27話 無情と応援

「応援はまだか! このままでは……!」


 リチャードは通信室で一人叫ぶ。ミストシーとの約束のためだ。

 編成中との連絡を受けたのが十分前。 全速力のトラックの荷台でやきもきしていた。      

 そんなときに、鳴ったコール音。開口一番に怒鳴った。


「まだか!」


 低いが高貴さのある声がする。そこらの将校とは一線を画した鋭さがあった。


「中央、または北部から人をやっても無駄だろう。時間的に全滅は免れんぞ」

「な、ロードレッド中将……!」


 ベルガドル・ロードレッドは個人回線にして通信してきた。それは残酷な通達をするためだと直感し、リチャードはもう憤死しそうになった。


く退け。リチャード少将。作戦に支障はでるが仕方がない。遅滞責任を果たすのは後だ。疾く退け」

「ギフターがまだいます! 私は彼女らに援軍の約束をしたのです!」

「知らん。安請け合いなどするからだ」


 リチャードの性格は元来温厚である。勤勉で、事務作業が似合う真面目な男というのが一般の評価だ。しかし、ただそれだけの男は少将にはなれない。武勇と誇りの世界中央の将官である者ならば、誰しもが持つ矜持がある。リチャードの場合は、守れるはずの命に対する真摯さという、上に立つ者としては甘い矜持があった。

 無線のチャンネルを全ての通信室に合わせる。緊急用の回線だ。


「ミージック近郊、戦闘中! 至急応援寄越されたし! 繰りか」


 ブツリ。これも非常用の、通信妨害を防ぐための緊急シャットダウン。行ったのはロードレッドだ。


「あの女郎! おい、動ける者は戻れ! ミストシー小隊の援護を……!」

「いけません少将。あなたまで死ぬ気ですか!」

「五十四年も生きれば十分だ! 早く、早く戻れ!」

「おい、誰か少将を押さえろ!」


 地獄の蓋は開いている。追い打ちは無理と覚ったリーシアならば目標を変更し、全力で現存する敵の排除に取りかかるだろう。


「ああ、私もそっちへ行くぞ。切符は自分で買って、一人で行く。お前たちに詫びなければならん」


 暴れるリチャードは猿ぐつわをされて、腹を殴られて気絶する際、そう決心した。上官へのこういった行為は許されないが、状況がそれを許した。カーゴトラックもまた狂気によって支配されていた。






「聞いた?」


 突然の入電にも表情こそ変えないが、その声音は揺れていた。


「聞いたよ。どうする」

「クリスってば、わかってるくせに。あっちにはアークがいるのよ?」

「命令など待っていられない。こういうときは陸路より空路だ」


 風速四メートルの南風に銀色がなびく。


「あの熊狩りしか能のない蛮族に教えてやる。天からの贈り物は風雨雷雪以外にもあるということを」






 十二月二十三日、南部はリチャードの絶叫が響いても特に動揺はなく着々と行軍し、作戦開始地点へ到着した。道中の妨害は中隊規模での牽制が数度あった程度で、ほぼ予定通りの行軍だった。しかし陣地構築のため資材を運ぼうとした段階で、運び手である空軍アビゲイルたちと連絡がつかない。そのためトラック総出で運搬することになった。


「まったくもう。アビゲイル中尉はなにをやってるのかしら」


 個人的な荷物でもテントや寝具の用意をしている者は少ない。たまたま野宿を想定していた軍人の一人、ロッド大尉のテントがシャロットたちギフターにあてがわれた。

 そこを一時的なシャロット小隊の詰所として、それぞれが焚き火や炊事をし暖を取る。

 すきま風のひどいボロではあったがないよりは格別に良く、テント内ではシャロットの機嫌がころころと変わる。


「中尉がいればこんな思いしなくても……まあ、ロッド大尉には感謝ね。おーい、テナー」


 テナー・カシワギ上等兵は世界中央ギルザ人と皇国人とのハーフだ。本人としては低身長がコンプレックスだったが、愛嬌のある狸顔と穏やかな性格で、周囲の過保護が目に余るほどだった。


