第11話

「でさ、あたしは思うわけよ。待ってるだけじゃ実るものも実らないって」


 豚バラをしゃぶしゃぶしながら、桃花が高説垂れる。

 私と違って恋愛経験豊富な桃花が言うことだし、一理あるのだろうけれどいつもよりも絡みがウザい。


「てかほのか的には、恋人欲しいとか思ったりすんの?まず、そこんところどうなの?」


 桃花は豚バラをポン酢にくぐらせて口に運ぶ。

 私も彼女をまねて、まずは豚バラをしゃぶしゃぶ。


「まぁ人並みには欲しいと思ってるわね。一刻も早く欲しいとか、そういう感じじゃないけれど」


 正直に言えばとっても気になる、というか大事な話ではあるのだけれど、私はしゃぶしゃぶの作法を桃花から見て盗むことで精いっぱいだった。

 桃花の誘いで夕飯まで一緒に食べることにしたのち、何を食べようかと話していた時。桃花の目に入ったのはチェーン店のしゃぶしゃぶ屋だった。あそこなら話しながら食べられるし、ちょうどよくない?!という桃花の提案で半ば無理やり、夕飯はしゃぶしゃぶに決定した。

 私は絶対しゃぶしゃぶは高いだろうし、入ったこともなかったのでお断りしたかったのだが、桃花の有無を言わさぬ態度の前ではそれも無力。

 こういうところは、綾香とすごい似てると思う。たまーに桃花も綾香と同じような唯我独尊スタイルを発揮してくる。

 そうして促されるままに入ったはいいが、食べ放題のしゃぶしゃぶなんて高級店に来るのは初めてなので、桃花には初めてであることを悟られないようにしゃぶしゃぶのマナーを学ぶことに私は力を注いでいた。

 おかげで桃花からの話しかけにはほとんど何も考えずに返事をしている。

 

 赤の抜けきった豚バラをポン酢にくぐらせて頬張る。

 瞬間、口内を肉のうまみが満たし、脳内で幸福物質が分泌されるのを感じた。

 ――しゃぶしゃぶやっば。

 この店のコースで一番安いコースではあるのだが、それでも普段では絶対に食べないしゃぶしゃぶとかいう高級ディナーに思わず頬が緩みそうになる。

 あとの支払いのことを考えると胃が痛くなるけれど、それはそれとして美味しい。美味しすぎる。世界にはまだこんなに美味しい食べ物があったのか。コンビニ総菜も十分に美味しいと思うけれど、これは別格である。


「ふむふむ。じゃあほのかは積極的に欲しいってほどじゃないわけか」


 私は次の肉に手を伸ばしながら、桃花の言葉に頷く。ぶっちゃけほとんど聞いていない。肉うめぇ、次々。


 桃花の会話に適当な相槌を打ちながらしゃぶしゃぶすること約三皿分、ようやっと私の肉を食べたい欲が落ち着いた。

 箸をおいて、水を一杯。

 ふぅと息を吐いて、一息つく。


「ねー、さっきからうまそうに食ってんじゃん。ちゃんとあたしの話聞いてる?」

「聞いてる聞いてる。……というかさ。さっきから桃花ばかり質問してるのだけど、私からも聞いてみてもいいかしら?」


 桃花はおっと目を見開く。


「いいよー。恋愛経験豊富な桃花さんに何でも聞いてみな」

「……豊富なのね。じゃあいま付き合ってる人とかいたりするのかしら」


 桃花は大仰に腕を組んで、横目で私を見つめる。


「やっぱそこ気になっちゃうよな」

「まぁーさっきから恋愛に関していろいろ仰ってるし、恋人の一人くらいいてもおかしくないんじゃないの?とは思ってしまうわ」


 ほとんど話を聞いてなかったとはいえ、さっきから私ばかり詰問されているのだ。これくらいの仕返しは許されるだろう。

 だいたい桃花が恋愛上級者じゃないのならば、この会話は「モテない女子の妄想」になりかねない。そこは重要だ。それでこれからの私の亜樹君に対する態度が変わると言っても過言ではない。


「ま、中学卒業するときに前の彼氏とは別れたんだけどね。でもさ……一昨日、告られたからつい先日彼氏ができた」

「えっ……あー、おめでとう?」


 衝撃の告白。というか、ここまでの恋愛話もそれを自然に私に伝えるための前置きだったのではないか、と邪推してしまう。これまで桃花と恋愛の話はあまりしてこなかったのに今日はそういう話を振ってきて、かつ晩御飯にまで誘うのはそういうことだったのではなかろうか。

 しかし、こう見えて完璧超人の桃花だしモテるのは当然だろう。とはいえよくOKしたものである。相手はどんなイケメンなんだ。


「ありがとう。まだほのかにしか言ってないからね」


 その報告にどのような意味があるのか私にはわかりかねるが、会話にひと段落が付いたタイミングで私はまた肉に手を伸ばす。桃花もそれに続いて肉をしゃぶしゃぶした。

 しゃぶしゃぶする桃花を改めて見ると、口元が緩んでいるし、心なしか肩の力が抜けているように見える。普段の彼女ならありえない態度だし、さっきの言葉の後だとその態度が表す感情がわかりやすすぎる。きっと今日の彼女の目的はそれを伝えることだったのだろう。

 肉をつゆにくぐらせて口に運ぶ。……やっぱうめぇわ。サイゼの百倍美味い。――いやそれは言い過ぎた。サイゼはサイゼで美味い。


「っていうか、私にしか言ってないってなにさ」


 先ほどの発言がやはり気になって、私は視線を肉に固定したまま聞いてみる。


「え……そりゃーまー。ほのかは高校で一番の友達だし。相手はクラスメイトだし」

「え、そうなの……?」

「うん。和樹だよ」


 えー、和樹……誰だっけ?

