29話 一幕
「もう帰っちゃうの? せっかく来たのに」
戦場の一角で人が空高く吹き飛んだ。空中でバラバラになり、アビゲイルはその飛沫を被ってしまった。
「……あー、まあ、ケチはつけないけどさ」
ジョンソンは引き金にかける指が外れそうなほど落胆する。
「正規の援軍ではないのですけど、到着しましたわ。……ここが落ちたらリンカーフォードの危機となるかもしれない、なんて口車に乗せられて……。貴族でしょなんて言い草、ひどいと思いません?」
「これはいい。無法者と偽善だ」
歓喜するアビゲイル。空軍にまで伝わるシャロット小隊の奇人たちにその羽を、鷹を模した薄い翼を折りたたみ、目の前に滑空して挨拶した。
「目障りだね。クイン、あれも殺っちゃっていいの」
「馬鹿なこと言わないでちょうだい。ベルに怒られるわ」
「冗談だよ。あ、涼子が飛んでる。ヤッホー」
「自由だねぇホリーは」
「おしゃべりはそこまで。援軍感謝する……は、後で。頼むぜお前ら。これより敵を殲滅する。いいか、殲滅だ。普段通りの活躍を期待する」
日が沈む頃、実に六時間もの戦闘はこうして終わった。リーシア兵の死体と血が障害となり、迂回して行軍しなくてはならないほどだった。
しかしこれも、いわば序の口であり、ただ大きな戦争の一つの舞台でしかない。
「……アーク?」
シィ・ホープセルは声を潜め、心臓が破裂しそうなほどの恐怖を、無線を持つ手と反対の手で胸を押さえている。北部での戦闘が終了して三時間後の二十一時だった。混乱する連絡が落ち着き、通信室の交換手に無理を言っての通話だった。
「やあシィ。どうしたの」
その声に気が抜けた。かけている椅子の背に力なくもたれると、知らずのうちに泣いていた。
「良かった……心配した。本当よ」
そうじゃなくても心は弱っていたのだが、かろうじて弱音を飲み込んだ。
「ありがとう。心配かけてごめんね」
「怪我してない? 不調があったら軍医さんに伝えないと」
「看てもらったよ。疲労があるだけだって」
「そっか。良かった。他のみんなはどうなの? その、えっと……」
「ギフターにはいないよ。援軍もあったし。でも……まあ、それなりには、だよね」
一般兵士は大勢死んだ。だが口にはできず、それとなく誤魔化す。これを察しないシィでもない。
「……お疲れ様でした。早く寝るんだよ」
「わかってる。おやすみなさい、シィ」
「うん、おやすみ」
通信室で項垂れるシィ、足に力が入らない。アビゲイルは北部で一泊し、また戻ってくるとオルカは言っていた。
「私も行けばよかった」
あいつ、アークに連絡したのかな。シィは気になったが、どうにも体が動かない。交換手はどうぞと勧めてくれたが、愛想笑いで拒んだ。
「……嫌われたかなぁ」
揺れる紫煙と黒髪が思い出されるともうここにはいられなくなった。今にも鳴りそうな通信機、咄嗟に部屋から飛び出して、自室のプレハブに戻った。
「そんなに急いでどうした」
クラン・ツールが木箱のベッドの腰かけている。読みかけの雑誌を置いた。
「クラン……どうって、ここは私の部屋なんだけど」
「そうだな。次からは鍵をかけておけ。まあ私が能力を使えば鍵なんぞ意味を失うが」
にやりと頬笑むツール、その隣には静かにコーヒーをすするロージェスト、じっとシィを見つめ、ぼんやりと目をつぶる。
「なにかあった?」
「え?」
「うむ、魔瞳を使うまでもない。落ち込んでいるのが手に取るようにわかる」
「そんなのなくったってわかるよ。……最近のシィは変だ」
ちょうど南部で戦闘があったときくらいから、とロージェストは核心を突いた。彼女は自分の使っていた椅子を空けてシィを座らせる。
「話せば楽になる。私もかつては身を焦がす灼熱の火炎に苦しんだものだ」
「うるさいなぁクランは……。別にいいじゃないか」
「なんだと? 私は部隊長だぞ、生意気な奴め。しかも中尉で、お前は軍曹だ。もう少し礼節を」
「うるさい。オルカ隊のなかで一番弱いくせに」
「はあ? お、お前、言っていいことと悪いことがあるだろうが!」
「否定はしないのね……」
いつの間にかの一騒ぎ、部隊内ではシィを元気にしようという運動が盛んだった。さりげなく、しかし隠密に、そして自発的に。
「否定とかそういうことじゃない。こいつらの敬意のの有無が問題なんだ」
「してるよ。私もみんなも」
ユンナ・ベンブローク少尉、フィル・リペア少尉、シンディ・ドライブ伍長、
「みんないい人じゃない」
「それは認めよう。だからといって許すわけにはいかない」
「弱いくせに」
ロージェストは呟く。これだと言わんばかりにツールは指を突きつけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます