28話 部下と弱音

「ナディアたちは戦死ですかね」


 時間はほんの少し遡り、北部からリチャードの無線があった頃、オルカとガトーテックは出来上がった陣地の一室にいた。

 作戦地点に一番乗りしたのが中央部隊であり、無線はある程度の落ち着きをもった兵士たちを震え上がらせた。


「……アークだけは返したいな」

「そうですね。タリアたちを応援に向かわせますか?」

「……正式な命令がない限り、部隊は動かせない。それは私が中隊の長であるからだ」

「ははあ、つまり部下が勝手な行動をしても責任はエリザベス・シルヴァ・オルカ少佐にあるということですね」

「エメルに似てきたぞ、ゼノ」


 椅子にもたれるオルカは温いコーヒーに追加の角砂糖を入れた。スプーンでかき混ぜるとカップの底に砂糖の溶けきっていない感触があった。普段はブラックで飲むのに、もう四つ目である。


「私は無茶苦茶な上司の行動にニコニコと協力するほどの奇人ではありませんよ」

「……ベルに釘を刺しておこうか」

「してもしなくても結果は同じですので、しない方がよろしいかと」


 悪い方にばかり有名なシャロット隊である、おとなしくしているはずもなかった。


「……嫌な予感がするよ」


 ガトーテックは積まれた大きな木箱に腰かける。中身は石鹸やタオルといった日曜雑貨だ。


「それはナディアたちについて?」

「そうじゃない。いや、それもあるが、ベルたちの方だ。まさかみんなで出撃はしないだろうけど」

「やりかねませんけどね。まあテナーは置いておくとして、クインかホリーですかね。キャットがいるからミュウかも」

「ベルたちに比べたらキャットもリトイザも、ジュリアだって模範的な軍人に思える」


ガトーテックは小さく笑った。キャットの愛称で呼ばれるパーチャーは猫を拾ってくるだけ。ジョンソンは冗談がブラックなだけ。マクシミリアンは行動の予測がつかないだけ。どれも風紀を乱しはするが、彼女にしてみれば目くじらをたてるほどでもなかった。


「でも、少佐の肝いりじゃないですか。クレイジー・ファーム」

「まあな。自由な手足が欲しかったし、腕のいいバカを放っておくのも勿体無い。それに効果はあったよ。しようかなと思うと、あいつはもうしているんだ。それが悪いことだけなのが気にいらないがな」

「ライアーの渾名通り、悪いことは得意なんですかねぇ」

「あいつじゃないと第三小隊はまとまらない」

「わかってましたけど、オルカ少佐、随分とかわれてますねぇ」

「知っているだろう。あそこはみんなだ」


 ガトーテックは微笑んで首肯く。


「もちろん。ああ、それと、アビゲイル中尉のことなんですが」

「……少しくらい羽を伸ばしてもいいだろう」


 脇目も振らず駆け出すアビゲイル、偶然にも窓越しに目が合っていた。意志が燃えていた瞳はどんよりと輝いていた。


「そう言うと思って声はかけませんでした」


 ガトーテック、考えての行動か、考えていないがゆえの行動なのか、副官にしているにもかかわらずわからない。


「……優秀な副官だ。敬服するよ」


 ただ出来が良いため、そんなことは瑣末事である。


「それほどでも、あるかな?」


 わざとらしくはにかむと、夕焼けのような瞳でウインクした。オルカは吹き出しそうになるのをこらえて立ち上がる。


「さあ、楽しい時間はこれまで。ツールたちに準備を怠るなと伝えろ。北部はすぐかたがつく。総力戦は遠くない」


 部下からどんな扱いを受けても狼は狼だ。しかし猛々しく吠えたはいいが、ガトーテックは優雅に敬礼する。


「それも、すでに」


 以心伝心極まれり。オルカは苦笑するしかない。


「格好つけさせてくれ……、もとい、早く言ってくれ」

「あなたは大きくかまえていてくれればいいのです。コーヒーを淹れましょう。安物で、粗悪なインスタントを」


 お好きですよねと返事も聞かずゼノ・ガトーテックは一礼して辞した。

 ポツリと残されたオルカは引き出しを開けたり閉めたり、何かを探す。


「……雑誌は……あった。グラビアはシィの冬服か。いつ撮ったんだろう。おっと今週のコラムは……へえ、なるほどなぁ。あ、またギフターの人気投票があるのか……へえ、なるほどなぁ……」


 することがない。全てはガトーテックに任せっきり、いや、彼女の自主性の尊重だ。このときばかりはオルカは週刊紙のゴシップを読みふけるただの俗物になるのだった。






「うう……四十本目」


 穂波涼子はすぐさま敵の持っているサーベルを彼の命ごと奪った。折れたナイフとはいえ彼女にかかれば十分な凶器だった。


「新記録だ」


 記録はもっと伸びるとパーチャー。


「こちらフェロウズ2。援軍はないので飽きたら報告してくれ」


 ガオロウはまばたきを忘れての格闘中、彼女自信が飽きつつあった。


「報告すると、なんなの」

「リトイザ、決まってるじゃん」


 ジョンソンは装甲の剥げたユニットで疾駆する。残弾のない銃を捨てリーシアギフター、ノール・クレバーから奪った槍で人波を押し返す。クレバーは随分前から汚い雪との接吻を続けている。