 いやそういえばいたな。桃花の後ろの席の男子。バスケ部のツーブロックだったっけ。顔は確かに悪くなかった気がする。


「へー、和樹君か。そんなに仲良かったっけ?」

「まークラスじゃそんなにしゃべらんしそう思うかもな。ラインでめっちゃしゃべっててさ。インスタでもよく話してたし」


 あーなるほど。SNSでよく話してたわけか。私のSNSにもクラスの人間はだいたい追加してるけど、ほとんどしゃべらない。せいぜい綾香と亜樹君くらいである。

 ――そうか。そういえば亜樹君とはラインで会話しているわけか。私は他の男子と会話していないし、亜樹君の性分で会話が続いているのだと思っていたけれど、彼が他の女子とはラインでは話していないとしたら、意識されているということも考えられるわけか。


「ふーん。それで告られてOKしたのね」

「そゆこと。まー狙ってたしね!いい具合に釣れてくれたってカンジ!!」

「釣れてくれた……って」


 桃花は親指を立てて、歯を見せて笑う。歯並びまで完璧で、さすが完璧超人と悪態を吐きたくなる。というか「釣れた」とか発言するくらいだし、もう桃花が恋愛上級者であることは疑う余地もなさそうだ。


「そうそう。文面でちょくちょく『そういうとこすき』とか『かっこいいね』とか言ってたらすぐ勘違いしてくれるよ。直接的には一言も言ってなくてもね」

「へー。さすがは経験豊富の桃花さんだ。男の扱いに慣れてるわね」

「そりゃそうよ。世渡り上手だからな」

「それにしてはさっきから頬に米がついててだらしがないのだけど……?」

「え?マジ……とってとって」


 言いながら米のついた方の頬を私に突き出してくる。こいつ分かっててやってんだろ……こういうのがあざとさ、というやつなのだろうか?

 仕方ないからつまんで米をとる。そのままその米はティッシュで丸めてくしゃくしゃに。


「ありがとー」

「別に……こうやって男の子を誘惑するのかしら?」

「おお?!わかってんじゃんほのか。やっぱ女狐なんじゃないのー?」


 そういって桃花は米をかきこむ。これも普段はやらない。学校で昼ご飯を食べるときはもっとおしとやかに食べる。

 私がそんな桃花を見ていると、桃花は椀を置き、伏し目がちに柔らかく笑いながら、


「……なんかな。ほのかはさ、あたしの中身を見抜いてるだろ」

「……どういうことかしら?」

「はじめて会った時のこと、覚えてるか?」

「入学式の日ね。甲斐田の説教中に目が合ったわね」

「そう――そん時思ったんだよな。あ、こいつあたしと似てんなって」

「……というと?」

「まわりを基本見下してて、他人に必要とされる自分を提供して生きてきた」


 ああ、ついに彼女は私たちの核心にせまるつもりだ。

 私が入学当初に感じたもの。それが正解かどうかを彼女は問いただそうとしている。彼女からそれを指摘してきた時点で、もう答えは分かり切っている。


「そうかもね。でも今はそうでもないけど」

「そりゃ見てりゃ分かるよ。でも、そうやって生きてきている人間ってさ、独特の雰囲気があるだろ?あたしはほのかからそれを感じた」

「……それで?」

「だから、『こいつにはどう演技しても見抜かれるんだろうな』って、そう思ったわけさ。聡明なほのかのことだし、そんなこと察してるだろ?」


 私はただ頷く。わかっていた。そしてそれはお互いにそうだった。


「だからさー、ほのかももっとあたしに素をだしてみない?」


 私の予想はどうやら当たっていて、しかもそれを桃花も見越していたようだ。桃花が他のクラスメイト以上に私に気を許しているのは理解している。というか私の前だけでは毒舌なことも多いし、気の抜けた態度をしょっちゅう晒す。彼女は私にもそれを求めているのであろう。ただ私の本質は彼女のようにおちゃらけていないし、ただひたすらネガティブに思考するだけの機械のようなものである。

