猫Ⅱ

お店の奥にある応接室に向かうと、スーツ姿の男の人がソファに座っていた。

彼は私に気付くと、にこやかに話しかけてくる。


「のんのんちゃん、どうだい? 私の話、考えてくれたかな?」

「お引き取り願うニャ」


私はその話題について話す気はない。

だから早く帰ってほしかった。


「あなたもとんだ分からず屋だニャ。のんのんはもうここ何日かずーっと、おんなじこと言ってるニャ。のんのんは、あなたのお店で働く気はありません。だから帰ってニャ」


男の人は、だいぶ前から毎日ここに足を運んできている。

その人の目的は、私だ。

いや、私であって私じゃない。

”のんのん”が欲しいのだ。

のんのんを自身がプロデュースしている秋葉原のメイド喫茶に引き抜こうとしている。

でも私は、その提案を断り続けていた。


「……のんのんちゃん、君も頑固だね。そんなに私のお店、悪くないと思うけどなあ。給料だってここよりも高いだろうし、何より秋葉原は萌えの聖地だよ。君なら、そんなレベルの高い場所でもトップクラスの人気メイドになれるんだけどなあ」

「そんなの関係ないニャ」

「ねえ、前から訊こうと思っていたんだけど、どうして君はそんなにに固執するの? 自分の可能性を自分で閉ざしてるって感じたことはないの?」

「私は――」


素の私が出かかって、慌てて言葉を切る。


「のんのんは、この武蔵小杉に舞い降りたプリンセスなのニャ!!! だから、ここ以外では働けないのニャ!!!」




昔から、かわいいものが好きだった。

だから私も、かわいくいたかった。

でも私は、笑うことがあまり得意じゃなくて、周りの大人たちにも可愛げがないって言われていた。

実際、そうだと思う。

私の友だちはみんな、私よりもかわいい。

そんな自分が嫌で、自分もかわいくなりたくて、私は猫をかぶるようになった。

いつも傍若無人で、他人のことを振り回して、自分のことばっかり考えてるのに、みんなからもなぜか愛されるような……。

”のんのん”はなりたかった自分。それは、なれない自分だともわかってる。

でも、私は『フリーダム』でバイトしているときが、一番楽しい。

この場所が好きで。ここにいる人たちが好きで。ここに来てくれるお客さんたちも……。



私は、自分が好きな場所にいたいってだけ。

もしそれで、自分の可能性を閉ざしてるんだとしても、私は、ここから離れたくない。

自分のやりたいことをやることの、何がいけないのかな。

それを邪魔なんてされる筋合いはないと思う。



「しょうがないな。そこまで言うんだったら、出直してくるよ」


男の人は鞄を持って、出口へと足を進める。


「……今度は、嫌でもうちで働きたくなるようにさせてあげるから。それじゃあ、また」


よくわからない言葉を吐き捨てて彼は帰っていく。


「……二度と来んな」


その背中に、誰にも聞き取られないような小さな声で、そう言った。


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