第9話

「いらっしゃいませー」


 前で手を組み、満面の作り笑いで入店してきた客にあいさつ。

 店内入口一番近くのレジに常駐している私の主な業務の一つがこれである。

 あとはレジ業務をするだけなので、たぶん飲食店とかよりも楽な部類のアルバイトなのではないかと思う。

 金銭的問題からアルバイトを始めて早一か月。レジ業務とあいさつくらいしかやることのないアルバイトに私は早くも飽きを感じ始めていた。

 簡単なのはよいことではあると思うけど、客の少ない時間帯はほぼ立っているだけになるし、ほかに何かできるわけでもない。ただ立っているだけというのは意外と苦痛なのだと、私はこの一か月で学んだ。

 かごに商品を入れた客がこちらに近づいてくる。いい感じの距離まで近づいてきたときに顔を客の方に向けて、微笑みながら、


「いらっしゃいませこんばんわー、お預かりしますね」


 言いながら買い物かごを預かる。かごに入れられた商品をレジに登録していく。

 時給は最低賃金ではあるけれど、こんな簡単な業務ならそれも仕方ないかな、と思ってしまう。

 放課後に週四で四時間。合計週十六時間。だいたい毎週こんな感じである。

 先生方や友人が時々買い物に来る。特に桃花あたりはしょっちゅう茶化しに来る。いつもカフェラテだけしか買わないくせに、ほかに客がいないと長時間居続けるから、たまに邪魔だなと感じる。


「千二百五十円になります」


 客のおっさんはそれを聞くと、がま口の財布を取り出す。その中には大量の小銭。小銭を大量に出してくる客は嫌いな客ランキング上位だ。特にレジが混んでいるときにやられるとうざくて仕方がない。

 しっかり時間をかけて全部小銭で払おうとしたけど、足りなくて結局千円札を取り出す。滑稽だ。こんな大人になりたくない。

 

「ありがとうございましたー」


 内心悪態を吐きながら客を見送る。今の時刻は午後九時前。このくらいの時間帯はああいうちょっとせこいおっさんが多い。

 と、後方からレジ内に入ってくる人の気配を感じる。

 振り向くとレジ内に入ってきたパートの矢部さんと目が合う。


「あ、ほのかちゃんお疲れさま。交代しますよ」


 中年女性特有の柔らかい笑みを湛えながら交代を促してくる矢部さん。二児の母というのにこの時間まで働いているのは素直にすごいと思う。


「矢部さん、じゃあよろしくお願いします」

「はーい、ほのかちゃんも気を付けて帰ってね」


 矢部さんにレジを交代してバックヤードに向かう。私のバイトは九時上がり。学生ということもあり早めである。

 バックヤードでタイムカードを切り、制服に着替える。すれ違った店長とちょっと雑談をして裏口から店を出る。

 外は街頭の明かり以外は存在せず、重たい雲に月は隠れていた。湿気を帯びた生ぬるい風が吹き抜ける。湿気によってべたつく感覚が気持ち悪い。早く帰ってシャワーを浴びたい。

 駅への道を歩き出す。時間も時間なので私以外には学生はいない。くたびれたスーツの社会人か、あからさまに部屋着のジャージな主婦くらいしかいなかった。

 駅前についてもそれは変わらず、疲れた大人のどんよりした空気が広がっていた。

 と、そこに意外や意外。見覚えのある人影が一人。あの何とも言えないヘアスタイルにきれいな瞳は亜樹君で間違いないだろう。

 彼も何かを察したのかこちらを振り向く。が、少し驚きの反応を見せただけでそそくさと立ち去ろうとする。


 ……違和感がある。

 亜樹君は確かにあまり外交的な性格ではない。しかし、彼はいつも話しかけてくる。特に話題がなくても会話しようとしてくる。これは誰に対してもそうなので、たぶん彼なりに努力しているのだろうと思う。

 そんな亜樹君であるので、基本的には偶然出くわせばあちらから話しかけてくることがほとんどだ。いや、偶然会うシチュエーションがこれまでにあったかというとそれも微妙なのだけど、でもそういう時に彼はきっと話しかけてくる。いつもの彼なら。