 おそらく、彼女はそれすら見越して「素を出してみない?」と言ったのだろうけど。

 私は深くため息を吐き、


「正直に言うと、私はあなたのことが嫌いだと思うわ、桃花」

「ほう、それはどうして?」

「同族嫌悪よ。私って私のこと嫌いだから、私と似てる人も嫌いなの」

「ほー、やっぱりほのかも似てると思ってたんだな」

「一目見たときから予感はあったわ。できれば近寄りたくなかった」

「そりゃすまなかったね。あたしは近づきたかった」

「別に怒ってないからいいわ。あと亜樹君のことは正直どうでもいい」

「やっぱそうだろ。あたしはそういうドライなほのかが好きだけどな」

「あっそ。でも恋愛に興味があるのは嘘じゃないわ」

「あらあら。悪態ばっかのほのかにも乙女っぽいところはあるんだな」

「桃花ほどじゃないわ。あなたの悪態もたいがいよ。彼氏だってステータスとして作ったんじゃないの?」

「さすがだね。でも、その中でも一番好きになれそうなやつを選んだし。ほのかも恋愛に興味あるならクラスメイトと付き合ってみれば?」

「はぁ。わかってると思うけど私はあなたと違って恋愛に対しては初心者よ。そう簡単に言わないで頂戴」

「さっきも言ったけど亜樹君なら余裕だろ」

「だからさっきも言ったけど亜樹君はどうでもいいって……」

「ほのかは男子全員どうでもいいと思ってるだろ。だから別に亜樹君でもよくね?」


 ――嗚呼、やっぱり彼女のことは嫌いだ。


 しゃぶしゃぶ店を出た桃花は大きく伸びをする。

 結局かなりの金額をとられてしまった。かなりおいしかったからぼったくりとは思わないけれど、バイト代が入ったばかりでよかったと思う。


「ふー。なんかすっきりしたな」


 駅まで二人で歩き出したときに桃花がそう言った。


「何?そんなに私の今までの態度って悪かったかしら?」

「逆だよ、よすぎ。ほのかはそんないい子じゃないってあたしは分かってたからな」

「……なんかキモイわよ、その発言」

「なんでだよ。こういうのはエモいって言うんだよ」

「私にとってはそれはキモイわ」


 なんて今まで内心でついていた悪態も全部吐き出しながら、歩く。

 すっかり暗い夜の街。酒の匂いがどこかから漂っているような気がする。母はこの町のどこかで今日も働くはずだ。

 話しながら歩けばあっという間に駅。私と桃花は電車が反対方向なのでここで別れることになる。


「それじゃあほのか、また来週」

「うん、また来週」


 そう言って駆け出す桃花を手を振って送り出す。

 と、桃花は一度立ち止まり振り返って、


「今日はありがとね」


 と言い残し、改札をぬけていった。

 私はすぐに電車に乗る気にもなれず、駅前の広場にあるベンチに座り込む。

 入学式の日に戻れるなら、その日の私に言ってやりたい。桃花とは関わるな、と。

 予想は当たっていた、やっぱり私と似ていた。彼女が人生に絶望を感じていたのかはわからないが、求めるままに演じてきた部分は同様かもしれない。あと中身はたいがいどうしようもないところも。

 だからこそ、わかる。彼女が私を愛してくれることはない。軽率に「好き」といっても、本質として他人に興味がない。だから、愛をささやくことはあっても、それはすべて虚言。彼女から、私の欲しいものをもらえることはない。

 だからこそ無駄にしか思えないのだけど、彼女は同類の私を気に入ってしまっている。特に何もなければ彼女と縁を切ってしまってもいいのだけれど、それが面倒なことになりかねないということはさすがに私も理解している。クラスで居心地が悪くなるのは避けたい。私がそう考えて、彼女と友達でい続けるという選択肢をとることまで想定されていたとしたら、彼女は私に似ているだけでなく、私の上位互換なのかもしれない。

 あー、自己嫌悪。自分より明確に上位のやつに気に入られるとか、こっちの内心見透かされてるとか、全部気持ち悪い。本当に、彼女と仲良くなってしまったことを後悔する。


「ねぇーおねえさん?今一人?」


 私の思案を邪魔するかのように横から声を掛けられる。見るとそこにはいかにもチャラそうな男。瞬時にこれがナンパであることを理解した。

 といっても、私の今の服装はそんなきらびやかなものじゃないし、逆にダサく見えてもおかしくない。そんな私にこいつは話しかけてきたのであろうか?


「あの……私のこと言ってます?」


 そう尋ねると男はにへらと気持ち悪い笑みを浮かべ、


「それ以外ないでしょ?お姉さんみたいな美人見かけたら声かけちゃうよね」


 あー、これはほんとに私をナンパしているみたいだ。まったく、こっちがいろいろ考えているのに邪魔しやがって。むしゃくしゃしてるのに。

 

「でさ、この後暇?よかったら一件行かない?おごるよー」


 どうやら私が高校生とは思っていないようだ。老けて見えるということだろうか。まぁいいけど。

 普段の私なら、いくら愛されたいと主張していても、こんな奴じゃなぁという気持ちと自己防衛をすべきという倫理観があるので彼の誘いを断るのだけど、この時の私は気が立っていた。

 ――どうにでもなれと、憂さ晴らしがしたくなった。

 私は、彼の誘いににっこりと笑顔で頷いた。


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