20話 あの日の続き①
「ん、来たかな」
煙草を投げ捨てて冷めたコーヒーを一気に飲み干す。南側を進む好たちは行軍を早めに切り上げて夜営の準備をしていた。陣取ったのはオルテザードという辺鄙な場所で、ここは牧草の貯蔵庫だ。
アビゲイルの護衛のもと運ばれた資材やで物見矢倉をこしらえ、除雪し、数日を費やした。
十二月十七日、二週間の行軍において北側と中央は数度の戦闘を経験した。しかし南側は一度も襲撃されることなく、ウエクに到達しそうだった。
「……やっぱり」
シャロット小隊副隊長、エメル・ヒューゴはギフターにあてがわれたプレハブ小屋から抜け出してザクザクと雪を踏んだ。日はまだ落ちきらず、彼女は遠くの地平線、レイネッテの方角に目をこらす。
「あそこ。一人ですかね」
逃げないことから斥候ではないことがわかる。単騎での戦闘をリーシアでは推奨していない。あれは誰だ。
「エメル! 好! 戦闘許可が降りたよ!」
シャロットが息を切らせて報告しにきた。
「でも兵士は動かない。ギフターだけで対処しろって」
「その方がいい」
白い息、のんびりと歩き出す好をシャロットが引き留めた。
「やる気なの? たんきは良くないと思うけど」
単騎と短気をかけた冗談だったが、誰のどこにも響かなかった。
「気がついたやつだけでやればいい」
気配を感じて外に出たのは三人だけ。そして敵数の少なさが戦闘許可を渋らせていた。この許可はシャロットが勝手に出撃すると脅しをかけて得たものだった。
「ここからではわかりませんけど、あれ、ギフターですよね」
ヒューゴは目を細める。ユニットは着ていなかったが、どうやら女性のようだし、戦場で単独行動をするものなどギフターしかいない。それもかなりの実力者か、いかれているかのどちらかである。
「いいギフターだ。度胸がある」
「そういう問題じゃないよ。で、動きはないみたいだけど、どうする。許可もあるし、出撃する?」
「罠ではないでしょうか。あれは囮で別働隊がここを襲うとか」
「囮かぁ、いいね。全部引き受けますよって役目なら、なおさらいいギフターだ」
笑うと煙は千切れながら空を舞い、好は何かを思い出した。
「ああ、あいつか」
「え、なに?」
「なんでもない。……あれが囮と仮定して、小隊長が離れるのはまずい。お前らは残れよ」
好はもう有無を言わさず歩き出し、シャロットたちはその背の迫力に負けた。
「連絡だけはしてね」
「キャバルリー、出撃しまーす」
散歩のような気楽さで彼女は仁王立ちするギフターのもとへ向かう。
輪郭が見えた頃、日は落ちきり、月光がお互いを照らす。風に揺れるジャケットの袖が不気味だった。
「せっかく拾った命だ、有意義に使った方がいいぜ」
古い友人のように至近距離まで近づいて、こんな場所でなければ握手でもしそうだった。
肺まで凍えそうな気温だが、心臓から送られる沸騰した血液が汗を呼ぶ。
「新聞読んだ?」
片腕の少女はポケットから丸めた新聞を出した。私のインタヴューなんだけど、とそのページを開いた。目を落とし、好は笑んだ。
「ああ。こんなに褒められるとはね。やっぱりあんたはいいギフターだ」
「名前、教えてよ」
新聞を受けとり煙草を押し付ける。たちまち火がついて、雪の上でもしばらく燃えていた。
「一服しなよ」
火をつけてやって、自分も吸った。
片腕のギフターは待つことに苦を感じているようでもない。月夜に飛ぶ二匹の白蛇が絡み合う。
「ミレイ・ニキータ、だっけ」
「そうよ」
「ミレイと呼んでもいいかい?」
「ええ、もちろん。それで、私はあなたをなんて呼べばいいかしら」
「そうだな。煙草屋さんとか、最近じゃあルカなんても呼ばれるが」
もう一本どう。貰うわ。そんなやり取りはまさに旧友の再会である。話したいことしたいことがあるのに、いざとなると頭が働かない。間延びした空気は凍てつき、しかし二人は浸っていた。甘く、柔らかく、始めようとすれば始まってしまうこの空気に。始まる前から終わりを畏れるように。
「
「……知れてよかったわ。好」
「文屋に売るかい?」
「誰にも言わないわ。宝物にする」
微笑みに嘘はなく、言葉にも裏がない。敵同士の蜜月だった。
「私に焦がれただろう? 動かない足、失った腕、私を思い出す度に疼く頭。でも……だからこそ会いたかったんじゃないか? だからこそミレイ、お前はここまで来たんだろう?」
「かもね。リハビリはきつかったけど頑張れたわ。あなたのおかげよ」
好は照れたように頭をかいた。煙草を勧めた。雪上には何本も吸い殻が落ちている。
「私としては……このまま別れたいんだけど、どうかな」
ミレイは首を横に振る。そこには悲しみすらあった。惜別だった。
「もう少しおしゃべりしましょうよ。煙草が吸いたいのなら、私のもあるわ」
「……一本いただくよ。誰かに貰うのは久しぶりだ」
黙ったままで、火種だけが二人の間で、その心中を写すかのように赤く赤く燃えている。
「スネグラチカにね、新人がたくさん入ったんだ。すごく元気で、私に憧れているんだって」
「それはいいことだ。これからもっと増えるだろう」
「かもしれないわ。うちもエコーズほどじゃないけど、有名だもん」
謙遜にすら生々しい情があった。引き止めたい、離れたくない、そういう一種の愛情があった。
「新人の教育、お前がしないと。それに憧れて入ったやつを……泣かせるなよ」
「そうね。そうしたいわよ」
でもね。そう言ってミレイは弾むように三歩だけ離れて、好を直視した。
「借りは返さないと。誇りあるスネグラチカの一人として」
「ミレイ、明日の朝食はきっと美味い。それに天気予報じゃ快晴だ。新聞連載の続きだって気になる。だから」
「……なによ。あなただって、望んだんじゃないの?」
放たれた言葉の槍は脳天をぶち抜いた。だが好はどうにか穏便に幕引きをしたかった。
「そうさ。でも、お前は想像よりずっといいやつだ。うちに勧誘したいくらいだ」
「ふふ、お墓は世界中央かしら」
「ははは。腕だけはそうしようか」
嘘はない。生きることも死ぬことも、現象として割りきり、それを冗談として笑い飛ばした。月光降り注ぎ、青白く雪は輝く。風は凪いで音もない。もうすでに、何もかもが遅かった。
一服したら、やろうか。
そうね。そうしましょう。
煙の蛇はもう絡まない。魔方陣が二人を包んだ。
黒々と照り冴える漆駒。ワイヤーを張って、しかし車輪は低速に抑えたままにした。
ミレイの魔法鎧には両腕があった。そして以前よりも装甲に厚みが増している。
銘は
「キャバルリー、敵ギフター一名とこれより交戦す」
「こちら
シャロットは心配そうに、しかし勝利の確信があるかのように、調子を上げて無線を切った。
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