 それが今日は何だというのか。私を見るなりそそくさと逃げようとしている。これは何か裏があるのでは?後ろめたいことがあるのでは?と私が推測するのは容易なことだった。

 気になってしまえば知りたくなるのは人の性だろう。何が後ろめたいのか。私はそれに興味がわいた。

 というわけで立ち去ろうとする亜樹君に早足で近づき、


「亜樹君、こんばんわ。こんな時間に会うなんてね」


 といかにも意味深に聞こえるように声をかけた。

 さすがに話しかけられても逃走というわけにもいかず、亜樹君もこちらを振り向いて右手を挙げる。


「こんばんわ、ほのかさん。確かに遅い時間だね」

「うん。今帰り?こんな時間まで何してたの?」


 早速問いかけると、彼は見るからに慌てながら、


「じ、自習してたらいつの間にか遅くなっちゃって……気づいたらこんな時間だよ」

「へー自習か。でも自習室使えるの七時までだよね?」

「うん!そうなんだけど、時間に気づいてなくてさ。警備の人もたまたま見回りを忘れてたみたいで……」

「うんうん。まぁ亜樹君集中すると時間忘れることあるもんね。それで気づいたらこの時間だったってこと?」

「そ、そうそう。こんな遅い時間に帰ったらお母さんにまた文句言われちゃうよ」


 明らかに、彼のこの発言は嘘である。まず大前提として、亜樹君が一人で自習していたのを見たことがない。たいていは誰かを一緒に自習室にいる。

 私は彼が嘘をついているという確信をもって一層彼に詰め寄り、彼の目をじっと見つめたまま、


「ねぇそれって嘘でしょ?」


 亜樹君はびくっと体を強張らせる。額には脂汗がにじんでいる。この反応からしても、たぶん嘘だ。


「ほんとは何してたの?こんな時間まで。私、気になっちゃってさー」

「……なんで嘘だと思うの?」

「……まず亜樹君って一人で自習することないわよね。基本誰かと一緒なはずだもの」

「いや、それはたまたま……」

「そうよね。それだけなら偶々の可能性もある。けどね、私覚えてるの。私が学校を出るときには、亜樹君の上履きが下駄箱に入っていたのよね」

「いや……見間違いなんじゃない?っていうかほのかさんこそこんな時間まで何してたのさ?」

「バイト。そんで君は?」


 押し黙る亜樹君。じっと見つめていると、彼も観念したのかため息を吐いてベンチの方を指さす。とりあえず座ろうという意思表示だろう。

 ただ何やっていたか話すだけなら別に座らなくてもいいだろうと思いつつも、彼に促されるままにベンチに座る。

 その隣に亜樹君が座る。私との間に五十センチくらいの空間があるのは、おそらく私が異性だから。綾香や桃花ならこの距離は当たり前にゼロだ。


「別にそこまで躍起になって隠すことじゃないと思うから話してもいいけど……期待してるような面白いことではないよ」


 私が何を期待していると思っているのか知らないけど、面白くないなら引っ張れば引っ張るほど期待値が上がってしまうからさっさと話してほしい。

 私は早く話せと促すように彼を見つめる。


「いやさ、あの……ゲームセンターに行ってたんだよ」


 彼はバツが悪そうに答える。


「へぇーゲーセン?」


 私が確認すると彼は頷く。

 ゲームセンター。まぁ日々のストレスを発散させていたのだろう。どういうゲームをやるのかには一切興味もないけど、それってそれほど隠すことだろうか。

 確かに校則では帰りに寄り道することは禁止されているけど、それを固く守っている生徒もそうそういないだろう。桃花なんて毎週私のバイト先に遊びに来るし。だとしたら何が後ろめたいのか。ただただみんなが勉強しているときにゲーセンに行くなんて、不真面目で恥ずかしいとでも思っているのだろうか。だとしたら根っこまで真面目君すぎる。下手したら中学の頃の私よりも真面目なのではなかろうか。


「ゲーセンくらい別に隠すことでもないと思うけど……変なことしてるわけでもないわけだし」


 私は率直な感想をつぶやく。っていうか、確かに亜樹君本人が言うように面白い話ではない。正直そんな程度か、とがっかりするレベルだ。


「え、放課後にゲーセンに一人で行くのって変じゃない?変わってない?」


 亜樹君は私の回答が意外だったのか、逆に問いかけてくる。


「うーん。確かに放課後に一人でゲーセンに行くのはみんながやっていることじゃないとは思うけど、そんなに変なことじゃないでしょ。誰だってストレス発散はするものだし、それがゲームすることだったってだけじゃないの?そんなの普通の範疇に収まると思うわよ」


 彼は意外そうに目を丸くする。そして一度目を瞑ったのち、


「そっか」


 とだけつぶやく。

 それから彼は押し黙る。生ぬるい夜風の吹き抜ける沈黙。駅前ロータリーに停車するタクシーの待機音と、遠くから聞こえるカエルの鳴き声だけの在る空間。

 退散するにしても、このタイミングは違う気がして、私は動けないでいた。彼の表情を見るに何かしらの感傷に浸っているのだろうし、邪魔するのは無粋だと思った。

 それからまたしばらくして、


「ねぇほのかさん。ちょっとだけ自分語りしてもいいかな?」


 ――明らかにめんどくさいやつ、これ。

 けれど、ここで断ることが出来る空気でもない。断ると今後の学校生活で横の席の男子との関係性が微妙になるというおまけつき。この場において話を聞くのを断って帰るという選択肢はあってないようなものだろう。

