31話 私のために

「さっさとケリをつけてやる」


 息巻くが、受話器を取る音がすると、それだけで萎えた。


「よう、シィ」


 朗らかで元気な第一声である。それは嬉しいのだが、少しくらい引きずりなさいよ、と怒りでこめかみがひくひく動いた。


「なにかあったか?」

「別にそういうわけじゃないけど」


 落ち着けと心で繰り返し呟く。その意気込みは怒気となって発せられ、隣の交換手は冷や汗をかいている。


「そうか。そういやぁ、アークは無事だったらしいな。ナディアたちも軽傷ですんだって」

「うん。そうみたいね。直接連絡しなかったの?」

「先にベルから聞いたからね」

「してあげればいいじゃない」


 刺々しい言い方なのはわかっていたが、とめられない。好はわずかな間をつくってから言う。


「そうだな……今からするか。じゃあ切るよ。またな」

「へ? ちょっと待って! まだ終わってない!」


 まだ何も伝えていない。これでは決意のかいもないし、勝手に重苦しくなる心のままだ。

 その音量は自分の想像よりもずっと大きく、逆に通信室は静まった。交換手の手に持つ受話器から、何を待つんだ、と声がする。すぐに仕事を再開するが、しばらくは平謝りをする交換手たち。彼らのことなど目にも入らず、自分の大声にも気がついていないシィは受話器に向かって懇願する。


