Episode 1-8
——目を覚ます。 変わらず、今日も雨。
じっとりと寝汗が首筋を伝う。
汗の匂いを振り払い、体を起こす。下敷きになっていた名月は、まだ夢の中。
じ、っと顔を見つめる。悪夢でも見ているのか、魘されて、眉間の皺を深めていた。
名月はいつでも眉間に皺を刻んでいる。ほっぺをむにむに触ってみた。ほどよいハリと柔らかさ。
気が済んだので、携帯電話を見る。時刻は早朝の4時半。
思えば、眠りについたのは夜の十時あたりだ。夜更かし常習犯にしてはよく寝た方である。道理で目がさえるわけだ。
シャワーを借りることにする。ユニット式の狭い風呂だが、ないよりマシだ。
「久しぶりに昔の夢見たな……」
寝ぼけ眼で、シャワーを浴びる。
名月と出会った日を思い出した代わりに、何か忘れている気がする。
この町では、知らず内に何かと忘れてばかりなのだから、致し方ないのかもしれないが。
けれど、喉まで出かけた「何か」に唸りながら、鏡を見る。
相変わらず、整ってこそいるが、陰鬱な顔をしていた。
「…………」
頭が上手く働かない。顔を乱暴に洗って、シャワーの栓を閉めた。
脱衣所から出ると、ようやく起きたらしい名月が、ノロノロと朝食がわりのレトルト食を引っ張りだしている。
この町で買える、安くてカロリーだけの携帯食に近い食べ物だ。お湯にさらしてインスタントに食べられる。
味に関しては文句は言えない。料理が得意ではない身としては、食べられる味なだけまし、というものだろう。
「おはよ」
「はよ」
「どれ食う?」
「何でもいーや」
名月はふーん、とそっけなく返すと、具入りのスープにお湯をついで、缶詰パンと共に、ずいっと差し出す。
静かな朝食だ。簡単な朝ごはんなので、完食に五分もかからなかった。
名月は食事が遅いので、いつも十五分はかかる。
シナモン味のする缶詰パンを噛みちぎり、名月は烏龍茶で流し込む。
「で、講堂いくんだっけか」
「うん」
「西澤の野郎なんざ、アテにできんのかなあ。胡散臭ぇオッサンだろ」
「さーね。でもこれくらいしかないんだろ、方法って」
「ちぇ。俺もシャワー浴びてから二度寝しよ。流石に早起きしすぎたわ」
名月は適当に着替えとタオルを持って、風呂場に向かう。
彼の背にちら、と目をやり、やっと喉から出かかった疑問が浮かび上がった。
彼のうなじにあった、妙な番号。あれは一体なんだろう。
自分の体にも、同じものがあったりするのだろうか……と考えたが、そんなものは見たことがない。
問いただそうかとも思ったが、なんとなくはぐらかされるような気がして、結局指摘することも叶わず。
暇だし、漫画でも読んで時間を潰すか。
そんなことを考えながら本棚に向かった時、本棚と箪笥の隙間から、僅かに何かのぞいている。
「ンだこれ。ボロいな」
落ちていたのは、彼の日記のようだ。
ぱらぱら捲ってみる。三日坊主らしく、あんまり真面目に書いていないらしい。
日付などを見るに、未使用だった昔の日記帳を再利用しているらしい。
どちらかといえばメモ代わりのようだ。
シャワーの音が聞こえる。トイレに駆け込み、鍵を閉め、便座に座り込んだ。
日記を見られたなんて知ったら、怒鳴られるだろう。
日付はあてにならなさそうだ、と思いながらも、──好奇心から、そのページを開いていた。
◇
記録。ヒサを確保した。
俺が見たものが未だに信じられない。俺はちゃんと正気なのかも分からない。
不用意に連れて帰るべきじゃなかったかな。
でもまともに会話すら出来なさそう。害はない……と思いたい。
やっと話せるようになってきた。
といっても簡単な言葉くらいだけど。しきりにべたべた触ってくる。
こんな時、どんな気持ちを抱くのが正解なのだろう。
バレた。逃げないと。
ヒサが変なことを言い始めた。この町はヘンだって。
お前の方が変なんじゃないのって言ったらキレてた。
真面目に話を聞いてやったけど、どうにもピンと来ない。
……そういえば前の日記、俺はどこに仕舞ったんだろう?
近頃、すぐに呼吸が浅くなる。頭痛もひどいし、膝や肘から先に切り落とされたような痛みが襲ってくる。
昔の嫌な夢も見る回数が増えた。
薬を貰っているけど、何故だかあんまり飲みたくない。
俺、本当にただの病気なのかな。
もしかして、長生きできないのかもしれない。別にいいけど。
ヒサの言う事が、段々と真実味を帯びてきたように思えてきた。
近頃、町の人たちが奇妙にも無機質的に思える。まるでゲームのNPCと喋ってるみたいだ。
今まで意識してこなかったけど、この町の人間は、どこかお互いに興味を持っていないようにも思える。
気持ちが悪い。ちゃんと人間だと思える相手が、ヒサしかいない。
もうすぐヒサの誕生日らしい。
アイツに欲しいものなんてあるのか?あんまりピンとこない。
飯をたかってくるようになっただけ、昔より分かりやすいかもしれないけど。
「あれっ」
──数ページほど、無い。
乱暴に何か書きなぐったり引き千切ったような痕跡だけが残されている。
次のページには、濃く何かを書き殴った溝が刻まれ、その上から記録を綴っている。
どれもこれも、本人の口から聞いた事すらなかった。
名月は一体何を隠している?
ヒサにピアスをあげた。忘れないようにしよう。
あいつが付けてこなかったら、きっと忘れてるんだ。前みたいに。
俺は絶対忘れないようにしないと。それが、あいつらとの約束だから。
早くここから逃げないと。
「……なんだよ、これ」
日記はここで終わっていた。
拍子抜けした気持ちで、トイレを出る。そっと部屋を覗くと、名月は髪も乾かさずにソファで眠りについていた。
風邪引くぞ、と声をかけようか迷い、本棚の奥に日記を押し込んで、名月の側に近寄る。静かな寝息を聞きながら、荷物を整理する。
その時、ころりと何か転がり落ちた。見れば、自室のベッドから見つけたピアスだった。いつ持ってきてしまったんだろう。
日記の一文が蘇る。──ヒサにピアスをあげた。
「いやいや、まさか」
ヒサなんて名前の人間はいくらでもいる。
カズヒサかもしれないし、ヒサノブかもしれないし、ヒサギかもしれない。
自意識過剰かもしれない。考えすぎかもしれない。
けれど、と一方で思う。名月が「ヒサ」と親しく呼ぶ相手なんて、あまり想像がつかないし、心当たりもない。
ピアスをポケットに突っ込み直し、部屋の隅に転がっている小さなドライヤーを手にした。
「ナッキー、髪濡れたままだと風邪引くよ」
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