第8話
生憎の曇り空、朝十時、駅前。
土曜日だというのに駅を行きかうスーツの群れ。それを目の端にとらえながら、私は目的の人物の到着を待ち続けていた。
「おーい!ほのかー!」
人ごみの中から、私の名を呼びながら近づいてくる人物を発見する。
赤いパンツに白のシャツ。一番上のボタンを開けて袖をまくっている。シンプルなのにしっかりと決まっているファッションだと思うのだけど、家の中での彼女のファッションを思えばあまりにシンプルすぎる。たぶんあれは母親にコーディネートしてもらったものだろう。
駆け寄ってきた綾香は私の目の前に立つと、「よっ」とでも言うように左手をあげる。
「相変わらず時間厳守だねー。待った?」
「そういう綾香は二分遅刻だね。そんなに待ってないよ」
「いつものことだろー?そんなに気にしないでよー」
お茶らけた調子でそう言う綾香。やはりいつも通り反省の色はないようだ。毎度のことだから反省してほしいとももう思わないのだけど。
「電車の時間には余裕だから気にしてないわよ。じゃあ行こう」
「おーう!ほのかと服見に行くなんて久しぶりだしテンション上がるね!」
二人で並んで人ごみに入る。人の流れに乗って改札を過ぎ、すでに止まっている電車に乗り込む。
乗り込む人は多かったが、偶然にも座席が二つ開いていたので綾香に続いて急いで座る。
「いやー、座れてラッキーだね」
綾香の声に頷く。この時間の電車だと座れないことの方が多いのだが、今日はは幸運だったということだろう。……と言っても目的の駅は二駅先なので、正直立ちでも座りでもどっちでもいい。
「いやー今日はワクワクするね。ほのかはどんな服見るの?」
「まぁ夏服でも見ようかなと思ってる」
ちなみに私の服はスキニージーンズに紺のシャツ。たまたま綾香と似たような格好になってしまったが、綾香ほどおしゃれな雰囲気はない。
「おーじゃあ一緒にいろいろ見ようね!あやもかわいいやつ買いたいなー」
私は別にかわいいものじゃなくていいし、見るだけで買うつもりはない。そもそも新しい服を買うようなお金もない。せいぜい今日のお昼ご飯代くらいしか用意できなかった。
電車が動き出し、車掌がアナウンスを始める。電車に揺られること二駅分、目的の駅に到着して電車を降りる。
綾香は電車が走り出した途端に船をこぎ始め、着いた瞬間に目を覚ました。彼女はいつもこうだけど、何気にすごいことだと思う。毎回寝る癖に寝過ごしたことはないそうだ。
駅から出て徒歩二分。地方によくある総合商業モール、即ちイ〇ン。日本のたいていの地域では一番大きい商業施設である、と思う。
「じゃあ午前中は小物を見て回って、ご飯食べてから服見て回るって感じでいい?」
「うんそれでいいよー。小物って何見るの?」
「うーん帽子とか?っていうか雑貨は特に決めてない!」
計画性はないということか。まぁいろいろ計画立てて行動するよりも、なんも考えずに行動する方が綾香らしいといえばらしい。
それから午前中は綾香の言うとおりに雑貨を見て回った。ネックレスやピアスといった金額的にムリなアクセサリーから、腕輪やチョーカー、私たちにも手の届くシルバーアクセサリーなどジャンル問わずいろいろ見て回った。ハートのネックレスを綾香がたいそう気に入っていたけれど、さすがに五桁のお買い物は即決できなかったようだ。
結局私たちは何も買わずウィンドウショッピングのみで午前中を過ごした。
綾香の表情を見るに、すでにご満悦といった様子だ。
「んふー、楽しいねー。もうちょっと見て回ってもいいけど、少しお腹すいてきちゃったし、そろそろご飯いかない?」
綾香の提案に私は頷く。
「おっけー。じゃあ何食べようか?とりあえずフードコートの方行こうか」
綾香が先導し、私もそれについていく。
昔から綾香といるときはいつもそうだ。綾香がしたいことをする。基本的に私の意見で動くことはない。
行動だけ見れば綾香を相当自分勝手な人間に感じるかもしれないけど、私からすればこの方がありがたい。彼女は私にしたいことがあまりないことを本能で理解しているのだろう。だからこそ私に対してはいくらか我儘が増えるのではないかと思う。
実際、中学時代の彼女の周りからの評価は協調性の高い女の子だった。ここまで我を通すのは基本私の前だけのはずだ。綾香のことだから意識してやってるわけではないと思う。無意識でやっているのだと思う。
まぁでも意識してそれをやられるよりも、気が付いたらそうなってたという方が私にとっても居心地がいい。
「お、ほのか。これ見て」
綾香が立ち止まってフードコートにある店舗を示した案内板を指さす。
ハンバーガーやうどん、ちゃんぽんなどの定番なものからから揚げやアイスまでいろいろ選択肢がある。
「んーどれもおいしそうだよね。ほのかは何食べたい?」
こうやってたまに私に意見を求めてくるけど、たいていの場合は綾香の中で選択肢は決まっている。こういうのは素直に面倒だと思う。
