21話 あの日の続き②

「出走準備」


 伸びるワイヤーにミレイは笑みを浮かべる。あえて好の直線上に自分を置いた。

 あの日の嘶きが否が応でも肌を粟立てる。逃げ出したくなる心と体をねじ伏せたのは、復讐でも愛国でもなく、戦争の中で育まれた敵との愛情、すなわち好敵手への敬意だった。

 唸る車輪、雪を削り、無風の空に巻き上げる。


「駆け足開始」


 オルカの遠吠えとは少し違う甲高い鳴き声。地を這うようにミレイの足裏に響く。

そしてミレイは動いた。 全速力で直進して、車輪の回転数が上がりきる前に叩くつもりなのだ。

 悪因の泥チェルノボグは、いってしまえば特徴も弱点もない平凡な魔法鎧だ。20ミリ貫通弾を使用する自動小銃は毎分500発の速度、これはほぼギフターにしては少ないほうで、代わりに反動が少ない。ロングナイフだって刃渡20センチと目立たない。装甲も極端に優れているわけではない。


 しかし、それらは以前の姿である。ミレイが怪我をしたとき、チェルノボグも傷ついた。ギフターは一命をとりとめたが、ユニットは死んだのだ。


 これは二代目、一新された悪の神。


 格好はそれほど変わらないが多重装甲は以前と比肩できないほどの防御力であり、15ミリ高速弾にサイズこそ落としたもののスネグラチカ工房独自開発の機関銃は毎分1200発を誇る。

 九十六センチの鉈は重心が先端にあり、引きずるように駆け、遠心力でもって斬るという仕様だ。

 背部装甲には回数制限のあるものの、爆発的な推進力をもたらすブースター、泥試作二号と名付けられた、これもスネグラチカ工房のオリジナルだ。


 あと数瞬で彼女の切先が触れる。右下段から引っ提げた鉈は猪突する体ごと左に向け遠心力を得て刃の先端を叩きつけるが、その切先に触れてしまえば、腕であれば腕が、足も首も胴体ですら一様に断面の潰れた切傷となり断裂する。

 全てを断つ死神の鉈を振りかぶった。遠心力をそのまま活用した大上段からの唐竹割り、ワイヤーなどお構いなしに間合いへと入り込み、好の頭をかち割るつもりなのだ。


「開門」


 歯止めはなく、遮るものはない。行きたい場所へは何処へでも。車輪の嘶きは雪を土色に染め上げ、消えた。

 しかしもう鉈は止まらない。ミレイの鉈は雪崩のような雪煙を引き起こす。

 体を半回転させ加速、巻き込むように鉈を振ってまた加速。騎兵は離脱しているのだろう、音は遠く、しかしこちらへ向かっている。

 見えずとも音はある。真っ直ぐに命の場所へと向かってくる。わかってからでは遅い。タイミングを合わせるのではなく、ただ力の限りにその場所へと乾坤一擲を用意した。


 その場所とは正面。正面とはミレイの目の前。どこを向いていようが、必ずその目の前から現れ決着をつけるはずだ。

 確信のある予想は、心を通わせた二人に生じた、今では廃れきったあるものからきている。


 彼女ならばこうする。正々堂々というものは戦争においてそれほど重要ではなく、もちろん国際的な、個人的な倫理だったりはあるが、それはほとんど通用しない。奇襲や闇討ちは正当化され、つまりは言葉だけの存在として正々堂々があった。


 だが、ミレイの予想は漆駒の爆音によって正解と示された。


 二人が共有した、敵であるとか、復讐だとか、そういったものを排除しきって、いや、彼女たちに限っては排除などする必要はなかったが、被害者も加害者もなく、さっぱりとした戦友という意識があった。

 助けたことも助けられたことも抜きにして、純粋な命の奪い合いがあった。

 そういう純度の高い関係性が信頼となり、敵味方を無視した相手への尊敬が確信の根底であり、二人はそれを信じ、今や殺意の塊となって刃を交わらせる。


「ふっ!」


 正面、騎兵が雪を抜ける。その右拳は引き絞られていた。

 ミレイそれを確認したわけではない。しかし反射と予測、経験が彼女に鉈を振らせた。


 横薙ぎ一閃、馬上正拳。考えを読み取り読み取られ、しかし退かず、ギフターたちは月のみに見守られ、命を輝かせた。


 交錯! すれ違い、離れ、およそ三メートルほどだろう、振り返ったのは同時だった。

 急ブレーキでわずかに蹄が欠けたがしっかりと雪を噛んでいる。泥は二本の足で立っている。

 またしても蕩けるような甘い静寂が、戦士であれば羨まなければならない神秘的な静寂があった。


 好はそっとミレイの傍に寄って煙草を渡した。


「ほんの少しだけ……そう、煙草一本分だけ踏込みが足りなかった」


 火をつける。二条たなびく紫煙の軽さ、空に散った雪の粒に歯向かうように昇っていく。


「そうね。でも、わざとでしょ?」


 蹄の轍は狂うがごとくに地をかきむしり、這う泥の痕跡すらえぐっている。無惨に折れた鉈の切先が空から落ちた。

 大地に屹立するチェルノボグ、その足に、その膝その腰その腹に、伝うは闇夜に赤黒い、命の水の湧く山奥は、腸__わたか肉か判別つかぬ、射ぬかれしギフターの正中線上、胃の下から吹き出る血潮の熱さ。

 押さえるだけ無駄として、ミレイは震える手で煙草を持ち、二口ばかりでだらしなく腕を下ろし、膝をついた。


「即死させないのが、あなたの優しさかしら」

「次は踏み込むさ。でも、そうするとこんなもんじゃすまない」


 漆駒の右手甲は碎け、好の腕が見えている。鉈はその役目を果たしていた。ただ、果たしきることはできなかった。拳を握って顕在をアピールすると、ミレイは微笑んだ。


「次……かぁ。いいねぇ」


 寒々しい空気より、底冷えするような邪悪さで、騎兵も泥も笑う。二人はもはや次などはないことを知っていた。それでも、次回を告げる優しき好敵手を愛し、実現できない自分を呪った。


「……どうする」


 好は抜刀した。送ってやるとため息をつく。しかしミレイはうつ伏せになり、動かない。騎兵は舌打ちし、馬は夜空を満たすほどに嘶いた。


「誇りあるギフター、スネグラチカのミレイ・ニキータ。戦地で散る、か。墓は……まあいいや、リーシアに戻れよ。その方が……お前らしいぜ、チェルノボグ。無様に生きろよ」


 月は雲に隠れた。夜が明けるまで、好は報告もせず一言も口を利かなかった。

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