「はい、なんでしょうか」


 テントの前で焚き火の番をしていたカシワギが顔をだした。


「なんでもない。顔を見たかっただけ。ちゃんと火が消えないように見張っててね」


 彼女に対して過保護なオルカとその部下たち、しかしシャロットは、そういった溺愛する連中からすれば、嫌がらせのようなことをする。


「はーい。テナー・カシワギ上等兵、見張ってまーす」

「よし。それで、なんの話だっけ」


 それでいてカシワギが一番懐いているのはシャロットなのだ。密かに嫉妬する者もいて、ツール、ジョンソン、オルカなどがそうだった。


「エメル、火」

「ご自分で」


 本当にしてほしいのではなく、シャロットの妙な行動への対抗である。それなりに重要なことの最中でも彼女は容易にほったらかす。


「……それで、ああもう、ベル。お前が話の腰を折るから忘れちゃったよ。なんだっけ」

「アビゲイル中尉の失踪についてですよ」

「そう! どうしちゃったのかしら」


 さっきから好は煙草を手放さない。いつものことではあるが、この数時間は常に口から煙草が離れないほどだ。


「あれだろ。北部にまっしぐら」

「そう考えるのが妥当でしょうね」

「……ナディアたち大丈夫かな」


 自らの発言が空気を重くしたことに気がついてか、シャロットは話題を変えた。


「あ、そうだ。好、シィとはどうなのよ。あれから進展は?」

「ない」


 そう断言する。もしあったとしてもほとんどの時間を共有しているのだ、シャロットが見逃すはずもなかった。


「ダメじゃない、そんなの。仲直りしなさいよ」

「悪くなってないのに、直るもなにもないさ」

「え? 控えめに見てもかなり険悪で」


 ヒューゴは突撃立ち上がって外に出た。何事かと残された二人が見守ると、


「え? なんですか……ワッフル? はい、好きですけど……。わあ、ありがとうございます!」


 テナーの声が聞こえてくる。ヒューゴはするりと着席し「関係が良好とは思えませんでしたよ」と続けた。会話の途中でも平気で中座するのがシャロット小隊だった。


「勝手に餌付けしないちょうだい」

「さあ。なんのことかわかりません」

「……私も相当だけど、お前らもやばい」


 好は引きつる頬を軽くつまんだ。


「理由もなくクレイジー・ファーム奇人の寄せ集めと呼ばれているのではないので」


 ヒューゴは胸を張る。雪焼けした頬には赤みがあって、本当にその不名誉を誇っているようだった。


「テナーは普通そうだけど」

「あの子がいるとどこに迷惑かけても誰も文句言わないのよ。無敵に可愛いから」

「……そんな理由?」

「ギフターとしても一流ですよ」


 カシワギのユニット、直感フィーリングは攻防に優れ、高いレベルでまとまっている。臨機応変の遊撃が役目だ。


「クインは見るからにアレだけどね」


 世界中央イングラドの貴族出身、クインセルク・ヴェロニカ・ウィンケルク。彼女は入隊当時、軍服のジャケットを羽織るだけで、日々を下着姿で過ごしていた。曰くこれを着るといかにも軍人のようで嫌。下着であれば威圧感を相殺できる、とのことである。

 そこには市民を守るために市民を脅かしてどうするという強い想いがあったが、もちろん許されず、オルカの説得で、ズボンは軍服上着は自由ということで決まった。


「こんなに寒いのに彼女、半袖のシャツ一枚でしたからね。夏物ですよ、あれ」


 以前眩しいくらいのライトグリーンに自筆で自分の名前を大きく書き入れたシャツを着用していたら、柄物は止めてくれとオルカは本部の廊下で泣きついた。


「あれは体のどこかおかしいのよ。そのくせ中尉だからね」


 奇人ではあるが実力があるので困る。それはこの小隊の全員に言えることだった。


「ホリーもミュウもそれに比べたら普通よ。見境なしなことと動物と喋れるってことを除けばね」


 ホリー・ミスリスは人畜無害そうなか弱さを持つ十六才の少女だが、言葉より手が出るタイプで、心が壊れていると疑われるほど恐れを知らない。そしてオルカの頬を拳で殴った世界中央唯一の人物である。

 たまたま、これも違反だが、悪い佐官たちとのポーカー博打を見咎められた際の出来事だった。


「二度とするなよ、ミスリス軍曹」


 オルカは佐官たちをボコボコにした後でミスリスに注意した。


「え、するよ。今度はばれないように」


 ミスリスは嘘をつけなかった。


「は? いや……は? 博打なんかするものじゃないぞ。部隊内規則にもあるし」

「ただのゲームじゃない。賭け事が駄目なら、ゼノとテナーも叱られなきゃ。お昼のおかずを賭けて勝負してるよ」


 軍本部の小さな庭に許可を貰い小鳥の餌場を作り、そこに訓練終了時に何羽いるか。ゲームですらないこの微笑ましさを、イカサマと暴力が支配するポーカーとを比較する辺りが壊れていると言われる遠因である。それに実際には賭けは行われてはおらず、ただ餌場を作るという優しさがあっただけである。たまたま「二羽いましたね」というガトーテックの言葉のみを聞いただけのミスリスの推測だった。おかずを賭けたというのは、カシワギの苦手なほうれん草のソテーが昼食のメニューにあったため、ガトーテックが代わりに食べただけである。