「まだ切らないで。言いたいことがあるの」

「……なに? 良いこと? それとも悪いこと?」

「ふざけるのはなし。私、本気よ」


 シィは好の感情を想像できないでいた。しかしどんな顔をしているのかはわかる。きっと煙草を吸ってヘラヘラしているのだと。


「ふざけちゃいないよ。私はいつだって真剣そのもの……ああ、こういうところが嫌いなんだろ?」


 私は彼女が嫌いなのだろうか。それすらわからなくなっていた。いつも当たり前のように行動していた好を、好きか嫌いかで当てはめたことはなかったのだ。

 嫌いかと問われてもはっきり言えばわからない。だが苛立つのは事実だしこんな気持ちにもさせている。簡単には頷けない、残酷な言葉の選択を迫られた。


「嫌いでもいいさ。でも後ろから撃たれるのも御免だぜ? お前に撃たれたら影も形もなくなっちまう」

「……そんなこと、しない」


 必死に吐き出したのはちゃちな否定。こんな当たり前を確認するために連絡したのではない。もっと、もっと大事なことがある。焦るほど喉はきつく締まるようだった。


「ありがたい。命は一つ、ギフターだって世界の法則にゃあ従わなきゃあね。こればっかりは軍も民営も関係ねぇや。そうだろう、シィ・ホープセル?」

「……なんにも、思わないの?」


 奥深い森林を想起させる暗い響き。夜の水平線のような不気味さをもったか細い声が好の耳を、脳を貫いた。


「思う? 一体何を?」


 しかし彼女は変わらない。むしろ喜色すらあった。


「……例えばアークのこと。すぐに電話するべきじゃない」

「そうだね。でも今はあっちも忙しいだろう。もう少し落ち着いてからにするよ」

「さっきは今するって」

「私は春川好だぜ? おっと、こういうところも、かな」


 シィは口を結び、受話器を壊しそうな衝動をキリリと歯が鳴るほどに抑えていた。

 好の後ろにはシャロットたちが成り行きを見守っている。これもわざわざ好が呼び集めたのだ。


「面白いものって、この会話のこと?」


 北部に行っているウィンケルクとミスリスを除いた四人、シャロットは腕組みのまま憤る。他人事であれば、幾分かマシなことも言える彼女なのだ。


「……シィさんとお喋りしてるんですよね?」


 カシワギは不安そうにヒューゴの裾を掴んだ。通りすがりであれば親しい者との談笑に興じていると見えるだろうが、一連を知る者は好の不真面目さに心が荒む。


「そうね。楽しそうで何よりねだわ」


 ヒューゴはカシワギの頭を撫でながら目を細める。口論にでもなれば見応えがある、と彼女もまた不謹慎な思考だった。


「うん。好、楽しそう」


 ブレスロイは高身長を猫背にし、ポケットに両手を突っ込んだ。他人の喜怒哀楽に敏感な彼女には、好の心が知れた。


「あんな言い方しかできないんだ。もっと正直になればいいのに」

「ミュウ、動物とお話しできるっていいわねえ。あいつもおんなじようなものだから、きっと色々わかるでしょ?」

「それは彼女に失礼。それと、私のこともバカにしてる」

「まさか。そんなわけないじゃない」


 すると好の高笑い。それが新たな局面を作り上げる。


「その声、好きだぜ。ストラトを鳴らしたみたいでかっこいいけど、お前にはアコースティックなのも似合うと思うよ」

「前も言ったでしょ! ふざけるのは……」

「それじゃあオチまで見えちまう。同じ流れなら、行き着く先も同じだ。はっきり言えよ。言えないなら、せめて誤魔化して言ってくれ。もちろん察するさ。私にはそれを察することができる自信がある」


 シィは好の言葉に真実味を感じこそしないが、少しは対話ができると思いややいつもの調子に戻った。暗くて鬱蒼とした森を抜けたと、声にも張りが出る。


「誤魔化して、ねぇ……」

「いい機会だから何でも言ってくれ。楽しもうじゃないか。環境最悪な野戦病院にいる連中がいて、忙しそうな交換手の隣でお喋りしてるんだぜ? 楽しまなきゃあ嘘だ」

「言えてる」


 シャロットは頷くが他からの肯定はなく、交換手も苦笑いだ。


「それは……どうなのよ」

「いいんだよ。ここはあのアパートで、私はベッドにシィは椅子に。煙草の煙を払ってお前が隣に座るんだ。顔こそ突き合わせてないけど、間違いなく私は通じあっているんだ。他にゃあ誰もいない」


 言えよ。好はそう優しく語りかける。


「言ってくれ。お前が何を感じているのか、少しはわかる。でも言ってくれ。言葉をくれ。それを聞きたい私のために」


 茶々を入れそうになるシャロットの口をカシワギが小さな両手で塞いだ。ブレスロイは二人まとめて抱きついて拘束する。ヒューゴの指示だった。

 結局のところ、この感情はなんなのだろう。シィは胸に手を置いて考えた。

 怒りではない。前回の電話はそうだったが、今は違う。もしそうだとしたら、こんなにも落ち着いてはいられない。

 嫌悪、でもない。それはありえないと首を振って、一瞬でもそんな考えを起こした自分を戒めた。

では悲しいのだろうか。エコーもミラーも、アークとも離れている現状を悲観しているのだろうか。違う。それならばもっとふさわしい言葉がある。


「…………会いたいよ、好。寂しくて……おかしくなりそう」


 小さなノイズにすら負けそうな呻きだった。細くて、弱くて、心の折れた後の、血の暖かみに飢えた獣の声だった。


「みんないるのに、オルカさんも、クランも、サラだって。優しくしてくれるし、応援してくれる。でも、あなたがいないと……。いつもはうるさいし、他人に頼ってばっかりのあなたなのに」


 寂しい。会いたい。ただそれだけの、叶わない願いに縛られて怒鳴ったり、考え込んだり。シィは目尻を拭って無言の好に問いかける。


「好はどうなの。私と同じ気持ち?」


 違うよね、とすぐに打ち消した。


「真っ直ぐだもん。だから他の人は目に入らない。それが好だもんね。寂しいなんて、思わないよね」

「……どうだろうね。私だって、ある日空から産み落とされたわけじゃない。感情だってある。もちろんその寂しさだって、多分、引き出しにはある。でも鍵が見つからない」

「そうでしょうね。でも話せて良かった。あのままは、ちょっと、嫌だったから」

「ちょっと? 大いに、と訂正してもらってもよろしいかい、シィ・ホープセル?」


 ケラケラと笑い声。シィも笑って、


「訂正します。とっても、とっても寂しいわ。会いたいなんて考えが浮かばないくらいあなたの顔が浮かんでいたもの」


 と軽やかに白状した。


「それは困る。今すぐそんな妄想は消してくれ。そうだな……二時間以内に」


 乱暴に叩きつけられて通信は終わった。しかし晴々としたシィの表情は、以前アークが感じたような神々しさがあった。

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