素顔
午後10時前。
私は、閉店間際の『フリーダム』の掃除をしていた。
今日もまた、何事もなく一日が終わっていく。
明日は9月27日。
ちょうど一年前から、私は毎日、同じような気持ちに襲われる。
何とかしないといけないって気持ちと、自分は安全なところにいたいっていう気持ちとがごっちゃになって、最終的に何もできずに一日がまた終わる。
そんな日常に
そんな自分が怖い。
いつか感情がなくなって機械のようになってしまわないかとか、ありえないことを考えてしまう。
まったく、どうかしてるな……。
唐突に、ギギーっとお店のドアが開く音がした。
目を向けると、青いパーカーの男の子が立っていた。
「ごめんニャさい。もう閉店のお時間なのニャ」
「うん、知ってる」
その声には聞き覚えがあった。
「……もしかして、エスにゃん?」
「ご名答」
エスさんは優しく笑った。
「どうしたのかニャ? ニャにか、忘れ物でも?」
「ううん。僕はね、君と話そうと思って来た」
初めて聞くエスさんの普通の口調に新鮮さを感じる。
「……話す? って、ニャにを?」
「峻平くんについて、君に知ってることを話してもらいたい」
「……兄者が……どうかしたのかニャ?」
「分かってるくせに。顔に出てるよ」
どうやら本当に、私は顔に出やすいタイプらしい。
そうじゃなくても、彼に秘密を隠し通せる自信が、私にはなかった。
「……わかったニャ。とりあえず、座ってニャン」
「あ、時間、平気?」
「問題ないニャ。何か飲むかニャン?」
「え? ああ、いいよ。気にしなくて」
「まあそう言わず」
「じゃあ、あったかいカフェオレ、頼みます」
「了解ニャ。準備してくるから、ちょっと待っててニャ」
スタッフルームに駆け込む。
私の慌ただしい様子を見て、友里さんが尋ねてきた。
「なにかあったの?」
「……うん。エスにゃんがのんのんと話をしたいそうだニャ」
私はメイド服から私服に着替えながら続ける。
「ニャから、遅くなりそうです」
そしてピンク色のツインテールのウィッグを頭から取った。
「鍵は閉めておくので、先に帰ってもらってていいですか?」
「長くなりそうなの?」
「はい、たぶん」
「……わかった。でも無理はしないでね」
「わかってますよ」
急いで厨房に戻り、カフェオレを準備する。
佐田さんのことについて話す。
いつかやらなくちゃいけなかったけれど、避けて通ってきたこと。
私は、1年前のあのことについて、話したくなかった。忘れてしまいたかった。
でもどうしても忘れることはできなくて。
むしろどんどん苦しさとか悲しさとかが増していって。
でも誰にも話さなかった。
話すと、また思い出してしまいそうだから。
だけどほんとは、誰かに話したかった。誰かに言ってしまって、楽になりたかった。
温かいカフェオレを持って、エスさんが待つ席へと向かった。
普段、”のんのん”しか知らない人に”のんのん”ではなく”私”自身として接するのは緊張する。
心臓がバクバク音を立てている。まるで耳の隣に来たみたい。
でも、これはチャンスかもしれない。
変えなきゃいけない何かを変える、チャンス。
だから、私は――。
「お、お待たせ、しました……カフェオレ、です……」
エスさんは私の方を見て、少し驚いたような表情をした。
けれどすぐに、いつもの”何を考えているのか読めない”表情に戻った。
「ありがと。……ショートカットも似合うじゃん」
「お世辞はけっこうです」
「いや、わりとまじで。僕はかわいいと思う」
ストレートに言われて、だいぶ照れる。
「そ、その話はいいですからっ、本題に移りましょうよ」
「……別に無理に丁寧に話そうとしなくて大丈夫よ」
「……んじゃ、お言葉に甘えて。それで、佐田さんについてって……」
「その前に、改めて自己紹介しよっか。ほら、お互いいつもはヤバめなヤツだし」
「……うん、わかった」
自己紹介は気が引けるが、エスさんの正体を少しでも知っておきたい気持ちが勝った。
「じゃあ僕から。僕は、坂本四季っていいます」
「しき、さん?」
「そ。フォー・シーズンズの四季ね。断じてデス・ピリオドではないから」
「そりゃそうだ」
「んで、君の名前は?」
「私は――」
この人には、私のすべてを知ってもらおう。
不思議と、そう思えていた。
「――私は、中原望海です」
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