Episode 1-9


二人の足は、講堂へと向かっていた。

この町で大きな施設のひとつである。ドーム状の丸屋根がついた、白とグレーを基調とした建物だ。どことなく外観は、広島県の原爆ドームを彷彿とさせる。

普段は音楽祭を開いたり、一般イベントの会場として解放されたり、そして天啓の腕団のミサの場であったりする。

普段はホールのひとつを借りて、「ミサ」が行われているはずだ。


「ミサって普段何してんの。洗脳?」 

名月は傘を閉じて、ぶるぶると震わせた。水飛沫がぱらぱらと玄関口に散る。

「や。なんか、フツーのキリストさんのミサみたいな感じ」

「それすら分からん」

「じゃあ分かんなくていいよ、うるさくしなけりゃ何も言わないさ、向こうも」


ミサはさほど、複雑な内容ではない。

彼らの信奉する「神々」を讃える言葉を唱え、ありがたい説法を聞き、時に募金を募り、オリジナルの讃美歌を歌い……といった具合であるらしい。

そっと足音をしのばせ、会場へ向かう。説法の時間らしく、今回の担当をつとめる西澤潤一にしざわじゅんいちが、子供達に「教え」を説いている。


「皆さま、昨日も一日、よい子にしていましたか?——結構、腕を下げて。

皆さんの行いは、神様が雨雲の上から、しかとご覧になっておられますよ。

皆さんが良い子にしていれば、いつか天上におわします我らの神が、慈悲の手を差し伸べてくださることでしょう」


落ち着いた声色が、広いホールに響いている。

マイクを使っていないはずなのに、西澤の低い声は、天井や長椅子の並んだ座席を覆うように広がっていく。

久芳と名月は、そっと身を屈めて移動し、ホール全体を見回せる位置に移動してミサを眺めていた。

ホールの前列では子供達が数十人並んで、西澤の話を食い入るように聞いたり、眠い目を擦っていたり、舟をこいだりしていた。


「けれど、教えを守らぬ悪い子は、いつまでたってもこの雨空の下に置いてきぼりです。それは嫌でしょう?

 この雨は天からの恵みであると同時に、我々に対する試練でもあります。それをゆめゆめ、お忘れなきよう」


はあい、と子供達が力強く、ばらばら手をあげた。

西澤は満足し、説法を得る。その後、子供達が「さん、はい」の調子で、天啓の腕団の「教え」をとなえはじめた。


「ひとつ!めぐみのあめに、かんしゃすること!」

「ひとつ!よるおそく、あまぞらのしたにでないこと!」

「ひとつ!かみさまと、しんぷさまのいうことは、ぜったいまもること!」

「ひとつ!かみさまをうたがったり、しないこと!」

「ひとつ!わるいひとには、かみさまのかわりにばつを!」

「ひとつ!かみさまがえらぶのは、いちばんえらいこ!」

「ひとつ!しんじるひとは、かならずすくわれる!」

「きょうもおしえをしっかりおぼえて、すてきないちにちをすごしましょう!」

 

この後も、しばらく説法が続く。どこかで聞いたような、有難い奇跡や教訓の話。

天啓の腕団のメンバーたちが遭遇した、どうにも信じがたい奇跡の話など。

「怖気立つ光景けしきだな」と名月が毒づく。名月は宗教の類を毛嫌いしていることは、久芳も承知だが、「静かに」と軽く窘める程度にした。

特に興味も持てず、久芳はポケットの中に手を突っ込んだまま、ピアスを指先でいじくっていた。

ミサが終わると、子供達は講堂の隣にある食堂へと駆けこんでいく。

残ったのは、西澤のみだ。

正直、話をしたい気分ではない。けれど母のこと、町の秘密の鍵を握る相手だ。

怖気ついてもいられない。


「ふう……」

「ちわっす」

「あ。やあ、久芳くん。来てくれたんだね、嬉しいよ。たまにはこういうのもいいだろう?」

「まーたまにはね」 


愛想のいい笑みを浮かべる。

大人相手に社交辞令を使う日が来るとは、思ってもみなかった。

西澤は人のいい笑みを浮かべ、髭をたくわえた顎を撫でつつ、ちらと名月を見やる。

しかしまるで興味を示す事なく、視線は久芳に戻された。


「ただ、黙って家を出たまま帰らないのは、よくないぞ。寮母さんが愚痴っていたよ」

「え~……ガキじゃないんだからちょっとくらい、なあ」

「いくら成人しているとはいえ、君もあの家の仲間の一人なのだから……」

「あーだーだーわかったわかりました、次から気ぃつけます。

 そんで……あのさ、ちょっと話したいんすけど」

「む、なんだい?」

「人にあんまり聞かれたくない話」

 

久芳がそう言うと、西澤はまたも顎を指で撫で、着いて来なさいと手招きする。

名月に視線を寄越し、着いていけば、倉庫の一つに通された。

この倉庫に人が足を運ぶことは殆どない。人目を避けた内容を話すにはおあつらえ向きというわけだ。

電気をつけ、埃っぽい空気の中、西澤は振り返る。

 

「話とは?」

「…………昨日、母さんと喋ってさ」


西澤は目を見張り、しばし沈黙に包まれた。

思ったより動揺が少ない。久芳は言葉を飲み、西澤の反応を待つ。

言葉をどう出したものか、と悩ましげな表情を浮かべつつも、西澤は続けて、のポーズをとる。

久芳はつとめて、言葉を選ぶ。


「あんたが手助けしてくれるっていうから、力を貸してほしくて。俺を……」

背後に隠れている名月を見やり、「……俺とナツキくんが此処から出るための」と言葉を締める。

西澤は暫し悩む仕草をし、うむむ、と短く唸った。


「……なるほど。彼女が。そうですね。まずは、私の話を聞いていただきたく。

 貴方には知る権利がありますからね」


西澤は、静かに語りだす。

彼がこの町に足を踏み入れたのは、20年前のこと。

若い頃の西澤は、科学者として活動していた。彼は「魂」というものを科学的にアプローチし、その実在の是非を証明しようと研究していたが、オカルティック極まるテーマで具体的な研究成果を出せるはずもない。

研究そのものも行き詰まり、学閥のいざこざに巻き込まれたり、借金などをこさえるうち、彼は所属していた大学を去った。

何度か就職もしたが、肌に合わず、各地を転々とした。そのうち、あてもない旅をする風来坊となったらしい。

そうして金も尽きて行き倒れていたところを、東院アンナに助けてもらい、その後紆余曲折あって天啓の腕団に所属することを決め、この青海に移住した。

元々、真面目な気質で仕事熱心な性格であった西澤は、みるみるこの地位にまで上り詰めた。


「だが、私は組織の内情を知りすぎた。現状、他の団の幹部たちに疑いの目を向けられていて、動き辛い立場にあってね。

 私はこの町の真実の一端を知った。この場では迂闊に明かすことも出来ないほどの、おそろしい真実を。

 それを君達に、代わりに外へと持ち出してほしい。

 それが私の願いであり、外に出るための条件だ」


そう告げて一度、西澤は言葉を切り、久芳の目を見据えた。

黒々とした眼が二つ、夜のような色から、真意を読み取るのは難しい。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る