが嫌なの!」
「フニュ~、残念ニャ」
岸井さんのコスプレ姿、ちょっと見たかったんだけどな……。
「ねえ、のんちゃんは短冊に願い事書いたりするの?」
「うん! 当然ニャ」
「なんて?」
「うーん……」
今の私の願い、は――。
「もちろん、『この喫茶店が全国でいちばんのメイド喫茶になりますように』って、毎年書いてるニャ‼」
「はいはいそうでしたそうでした」
「そういうななにゃんはどうなのニャ?」
「私は――」
岸井さんは言いかけて黙ってしまった。
「やっぱ恥ずかしいから言いたくなーい」
その様子ががんばってウソを隠し通そうとする小学生みたいで、女子高生の私から見てもかわいい。
それでついついいじめたくなってしまった。
「ニャ、ニャんてこと! ななにゃんがのんのんに隠し事をするだニャンて……そんなの許せないニャ! こうなったら……こちょこちょこちょこちょ‼」
「ひゃっ! や、やめ、ひゃっひゃっひゃ……急に……」
「やめてほしかったら言うのニャ!」
「わ、わ、わかったから! くすぐるのは……やめ、て……!」
私は彼女から手を離す。
「はあ、はあ……もう、この借りはいずれ返す……」
そんなことを言いながら岸井さんは息を整えている。
「それで? ななにゃんは何をお願いするのニャ?」
「私は……『”いつも”が永遠に続きますように』って、お願いする」
「『”いつも”』……?」
「うん。私はさ、”幸せ”から嫌われてるんだよね。私が『幸せだな』って思ったら、その”幸せ”はいっつもすぐに壊される。だからね、不安なの」
「不安?」
「今が幸せすぎるの。竜持くんがいて、四季くんがいて、健斗くんがいて、のんちゃんがいて……。いつもが楽しくて幸せなんだ。だから、この”いつも”が壊されちゃうのが、怖いの……」
「ななにゃん……」
「…………」
私は彼女のように”過去を視る眼”がある訳じゃない。
だから彼女の過去に何があったのかはわからない。
だから私には、彼女を元気づけることしかできない。
たとえそれがどんなに無意味なことでも、それでも私は――。
「ななにゃんもとんだ厨二病患者だニャ! 今、すっごく恥ずかしいこと言ってるって自覚してるニャ?」
「なっ、だ、だから恥ずかしいから言いたくないって言ったじゃん!」
「自分から”幸せ”が逃げていくなんて、妄想癖も大概にした方がいいニャ! それはきっと、ななにゃんが優しすぎるから、誰にも傷ついてほしくないから、自分を犠牲にしてるってだけニャ」
「そんなこと……ないと思うけど……」
「でも、毎日楽しいこと考えて生きてれば、きっといいことだらけニャ!」
「……のんちゃん……単純すぎ」
「『単純なことこそが、最も真実を表している』のニャ」
「誰の言葉?」
「のんのんの言葉ニャ!」
「はいはいそうですか」
岸井さんの顔が柔らかくなっていく。
明日は晴れ予報だった気がする。
彦星さまと織姫さまもきっと、会えるよね。
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