 私はあからさまめんどくさそうなのを表情に出しながらも頷いた。もちろん、ちゃんと亜樹君がこちらを見ていないことを確認したうえでの表情だ。


「……ありがと。もうわかると思うけど、僕、ゲーセンに通ってるの隠してたんだよね」


 そうでしょうね。そうじゃないと嘘なんてつかないでしょうからね。

 っていうか今日だけでじゃないのね。「通ってる」と言えるくらいにはゲーセンに足を運んでいるのね。


「その一番の理由は、お母さんに怒られるからなんだけど……」


 それはなんとなく想像がつく。私はそうではないけれど、進学校に通う生徒の親の多くは不真面目な行動を良しとしないイメージがある。ゲーセンに行くというのは不良というほどではないけれど、真面目な生徒のすることかと言われると疑問符を浮かべざるを得ないだろう。


「親にはなんて言ってるの?」

「いつも勉強していて遅くなったって言ってあるよ。それにしても遅すぎないかって最近は言われるけど……」


 閉校時間を過ぎて勉強してきたと主張しているのだからそう言われるのも仕方ないだろう。


「ってそんなことじゃないよね。これじゃ親に隠してる理由でみんなに隠してる理由じゃないし……僕がゲーセンに通い始めたのは小三の頃でさ。その頃は友達みんなと放課後にゲーセンで遊んでたんだ。格ゲーにはまってよく対戦してたなぁ。楽しかった……でもさ、中学に上がるくらいだったかな。一緒に行っていた友達が急に行ってくれなくなったんだ。家庭用ゲームにみんなハマっちゃってさ。なんか僕だけ家庭用ゲームにハマれなくて……僕だけノリ悪いやつになっちゃって。わかりやすく言えばハブられちゃったんだよ。それからは人に気づかれないようにこっそりゲーセンに通うようになったんだ」


 ――なるほど。それでゲーセンに通うことを隠すようになったのか。

 まぁ理由としては納得。ハブられたことがきっかけでゲーセンに通っていることをカミングアウトすることに恐怖を覚えるようになったということか。それが今の今まで続いていた、と。

 

「そんな感じで言えなくなっちゃって……それが高校に入っても続いちゃってたって感じだね。だからなんとなく皆に言えなくて今に至る……ってカンジかな」


 うむ。

 まぁ今私がかけるべき言葉が何かはよくわかっている。ここで彼に必要なものは受容だろう。私はあなたがゲーセンに通っていると言われても態度を変えることはしない。あなたは異常でも異端でもなく普通だと。そう言い聞かせるのが今の私の役目だろう。

 とりあえず私はそれを実践すればいいだけだ。

 それに、実際興味ないから私の態度が変わることはないだろうし。


「まぁ、その話を聞いても私が亜樹君との距離感を変えることはないよ。別にゲーセンに行っていても変な子だとも思わないし、私はそれは普通だと思うよ。たぶんみんなに言ってもそれで態度変わることはないと思うよ」


 たぶんそうだと思う。中学生に比べて、クラスのみんなは聡明だし、差別を発生させるほど愚かでもないだろう。だからそれくらいなら言っても問題ないと考えている。それは間違いないと思う。

 私が、亜樹君が求めているであろう回答を与えると、彼の顔色が明るくなる。わかりやすいものだ。


「ありがとう」


 ただ一言、彼はそう呟いた。うつむいていて表情を見えないけど、きっと救われた顔をしているだろう。

 ――正直に言うと、とてつもなくつまらないし、しょうもない。

 どうしても自分と比較してしまう。どうしても私よりも苦労していないと感じてしまう。どうしてもそんな程度のことをつらいと言っている人間を下に見てしまう。

 それが卑しいのも、しょうもないこともきちんと理解している。それでも、私は彼に、本当なら「そんな程度のことで何を言っているんだ」と言いたくなる。

 私の方が辛かったのに、私の方が救われないのに、とそう感じる。

 もうあきらめているし、助けも救いも求めていないけど、それでも、私の言葉程度で救われる彼に嫉妬してしまう。


 そんなことを思うくらいなら、キチンと努力をするべきだと思う。

 自分自身を満たすための努力を行うべきだと、そう思う。そんな言葉で彼へのヘイトを高めると同時に、それは私自身にも言えることなのではないかと、気づく。

 私は愛情が欲しくて生きているのに、今の私はそこから大きくずれているように思う。ただ惰性で、一人の人間として求められた役割を果たしているだけ。

 そのくせ嫉妬だけは一人前。私は高校に入ってから私を満たすために何の行動もしていないのに。

 このままじゃ私は生きている意味を失う、私は自分の欲望のために生きると決めたのに、愛を得るために生きると決めたのに、それがうすぼんやりと霞んでいってしまう。

 私は、私のために生きるべきだ。どうせ誰も救ってくれないのだから。

 再度、私は私自身にそう言い聞かせた。


 


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