寒気

 気づくと、誰もいない真っ白な壁の部屋にいた。

 意識はもやがかかったように、まだはっきりしない。

 ここはどこ?

 私は、なんでここにいるんだっけ?

 ええと確か――。



『フリーダム』で使うケチャップを切らしちゃったから駅前のスーパーに買いに行ったんだよね。

 それで帰って来たらお店の前に岸井さんがいたからお話ししてて……。



 ぼんやりしていた意識が徐々に戻って来た。

 ……私、攫われたんだ。

 でも誰が? なんで私を?

 とにかくここから出なきゃ。


「…………っ!」


 私は椅子に縛り付けられていて、動けなかった。

 これは……相当まずい状況なんじゃ……。



 その時、部屋のドアが開いて一人の男が入ってきた。


「あなたは……」

「久し振りだね。のんのんちゃん」


 私はその男のことを知っていた。

 私を他のメイド喫茶に引き抜こうとして、一時期、毎日『フリーダム』に来てた人だ。


「これはなんの真似……かニャ?」


 一度、深呼吸をしてから尋ねた。

 大丈夫。

 ニャンニャン語を使えるくらいの余裕はある。


「決まってるさ。君を助けに来たんだよ」

「……?」


 そういうと、彼はタブレット端末を私に見せてきた。

 そこに映っていたのは『フリーダム』の外観。


「君が勤めているこの店。ここはもう少しで爆破騒ぎが起こる。僭越ながら、爆弾を設置させてもらったからね。もちろん、誰が爆弾を持ち込んだか、証拠は出ないように細工したよ」

「そんなこと……許されるはずないニャ! ニャンでそんなこと……?」

「この店がなくなったら、君は私の店で働くしかなくなるだろう?」


 普通そこまでするかよ……。

 寒気を感じるくらいの嫌悪感を覚えた。



 男は腕時計を確認する。


「あと5分ってところかな。爆発まで」


 どうにかしてお店を守らないと。

 いや、もうお店は無理かもしれないけど、せめて『フリーダム』にいる人たち――友里さんとかバイト仲間とかお客様――には知らせないと。

 でも、拘束から抜けようとして身をよじっても、まったく逃げられる気配はない。


「逃げようとしても無駄だよ。ここで大人しく、君の居場所が焼けるのを見るんだ」


 薄ら笑いすら浮かべながら、男は私に言う。

 もう我慢ならなかった。


「……なんで? なんで人の大切な場所を奪うの?」

「さっきも言ったろう? 君が欲しいからだよ」

「そんな風に人のことを物みたいに扱って……」

「物だなんてとんでもない。現に今、私はこうして君を爆発から守っているじゃないか」

「これは守ってるなんて言わない! どうせあなたはこうやって、こんな汚いやり方を使って何人も引き抜いてきたんでしょう? 人の気持ちを踏みつけにして」

「汚い? ずいぶん口の悪いメイドさんだなあ。私の店で働けば人気が出る。人気が出れば給料もあがる。それの何が悪いんだい?」

「やっぱりあなた、人のことロボットかなんかと勘違いしてるんじゃない? そんなロボットさんたちばっかり働いてるお店は、さぞかし活気がないことでしょうね!」

「貴様っ……!」


 すごいスピードで男の大きな手が目の前に飛んできて。

 私は思い切り張り手を食らった。

 目の前がぐらりと揺れる。


「……ちょっと挑発しただけですぐビンタするとか……あなた短気なのね。よくそんなので経営者務まりますね」

「あんまり私を怒らせるのは良くないよ」


 そう言って彼は拳銃を私の眉間に向かって構えてきた。

 心臓が跳ね上がる。

 今度は恐怖で悪寒がした。

 なんせ拳銃を見るのとか初めてだし、それが私に向けられているんだから。

 でも、私は男のことを睨みつけたまま、必死で目を逸らさずに耐える。


「……拳銃とか爆弾とか、あなたそんなの持ってると捕まりますよ?」


 それは、精一杯の皮肉だった。


「まあ、撃ちたければどうぞ撃ってください。私、このお店がなくなっちゃったところで別にあなたのお店で働こうだなんて思いませんし」


 それは、精一杯の強がりだった。

 言ってしまってから、少し後悔した。

 何も自分で死にに行くようなこと、しなくて良かったんじゃないかって。


「この……」


 拳銃からガチャリと音がする。



 自分がドラマかアニメか、創作物の中にいるような錯覚に陥る。

 もし物語なら、ここで誰かが助けに来てくれるはずなんだけど……。

 ここは現実。そんなことはないか。


「もう時間だ。居場所がなくなって悲しがる君をゆっくり見てから、君を殺すとするよ……5、4、3、2、1……ゼロ」



 爆発は起きなかった。



 男が慌てて誰かに電話をかける。


「おい! どうなっている! もう時間のはずだぞ」

『すいません、ボス! こ、こ、こいつっ、ぐ、ぐぁーーっ!!!』


 モブキャラのいかにもモブっぽい悲鳴が電話から漏れてくる。


「くそっ! どういうことだっ!」


 男が叫んだ時――。



 また寒気がした。

 でもそれはさっきまでとは違って、空気中が冷えていることから感じる寒さだった。

 暖房の故障かな……。

 そんなことを考えて――。



「こういうことだよ」


 部屋の壁面がまるで氷が壊れたときのようにバラバラになって――。



 そこには、悪魔がいた。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る