「勘違いだ」


 事実を知るオルカは深く深呼吸し眉間をグリグリと揉んだ。


「ひどい。疑うの?」


 ミスリスはいけしゃあしゃあと言ってのける。


「あのなぁ、現行犯なんだから」

「オルカは私のこと嫌いなんでしょ」

「……え? 違うよ、なぜそうなる」

「絶対そうだ!」


 オルカ隊ではこれを発作と呼ぶ。病気なのではなくホリー・ミスリスが暴れる前兆としての隠語だった。


「え、待て、ミスリス軍曹……ホリー! 人が見てるから泣くのはやめてくれ……」

「泣いてない! もう嫌だ! 辞める! 軍人なんかもう辞める!」

「そんなこと言わないで、な。ほら、ちょっとあっちに行こう。そこでゆっくり……ああ、違うからな。発作だ、発作が起きただけだから」


 野次馬から逃げるようにオルカたちは詰所に戻ったが、翌日ミスリスは本当に辞表をだした。だが癇癪での辞表などオルカは受理しない。


「どうして!」


 目を赤く腫らしてオルカの机を叩く。鬼気迫るものがあった。安くて固い椅子に座るオルカは拳の跡が付いた机の下で手汗をぬぐう。


「仲間じゃないか。簡単に辞めるなんて言わないでくれ」


 オルカはほとんどカウンセラーのように落ち着いて言ったが効果はなかった。


「ベルだって悲しんでいたぞ。お前がいないと……あの、なんだ、その、部隊にとって……大きな損失だって……言っていた……言っていたんだ。本当に」


 損失ではあるがシャロットはそういったことを正直には言わない。オルカの半創作の嘘はすぐ見抜かれた。そして事件発生。

 ミスリスは身を乗り出してオルカを殴った。無防備だったため椅子ごとひっくり返った。その衝撃で落ちた安っぽい壁掛けの油絵、何事かと様子を見に来たシャロットは理解不能な光景にため息もでなかった。


「隊長? えっと……ホリー、何をしたの」

「殴った。つい手が出たんだ。嘘は嫌いだし」


 息を飲むシャロット、すぐにオルカは起き上がり鼻をつまみながら言う。


「ベル、事情は今度ゆっくり。鼻血……ああ気にするな。それよりホリー、博打はやめなさい。いいか、ベルからもよく言っておいてくれ」


 医務室によろよろと向かうオルカを見送り、シャロットはホリーの頭を引っ叩いた。


「……ということがあったのよ」

「人は見かけによらないね。あいつ、虫一匹殺せそうにないのに」

「まったくです。でもミュウさんは見たまんまですよ」


 ボサボサの黒髪、真夏にも狐の毛皮を着込み、冬でも木の蔦で編んだサンダルを履く変人、ミュウ・ブレスロイ一等兵は自然を守りたいと入隊してきた。彼女は国籍不明の旅人という異色過ぎる経歴の持ち主で、森を見ると「悲鳴が聞こえる」と言って落ち込む。ジョンソンが拾ってきた猫と一日中喋っていたとカシワギは喜色満面でいたが、他の隊員は難しい顔だった。


「似たりよったりだ。なるほど、シィやアークがここにいないわけだ」

「そうね。あなたは馴染めそうだもの」

「みんな腕は良いんですよ。腕は」

「だろうね」


 馬鹿話で多少は気が晴れたのか、好は紫煙を輪っかにして吐く。


「私でも知ってるよ。ユニットは十字クロス、渾名は嘘吐きライアー、奇人変人のリーダーを」

「あら、誰よそれ?」

わざとらしくシャロットはきょろきょろと見渡す。

「そういうところですよ」

「だぁね」

「ふふ、まあこういうところよね。それじゃあちょっと、お耳を拝借」

「誰もいないのに? 」


 好は寝転んだ。ヒューゴも倣った。


「企んでる顔ですよ」

「まさか。ちょっと考えがあるの」

「それを企んでるって言うのさ。なにを考えているんだ? ライアー隊長」


 シャロットはカシワギをやって隊員を、ウィンケルクとミスリスを呼ばせた。命令を出す側も出される側も清清しい笑顔だった。


「軍規違反をさせるのが私のお仕事なのよ」


 冗談を冗談としない。この人はこうでなくては。ヒューゴは指を弾いて賛同した。

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