「やってくれんだろ?」

「……コールネームの意味がないな。まあいいや。飽きるなんて勿体ないぜ。こんな舞台は滅多にないんだから!」


 ガオロウは冷めた心のまま個人回線の無線に声をかけた。


「もういいだろう。逃げよう」

「お前の台詞じゃないぜ副隊長。私についてこい」

「見つけられないよ」

「探せ。腰抜けはいらない」


 一方的に切られた。しばし佇むガオロウだったが、そこに殺到するリーシア兵、彼らの運命というのは、もしかしたら生を受けた瞬間からこうなると決まっていたのかもしれない。


「いらない、か。それはそうだ。どうしてだろう。弱音を吐くなど、私が一番嫌いなはずなのに」


 閃光は雷でもなければ幻でもない。しかしリーシア兵はそれを感じた。

 ガオロウは吠える。遠くの狼にも聞こえるように。


「やってやるぞ、十把ひとからげども! 深いキスをくれてやる。コイツでな!」


 どっと倒れるリーシア兵、とうとう閃光の正体には気がつかなかった。

 ガオロウの手にある中央刀、刃渡二メートルの幅広を泳ぐ意匠の龍、血で濡れた刀身が分厚い空を舞う。


「フェロウズ小隊に告ぐ。死にそうになったら直ぐに呼べ」

「やったね。さっぱり送ってくれんだろ?」


 ジョンソンの冗談にやはり全員が笑った。ガオロウは笑みを携えながら続ける。


「それもいい。でも、そうなる前に呼べ。絶対に、絶対に助けよう」


 リン・ガオロウはあまり表情を出さない。真顔で冗談を言うというのが彼女のポリシーだった。

 しかし今回は違う。付き合いの短いアークでさえもそう感じた。


「……僕も頑張らないと。煙草屋さんに叱られちゃうな」


 吹雪は止んで、戦場がどの場所でも見渡せる快晴となった。おぞましい地獄の中で、ミストシーたちは身を粉にして交戦している。手絡や作戦続行の分水嶺であることもおぼろげに留めておく程度になるまで疲労し、目の前の敵に集中していた。終わりのないマラソンであった。呼吸も忘れ、酸素よりも血を求めた。


 断続的なリュミエールの淡々とした光は、そうした苦境にあっても狙いを外さず、死体を踏み越え、時には身を伏せ、紅い閃光となって駆けに駆けた。


 リチャードから任を受け、彼女たちは一時間もの間、残存する世界中央兵七千と、馬車馬のごとく働いた。冗談を好む機械、ミストシーたちは特にそうだ。マクシミリアンとパーチャーは大砲で大きく抉れた自然の塹壕で息を整え、ジョンソンと穂波は雪と血で喉の渇きを落ち着かせた。ミストシーは狂ったように暴れまわるガオロウの援護をする。すでに張り付いてしまった笑顔のままで。


「もうすぐ応援が来る。あと一踏ん張りだ」


 ミストシーはそうやって鼓舞する。ギフターではなく、一般の兵士たちのために。


「僕は来ないと思うけどね」

「賭けるか?」


 これはジョンソン、そしてすぐにマクシミリアンが言う。


「やるまでもない。決まっていることは賭けにならないよ」

「まあまあ。アークは来ないって言ってるし、私はその逆。二人でやろうぜ」

「いいよ。何を賭けるの」

「晩飯がいいな。金だとオルカ少佐に文句言われれそうだし。店はどこにしよう」

「まだ決まってないのに」


 リーシアのギフターたちは後方からの射撃の切り替えていた。壁となるのは一般であり、脆いが分厚い壁だった。


「決まってるのさ。ナディア隊長が言うんだから間違いない」

「あれは……なんていうか、頑張れってことじゃないの?」

「いやあ、それもあるけど、来るんだよ。あの人は馬鹿だけど、色々周りを見てんのさ」


 パーチャーはミストシーの鼓舞を聞いて小躍りしたくなった。それがただの応援ではないとわかっていた。あのナディア・ミストシーが言うのだから援軍は来ると信じた。


「馬鹿は余計だ。アーク、私は適当並べてるわけじゃない」


 インカムから轟く爆音は楽譜でもあるかのように滑かだ。

 ミストシーは平穏を振り返り、目の前の阿鼻叫喚を直視し、無線に笑いかける。


「クランのやつは多分来ない。そのくせ被害が出ると泣くんだ。夜、一人で。あいつはばれてないと思ってるけど、みんな知ってる」


 穂波はぜえぜえと頭部からの出血を拭う。しかし闘争の火は消えない。いつ消すのか、消えるのかは、彼女だけが決められる。


「ベルは……どうだろう。リン、どっちだ」

「所詮は嘘吐きだ。確信はないが……人は寄越すはずだ」

「でも戦域の端から端だよ」

「関係ないんだ。あの異常集団には」

「それに、空軍も来る。あいつらは来る。喜べよ、サラ・アビゲイルの、銀鷹の姿が拝めるぜ」


 ミストシーは自信をもって言い切った。

 しかし誰も援軍を待つ心地ではない。ひたすらに敵を殺すだけの機械兵士となっているのだから。


「来るって……いつ来るの。僕は信じられないし、そうだとしても、できるだけ早い方がいいな」


弱気でもなく、力尽きたのでもない。弾丸はもうじきなくなるが、それでも諦めたりはしない。次々に倒れていく味方を案じたのだ。


「あ、副隊長、助けてー」


 ジョンソンが平時そのものに無線に発した。

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