「なんでもいいけど、重たいのは避けたいかな」
「んーそっかー。それじゃあこれなんてどう?」
そう言って綾香が指し示したのは半熟オムライスのお店。オムライスって重いか重くないかで言えば重めの部類だと思う。でも反論する気も起きないので同意しておく。正直なんでもいいし。
「じゃあそこにしよー」
店に向かってまっしぐらに歩き出す綾香。この問答無用で行く感じ、かなりお腹が空いていると見た。まぁ、午前中は実質歩き続けていたわけだからそうなるのも無理はない。
店に到着し、店内に入ると昼時ということもあってにぎわっていた。けど待ちが出るほどでもなく、二名様ですね、と確認されて座席に通された。
メニューに目を通し、定番であろうオムライスを注文。綾香も同じものを頼んだけど、彼女のは大盛だった。やっぱりお腹が空いていたのだろう。
店員が注文を聞くついでに置いて行ったお冷に口をつけて、一息つく。
「いやー、思ったよりも回ったね」
「そうね。ちょっと疲れてきたかも」
「なーに言ってんの?お楽しみはまだまだこれからだよ?」
「そうね。これから洋服見るんだし」
「そーそー!ほのかの服もあやがコーディネートしてあげるから!」
「えー。私綾香みたいなかわいい系は似合わないよ」
「いやいやいやいや、ほのか美人さんなんだから何着ても似合うし!あやにまかせて、とびっきりかわいくしてあげるから」
「頼んでないし、かわいくなくていいし」
私を着せ替え人形にして遊びたいだけだろうことは容易に想像できる。これは何度も試着室に入る未来は避けられないだろう。休日だというのにあまり休息は出来なさそうである。
週明けのテストのことを思い出すと憂鬱になる。以前の私なら勉強に明け暮れていただろうに、私はだいぶ真面目な女の子からかけ離れてしまったようだ。
帰ってくるテストの点が微妙であろうことまで想像して思わずため息を吐く。綾香がそれを見て何を勘違いしたのか、への字に口を曲げた。
「……そんなに嫌なの?」
「そうじゃなくて、ふと週明けにテストがあることを思い出しちゃってね」
「んえ?テスト?え私聞いてないんだけど今日遊び誘っちゃって大丈夫だったの?」
テストと聞いた綾香はまずいことしたとでも思ったのだろう。血の気の引いた顔で私を見る。
「まぁ何とかなるよ。最初のテストだし多少失敗しても大丈夫」
「そう?ならいいけど……」
「うん。それに勉強ばっかりで息抜きもしたかったから」
これは本音。ちゃんと息抜きになっているか微妙なのは否めないけど。
「それなら今日は存分に楽しまないとね!息抜きはあやに任せて!」
あー。息抜きにはなるかもだけど休憩にはならなそうだ。正直もうちょっとのんびりしたい。
とりあえずぎこちない笑顔で「ありがとう」と返しておく。
「……ってかさ、思ったんだけどほのか結構変わったよね?」
「え?なにが?」
「何がって言われるとうーん……何とも言えないんだけど……雰囲気?かな?あー、ほら!前はテストはいい点とらなきゃ!ってカンジだったじゃん。でも今はまぁそれなりにできればいっかーってカンジだし」
私は思わず眉をひそめる。勘が鋭い……というわけでもないだろう。長年私を見てきたからこそ、なんとなく感づいているのだろう。
「まぁ確かに自覚あるよ。なんかもうちょっと肩の力抜いてもいいかなーって思ったんだよね」
高校合格を母に告げたあの日以来、段々と私は変わってきている。
こうあらなければならないとそれまで感じていた優等生像から自分の行動が乖離し始めていることを自覚している。
きっかけも明白だし、自覚もある。私自身の根底にある価値観が変わり始めていることは私が一番わかっている。
それでも、他人からそれを指摘されるのは不快感があった。その通りではあるけれど、その変化を見つけられるのは私の中身を見透かされているようで気持ち悪い。
ただ、だからと言ってこれから悟られないように警戒しようとも思わない。事実としてこんな指摘を出来るのは綾香だけだろう。
中学卒業後、学校がばらばらになったクラスメイトの中で、私が定期的に連絡を取っているのは綾香だけ。そんな綾香だから指摘できたのだろう。そんな綾香に言われてしまったら、もう警戒も何もない。
「ふーん。高校でなんかあったの?」
「まぁそんな感じだよ」
「ほうほう……まさか、彼氏できたとか?」
「あはは、そんなわけないよ」
「えー……なんか怪しいなぁ。何かあやに隠してるんじゃないのー?」
綾香がそう言って詰め寄ってきたとき、「お待たせしましたー」と二つのオムライスが運ばれてきた。
「おおー!めっちゃおいしそうじゃん!」
どうやら私にかけられたあらぬ疑いはお流れしそうだ。
何もないからこそ、私は変わっているのだと綾香に言ってもきっと理解されないだろうし、タイミングよく料理が来て助かったと思う。
