第7話

 早いもので、高校生になってから既に一か月が経過していた。

 私は特になんの問題も起こさずクラスに馴染み、いつの間にかカースト上位にいた。

 その原因は明白で、桃花の存在によるものだ。彼女はいわゆる陽キャ。その桃花に気に入られた私は、自然と彼女といることが多くなり、彼女の形成するグループに属すことになった。

 といってもこのクラス、カーストがそこまで強いわけじゃない。さすが県内一の進学校なだけあってみんな賢くて真面目さんだ。ゆえに問題行動を起こそうともしないし、いじめが起こる要素もない。

 カーストと言っても、学園ドラマで見るような激しいものではなく、なんとなく「桃花ちゃんのとこがクラスの中心だよね」くらいの雰囲気があるぐらいでしかない。

 まぁ、でもこのクラスにカーストがほとんど存在しないのは、担任のおかげもあるかもしれない。彼の態度は入学式の頃から変わらず、しょっちゅうよくわからない小言で声を荒げて唾をまき散らしていた。

 最初は真面目に聞いていたクラスメイト達も、一か月もすればあの男の説教には何の意味もないことを理解する。自然にクラス全員のヘイトが担任に向いた。当然の結果である。そのおかげかいじめもカーストもほとんどない、平和なクラスである。居心地だけはいい。


「なー、ほのか。今日自習室使う?」


 帰りのHRが終わった後、桃花がそう誘ってくる。今はテスト期間。しかも高校で最初の中間テストだ。多くの学生が放課後に自習室を使って勉強していた。個々の勉学に対しての意識が高いのは、さすが進学校の真面目たち。私もその中の一人ではあるけれど。

 桃花も、勉強にあまり積極的でない雰囲気を醸し出しているくせに、根はやはりくそ真面目である。というより、成績さえよければ他は適当でもいい、というスタイルに感じる。そんなわけなので、彼女もきちんと勉強はする。

 普段なら彼女に付き合って私も自習室で勉強して帰るのだが、今日ばかりはそうもいかない。どうしても行かなくてはならない用事があるのだ。

 私は両手を合わせて、申し訳ない顔をしながら、


「ごめん、桃花。今日はちょっと……」

「んえ?!まじかー……なんの用事?」


 オーバーリアクションに驚く桃花。そして用事の内容を尋ねてくる。

 まぁ私が桃花の誘いを断ることはそうそうないし、驚くのは分かるけど。


「前言ってたやつだよ。バイトの……ね」


 桃花は脳内を思い返すかのような沈黙の後、目を見開いて頷き、左手の親指を立てる。


「ガンバ!決まるといいね!」


 彼女はそれだけ言うと、踵を返して去っていく。きっとほかの女子を自習に誘うのだろう。


「そっか、ほのかさん今日面接だったっけ?」


 隣の亜樹君がカバンに教科書を詰めながら話しかけてくる。彼とも随分と打ち解けたと思う。

 

「うんそう。全く、テスト前だっていうのに……」

「大変だよね……なんか手伝えることあったら言ってね」

「それなら今度数Ⅰで出そうなとこ教えてよ。沖田先生のとこよく質問行ってるし、なんかちらっと聞いていたりするんじゃないの?」

「あー……そうだね!じゃあ面接受かったら教えるということで……」

「えー、落ちても教えてよ」


 亜樹君と少し雑談を交わして、教室を出る。

 本日は、十八時からバイトの面接。スーパーのレジ打ちのバイトである。


 本来ならバイトなど言語道断、絶対禁止!というのが進学校のお約束なのだが、どうやら私には特例が適応されたらしい。

 原因は母だ。何やら家計が厳しい家庭なら特別にバイトが許されるという情報を聞きつけた母が、学校側に許可を求めたらしい。

 親からの申請だったからか、学校側があっさりとこれを許可。私は特例でバイトすることを許された。

 入学式から二週間ほどしたときに、母から「あんたバイトできるようにしたから、これから自分の飯代は自分で稼ぎな」と宣言された。そういうときの行動力だけはきちんとあるのは恨めしい。やはり母が愛しているのはパチンコであり、そのパチンコに必要なお金、ということだろう。

 面接を受けるスーパーは学校から歩いて十分ほど。この辺では名前を知らない人がいないような、いわゆるご当地スーパーである。

 現在時刻は五時半前。五月ともなるとこの時間でもしっかり明るい。

 だんだんと夏が近づいていると感じさせる暖かさ。生徒たちでにぎわう道を気持ちゆっくりと歩く。

 十分で終わる道のりをたっぷり十五分かけて踏破する。時刻は四十七分。ちょっと早いかもしれないけど、大丈夫だろう。

 店内に入店し、ちょっと偉そうな男性の店員に話しかける。


「あのー……」

「はい!何かお探しですか?」

「いえ、今日面接で来た山田です」

「あー!面接希望の子か。ついてきて」


 偉そうな店員さんについていき、店の裏手へ。在庫がたくさん置いてある倉庫の奥の事務所に連れてこられた。


「じゃあ、ここで座って待ってて」


 促されるままに用意された椅子に座る。

 男性店員は案内が終わると、そそくさと出て行ってしまった。

 電気のついた部屋で一人。大量の書類やパソコン、よくわからない機器も並んでいる。時計を見ると時刻は五十分。ここで十分ほど待つことになりそうだ。


 しんと静まり帰った部屋。その無機質な質感が私の緊張を煽る。

 心臓の鼓動が早くなるのを感じる。実際今、私はとても緊張している。下手すれば高校受験よりも緊張しているかもしれない。

 まず面接自体が初めてである。テストの結果を他人に評価されることはあっても、対面で話した自分自身を評価されるような経験など一度もない。だから私自身がきちんとしゃべれるか不安だし、私自身を必要か評価されること自体が不安である。

