Episode 1-10
「……真実、ねえ。そんな大それたもんなわけ?」
名月が胡乱げな声で呟く。
半信半疑といった面持ちで西澤を睨むものの、それ以上は何も続けなかった。
久芳もまた、真実、と唇の動きだけで西澤の言葉をなぞる。
今の所、彼は身の上語りをするばかりで、肝心の「真実」とやらを話す気配はない。
或いは話せないといったところか。
それにしたって、市ひとつを半ば占領同然に支配下に置く、天啓の腕団は何者なのか。確かに、この市内に限って、天啓の腕団の服を見なかったことはない。
雨と暗雲に覆い隠されたこの町に、一体何が隠されているというのか。
「私は、この町の子供達が心配だ。彼等を放っておくこともできない。
だから、若く、行動力あふれる君達に「秘密」を託したいのだ」
「……俺らが出られる保証はあるの?」
「私は曲がりなりにも幹部さ。この町を出るための、独自のルートを確保している。
彼女……アンナの協力もある。
間違いなく、とまではいかないが、この町を出るための勝算はある」
「その真実だかなんだかが露わになったら、ここにいる奴らは……」 と久芳。
「……どうなるか、それを君は心配しているのかい。
出来る限り、守れるように尽力はするさ。しかし、全ては天運に身を任せることになるだろうね」
その時、久芳の脳裏によぎったのは、弟のことだった。
病室の片隅のベッドで、呆と植物のように生きる、能面のような少年。
介護もなしに、誰かの助けなしに生きることが出来ない、血を分けた弟。
曲がりなりにも大事な弟だ。放ってはおけない。
「……
「それは……不可能だ」 西澤の声に、やや焦りと厳しい色がうかがえた。
「なんで」
「脱出できるのは、”2人まで”だ」 西澤は二本指を立て、久芳に突きつける。
「弟さんを連れて行きたいなら、そこの彼を代わりに置いて出ていく他ないよ」
「……!」
緊張が走る。
この気味が悪い町を捨て、「外」に出られるのは、二人だけ。
選ばなくてはならないのだ。ろくすっぽ動けない弟か、共に外に出ると約束した
久芳は固い顔のまま尋ねる。
「…………なんだって2人なの?」
「単純な話だ。君を脱出させるにあたり、誤魔化せる人数が、あと1人だけ。それだけなんだ。
……諸々。複雑な事情はあるのだがね。分かってくれ」
あー、と声を漏らし、久芳は共感するように頷いた。
「分かるよ。多分俺一人だけでも大変なんだろ。
……一番不安なのがさ、俺が"忘れる"ってことなんだけど。
今も正直あやふやでさ、手がかりがあったから来たみたいなもんだから……」
西澤は、一瞬目を反らし、一人ぶつぶつと何か考え込む所作をする。
「これも試練か」「しかし彼に成し遂げられるだろうか……」と含みのある言葉を漏らしつつ、やがて彼の中で結論を出したのか、向き直る。
「?」
「……君や、町の住民らが記憶障害を起こす理由。そして町が見張られている原因。
それは、天啓の腕団が秘密を握っている」
「……あんたは知ってるの?」
「君に、真実を知るための勇気と行動力があるのなら。
私は、その道を示そう。具体的には、君が本部へと向かい、何を為すべきなのかを、だ。
この場で全ての答えを明かせない理由も、敏い君なら察してくれるだろう?」
「……乗り込んで自分でかっぱらってこいってか」
「そういうことさ。どこに耳があるものか、分かったものではなくてね。
幹部というのも、楽じゃない。風来坊の頃の方が、まだ自由だったな。
……のるかい?この話」
一瞬の沈黙。名月はますます怪しむような視線を向けていた。
久芳は決断に窮した。まだ、疑問は多い。
彼は組織の深部と繋がる人物だ。彼がその秘密を外に持ち出したい理由とは、いったい何なのか。
その秘密を外に明かして、何の利があるというのか。
けれど一方で、「だから何だというのか」という感想も抱いていた。大人の、難しい宗教の世界に興味はない。
自分はただ、この不気味で陰鬱で湿っぽい町から、さっさと出たいだけだ。
この町に居座る時間が増えれば増えるほど、自分が何者なのか、自分の在りようがどうだったかさえ、雨に流される気がした。
「これはただ聞きたいだけなんだけどさ。俺の母さんのこと、どう思ってる?」
そう問われると、西澤は少し困ったように逡巡すると、眉尻を下げて笑う。
言葉に悩んだようだが、「信ずるに値すべき、すばらしい人だと思うよ」と、屈託なく、彼は言い切った。
「俺と……俺と之茂を捨てたのに?」
「ふむ、君の目にはそう映るか。
だが、彼女は一日たりとも、息子を忘れたような素振りは見せなかった。誓って本当だよ。愛情深い人だ。
恨むなとは言わないが、彼女にもきっと、やむにやまれぬ何かがあったのだろう」
「"神に誓って"?」
「無論、誓うとも」と西澤はよどみない口ぶりで返す。
「……そっか」
そんな会話を横目に、名月はふわわ、と呑気に欠伸をもらす。
「で、結局どーすんだよ」と不機嫌な声で会話を遮る。よほど此処から出たくてたまらない、といった苛立ちを露わにしていた。
「……やるしかねーじゃん。それしかないんだろ」
「ん。お前が言うなら、俺もやる」
「……着いてきてくれんの?やさしー」
「やることねーし」 そう答える名月だが、答えには少々間があった。
「あはは、わかる」
二人が意思を示すと、西澤はあるものを差し出した。
バーコードのようなものが描かれた薄いプラスチックのカードと、太陽のマークが描かれた円形状のコンパクトのようなものだ。
コンパクトのような何かは、天啓の腕団のメンバーだけが持つことを許された、いわゆる会員証のようなものだ、と西澤は説明する。
この会員証を保持する者は、本部の出入りを許されているという証明でもある。
プラスチックのカードは、本部のあらゆる部屋を行き来するためのカードキーだ。
「私は幹部だからね。ほぼ大体の部屋を、このカード1枚で網羅できる。失くさないよう、気を付けて」
「りょーかい」
「君達の目で真実を見て、この場所を「理解」するといい。
あの組織の内情をどう判断するか次第では、私は味方にもなるし、敵になりうるかもしれない。任せたよ」
「はーい」
「とっと行こうぜ」
「せっかちかよ」
「うっせえノロマ、ぐだぐだ話しやがって」
外に出るなら、どのみち母親に会う事になるのか。
なんとなく微妙な、面映ゆい思いを抱えて、講堂を出ていく。
今頃、講堂の食堂では子供達が、ミサに参加した時にしか食べられない「ごちそう」で腹を満たしているのだろう。
近頃は食事を楽しむ行為も、あまり記憶に残っていない。
ふと、名月が久芳に問う。
「お前さ、弟と出ていくわけ?」
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