綾香は大盛のオムライスをぺろりと平らげ、デザートのアイスまでちゃっかり食べていた。
別会計で支払って店を出る。綾香はおごろうとしてきたけど、そこは丁重に遠慮しておいた。
腹ごなしに少し歩き回った後、様々なジャンルの服の専門店が立ち並ぶエリアに向かう。
予想していた通り、綾香は私を着せ替え人形にした。白ワンピースのような定番のものからものっすごいひらひらのついたドレスっぽいものやホットパンツとシャツといったカジュアルなものまで、いろんなものを試着させられた。
もう試着室に入室した回数は十を超えてから数えていない。
その中でも特に綾香の目を引いたのはチェックのミニスカートだった。しかも赤黒。まず間違いなく私は選ばないやつだし、試着した時もまるで下着を見せびらかして歩いているようで落ち着かなかった。このスカートに黒のシャツを合わせたコーデが綾香には大好評だった。
「うんうん。やっぱりほのかは黒系が似合うね」
綾香は試着室から出てきた私を見るなりそういった。
それについては同意するけど、露出は控えたいものである。
「ちょっといい?眼鏡外すね」
こちらの許可を得る前に眼鏡をはずし、髪をいじってくる。耳までしっかり隠れたボブヘアーの右側を耳にかけられ、髪型を整えられる。
「うん!いいねぇ。右の髪は編み込みとかするとよさそう。ってかやっぱほのかはスタイルいいよね。体のラインはしっかり出してった方がいいと思う」
「あ、ありがと……でもこれ実質パンツ露出して歩いてるようなものじゃない?これはさすがに恥ずかしいな」
私が感想を述べると、綾香は顔をスカートの前まで持ってきて上下に動かす。
「ほのかそのまま一回転してみて」
言われるがままに一回転。
それをじっくりと注視して綾香は立ち上がる。
「下から覗かない限りは見えないよ!」
綾香がサムズアップ。事実として見えてないことは問題ではなく、感覚的なものだから見えてなくても恥ずかしいものは恥ずかしい、としっかり文句は浮かんでくるが、言うだけ無駄なので胸にしまっておく。
別に今後も着るわけじゃないし、今我慢すればいいだけである。
……と、思っていたのだが――
「――はいこれ!綾香にあげる!」
と、私がお手洗いから帰ってきたら紙袋を渡された。
紙袋の横には、先ほど試着した店のロゴ。この一瞬で買ってきたというのか。
「……どういうことかしら」
「いやね、さっきの黒コーデすっごいほのかに似合ってたからさ」
「……から?」
「プレゼントだよ!それを着て男の子をメロメロにしてね!」
決め顔でそういって、紙袋を押し付けてくる。ほんとこいつ金遣い荒いな。恨めしくなる。
こんな恥ずかしい服はどうあがいても着ないので、せっかく買ってもらうならもっと実用的な服がよかったと思うが、これを言うと綾香は間違いなく拗ねる。
そして、笑顔で紙袋を差し出す綾香。これは断るという選択肢はないに等しいかもしれない。
それでも、形式的に一度断っておくべきだろう。
「いや、そんなかわいいの普段着ないからいいよ。それにプレゼントもらうほどめでたいこともないし、誕生日は十月だし」
「十月十日ね。知ってるわよ。別に理由がなくてもいいでしょ」
「えいや、理由がないと受け取りづらいし」
「えー、もう買っちゃったのに?」
「そんなこと言われても」
「んあー……あっ!それならバイト決まった祝いで!」
「えっ……えー…………わかったよ」
しぶしぶ紙袋を受け取る。それを確認すると、綾香は裏のない笑顔を見せる。
「よしよし、ちゃんと受け取ったな。じゃー帰ろうか」
「え?綾香自分の買ってなくない?」
「ふふ……実は今日は最初からほのかの服を買うつもりだったから、私は先週ママとあらかた買っちゃったし」
最初から私の服を買うつもりとかいうなら、プレゼントする理由くらいは考えてきてほしいものだ。あと、私の好みも少しは考慮してほしい。
綾香はたまにこういう余計なおせっかいをしたがる。見返りなく物を買うなんて考えられないし、何かしらこのバカなりに裏があるというか、してほしいことでもあるんだと思う。
でも、私には彼女が何を求めているのかわからない。彼女の贈与という行為が示す意味もよくわからない。もしかしたら私は勉強が出来るだけで、根っこのところでは彼女よりも愚かなのかもしれない。
「そう。まぁ……ありがと」
「どーいたしまして!感謝してくれてるならぜひ着てね」
「いやだ。とりあえず部屋に飾っとくよ」
「なんでー!彼氏でもできたら着な!いちころよ!」
「私にできるわけないじゃん」
「なーに言ってるの!ほのか美人さんなんだから狙ってる子多いと思うよ」
「綾香は妄想が豊かだね」
軽口をたたきあいながら帰路につく。
一瞬綾香が悪い笑顔をしたように見えたのは、気のせいだろう。
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