 また、今回の面接は受験とは違って合格する保証もない。受験なら事前に模試を受けて判定を出し、どれくらいの合格見込みがあるのかを判断することが出来る。だが今回はどうだろう。私がこの面接に受かる保証はどこにもない。ただバイト募集の張り紙があったから来ただけだ。AからEの合格判定なんてものはない。

 大体私は高校生だ。いくら学校からの許可はもらっているとは言え、高校生を雇ってくれるようなところがあるのだろうか。少なくとも私の周りにはバイトしている高校生なんて一人もいない。そんなレアケースという時点で私は不利なのではないか。

 

 そんな不安を脳内でぐるぐるさせていると、ガチャリと扉が開く音が聞こえる。焦って振り向くと、「店長」と名札に書かれた男性が入室してきた。


「やぁ、お疲れ様です。本日面接希望の山田さんで間違いないよね?」


 声を掛けられ頷く私。彼はそれを確認すると、私の対面に座る。


「ほんとに高校生なんだ。若いのに大変だね」


 彼はにこやかに話しかけてくれるが、私にはあまり余裕がない。ただ頷くばかりである。


「私はここの店長の川添です。今日はよろしくお願いします」

「や、山田帆霞です。よろしくお願いします」


 言いながら大きく頭を下げる。緊張で笑顔が引きつっていないか不安だ。


「それじゃあ面接を始めましょうということで、まずは履歴書出してもらっていいかな?」


 私はカバンの中から事前に用意しておいた履歴書を取り出す。何か間違いがなければいいけど……

 彼は差し出した履歴書を手に取り、さっと目を通す。


「それじゃあいろいろ確認していきましょうか」


 それからは店長からの質問攻め。と言っても働ける時間帯、曜日。逆にどうしても働けない時期などについて聞かれた程度だ。約十分ほど質疑応答が続き、


「--じゃあこれで面接は以上になります。特に問題なさそうだし、ほかに面接に来てる子もいないので採用ということでいいかな?」


 思ってもみなかった展開に驚き、ノータイムで何度もうなずく。


「よかった。それじゃあ今日は金曜だし、来週月曜にまた来てくれないかな?制服とか用意しとくから」

「あ、ありがとうございます」

「じゃあこれからよろしくね。今日の面接は以上になります」

「えと、失礼します」


 立ち上がり、カバンを持って退場。倉庫を抜け、店舗入り口から駐車場に出る。


「……ふぅ」


 息を吐いて心臓を整える。

 ……何とか乗り切った。ハチャメチャに緊張したけど、一応面接は合格らしい。

 駐車場から見る空はだんだんとオレンジに変わり始めていた。


 というわけで、私はこれから学校に通いつつもアルバイトをするというハードな毎日を送ることが確定してしまった。しかもそうやって稼いだお金は食費に消えるというのだから虚しいことこの上ない。それを考えると陰鬱な気持ちになるけれど、それはそれとしてバイトが決まったことは素直に喜ぶべきだろう。

 これまで働く経験がなかったわけだけど、こうしていざ社会の歯車の一員として労働を行うということになると、なんだかいろいろと思うことが出てくる。

 言ってしまえば学生には社会的な価値はない、と思う。その価値を見出すための研修期間が学生なのではなかろうか。それがアルバイトなどの慣れの期間を通じて、社会人として歯車の価値が与えられるようになる。

 私は、そんな歯車になる過程の一歩を踏み出したと言えるのかもしれない。それは社会の一部として容認され、社会の構成要素として承認されたことと同義ともいえるかもしれない。

 つまり私が感じていたのは、社会に承認されたという感覚だ。たかがバイトに受かった程度でと言われそうだけど、学生に潜在的な価値しかないなら、今の私はそれがやっと評価されたというわけだ。

 社会の一員。人間という生物種のコロニーでの存在理由。それは迫害されない安全地帯で、私が生きていいことの証明になるわけだが、私が欲しいのはそんな承認ではない。


 大体、こんなのは普通に生きていればいつか必ず、誰しもが得られる承認なのだ。それを周りの同級生よりもほんのちょっと早く得られただけ。こんな回りくどいことをいっぱい考えているわけだけど、要するに「ちょっと大人になった気がする」だけだ。


 駐車場を出て、駅への帰り道を歩き始める。今の時間は、放課後と完全下校時刻の中間地帯。そのせいか、ほかに道を歩く生徒はほとんどいなかった。


 私がちょっと大人になって、社会から承認を得られたとしても、それは私の欲望を何も満たしてくれない。もう高校に入学してから一か月が経ったのに、コミュニティを形成しただけで、私の内面は何も進歩していない。

 愛を得る方法はいまだにわからないし、学校という箱でのんびりと、惰性で生活しているだけである。課される課題を坦々とこなす毎日。

 私の中身は、いまだ社会に承認されるにはあまりに幼稚だと思う。どうにかして、私は私の満たし方を見つけなくてはならない。そうじゃないと生きていても意味がない、楽しくない。

 

 ポケットのスマホが震え、メッセージを受け取ったことを知らせる。

 取り出して確認すると、綾香からだった。


「ほのかー!明日暇?遊び行こ!」


 綾香とは高校に入学してからは週に一度一緒にご飯に行っている。しかし思い返してみれば、このひと月は一度も遊びには行っていない気がする。

 まぁ、気分転換にはちょうどいいかもね。と、テスト期間であることは頭の隅に捨てさって考える。

 「いいよ。どこ行く?」とだけ返信してスマホをしまう。

 いつも私の脳内をめぐるめんどくさい思考はどこかに放り出して、明日は綾香と二人で楽しむとしよう。




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る