19話 遠吠え、嫉妬とチョコ
「交戦準備。頼むぞ、ギフター諸君」
トーマス少将は馬上から声をかけた。馬に乗っているのは将官の義務といった形式的な理由もあるが、五十を過ぎた老体の疲弊軽減のためだ。
「はい。少将も砲火を絶やすことのないよう、お心がけを」
少佐が少将に言うべきことではなかったが、トーマスは深く頷いた。
「ギフター隊、着装!」
白色迷彩に統一されたカラーリングだが、個性は千差万別だ。
オルカのユニット銘はハウリング。手甲と脚甲から生える六本の筒が独特のシルエットを形成し、背部のバックパックの底面にもそれがある。
「砲兵用意! 射程に入るまでは撃つなよ」
射撃、突撃。その時を待つ狼たちは身を低く、出方を伺う。
「撃て!」
トーマスの号令にフライング気味で飛び出すのはベンブローク、そして追うようにツールが続いた。
「私が合図するまで空軍は待機していろ。戦闘にはなるべく参加するな」
オルカの遠吠え、オオと空気を震わせて、味方の大砲より速く、両足の爪で雪を踏む。勇ましさは風をおいて伝播して、中央兵士の心を掴む。尉官も佐官も下士官でさえ奮闘の決意を新たに刻み、意気士気揚々と雪原を征く。
リーシアの大砲がぶち当たり、流動する人体をふりかぶる。しかし足は止まらない。肩にかけた小銃の狙いすらもつけずに引き金を引く。前を走る友人を踏み越えて、時折荒ぶ雪に眩み、遥か彼方のギフターを追って、希望それのみと追いかけて、虫食いの倒木になるまで追いかけ続ける。無名の中央兵士は全員が、己とはそうなのだと自覚のもとで死んでいく。
「ボックス1、敵ギフターと交戦! 我が剣、血を見ずには鞘へと収まらぬ!」
ツールの声は楽しげだ。健康優良児の彼女だが、秘めた力の暴走を抑えているのだと腕に包帯を巻いていた。オルカ曰く彼女は皇国の風土病を患っているらしい。
「ボックス2、狩れ」
オルカの伝達に被せるようにボックス2のナターシャ・ロージェストが割り込んだ。
「かんりょー。これは民営のやつらだ。楽だもの」
どこか残念そうな声にオルカは苦笑した。口の端を吊り上げるロージェストが脳裏に浮かんだ。
「
ツールが戦っている。小隊は六名に対して敵一人、善戦していた。速度を上げないままオルカが前進していると流れ弾がシールドに当たった。
「なんですか」
ガトーテックは流線型の魔法鎧だ。細身であるがゆえの鋭利さがあった。
「敵ギフターの数、わかるか」
「ボックスたちと交戦しているのを含めて七です。三名が後詰、残りは……来ましたね」
オルカが狼ならばガトーテックはその目といえる。ボックス小隊からの無線によって状況や数を把握しそれを伝えているのだが、その情報はオルカにも入る。だが大抵の場合ガトーテックに確認を求める。
考えるよりも体が動くと自覚しているために、そうやって自制をしていた。
下手なトランペットのような甲高い絶叫、ハウリングの筒から短い間隔で炎が吹き出す。乾燥する空気の隅々まで反響し、爆音の衝撃と熱波が波となり、すぐ後ろを走るガトーテックのシールドがひび割れた。
「うるさっ……! なんなの」
ツールと銃弾越しのダンスを踊るリーシア民営ギフター、マステラ・アデクは防御に長けた魔法鎧で、ツール小隊を食い止めていた。牽制し、行く手を遮り死角を作らないよう立ち回った。二分間死守すれば後続が来る。ロージェストが殺したシュベル・ペイリストスはアデクの幼馴染だった。
「なによ、あれ。早く来て! 私だけじゃ――」
リーシア側の無線に響くトランペット。ぐしゃりと踏みつけられた破砕音で演奏は終わり、交換手が生唾を飲み込んだ。
始終を見ていたリーシアギフターは即座に引いた。浴びせられる大砲を避けながら、オルカたちは追撃する。兵士たちも追い付き、背を見せる敵に銃弾をぶつけた。雪原は赤く染まり、寒風が死者を食む。オルカは点呼を取りながら撤収した。
「なにか聞こえなかった?」
北部から迂回するリチャード軍。ぞろぞろとくっついてくる軍人たちと厳めしい大砲を乗せたトラック、その先頭はシィとアーク。
「なにかってなによ」
アークは耳を澄ますが、もうなにも聞こえなかった。風と、それに舞う雪があるだけだった。
「楽器みたいな音だよ」
「楽団かしら。軍属の楽団っていたわよね」
ミストシー小隊隊長のナディア・ミストシーは左目の上に傷がある。そのせいで片方だけ眉毛が生えていない。
「いるよ。歌手もいる」
「エコーズにも欲しいな。楽しそう」
ミストシーは笑いながらアークの頭をなでた。
「アークが聞いたのは狼の遠吠えだ。さっき戦闘の無線があっただろ? オルカさんのユニットの音だ」
ここまで聞こえてもおかしくない。断言して、そのうち敵殲滅、行軍再開と技術兵から伝わってきた。
「なんかウズウズしてきたよ。おいリン、お前はどうだい」
「しない」
「はっはっは。キャットは?」
キャットこと、ハーティ・ジョンソンは軍曹でありながら、オルカにさえため口であり、ミストシーにはなおのことぶっきらぼうである。キャットと呼ばれるのは彼女がよく野良猫を拾ってくるからだ。
「そんなのお前だけだよ」
部下に冷たくあしらわれるも笑い飛ばすミストシー、アークはシィの袖を摘まんだ。
「どうしたの」
「ナディアってちょっと煙草屋さんに似てるね」
ミストシーも長い黒髪だし、背丈も同じくらいだった。
シィは少し考え込んだが「そうかしら」と否定し、ポケットの中で何かを握る。
「彼女の髪は肩甲骨くらいまででしょ? あの子は腰まで。たまに猫背にもなるけど姿勢はいいし、ほら、ナディアは癖っ毛でしょ? あいつは羨ましいことに櫛がいらないほどサラサラしてるのよ」
からかったつもりのアークだったが反撃に食傷した。
「鍛えてる姿なんか見たことないけど、以外と腹筋とかも割れてるし、さっき聞いたんだけど、ナディアってじゃが芋があんまり好きじゃないんだって。そこは大きな違いよね」
「そうだね。わかったよ。シィ、わかったから。二人は全然違う、へんなこと言ってごめん」
「でしょう? 大雑把そうなところは一緒だけど、それくらいだもの」
嬉しそうなシィ、息が白いため煙草を吸う真似をした。
「ねえ、ポケットに何か入ってるの?」
そう指摘すると、シィは得意気に、自慢するように差し出した。
「チョコだよ。腹がへったら食べなよ、だって」
紙に包まれた小さなチョコレートが二つ。一つをアークに渡した。
「はい。次の休憩の時に食べようよ」
「いいの? 好からでしょ、これ」
「アークにもあげろって言ってたし。自分で渡せばいいのにね」
シィは気がついていない。チョコレートはただの口実であることに。
「……ありがとう、シィ。好にもお礼をしないと」
「そうね。後で電信の人に頼んじゃおうか」
アークは気がついている。ただの口実に巻き込まれただけということに。
「うん。シィがお願いすれば誰だって言うことを聞くよ」
こんなとき、白い煙が羨ましい。でも、今は彼女じゃない。自分こそが隣にいるのだ。その幸運を噛み締めて、アークは嫉妬の火を消す。嫉妬を自覚する程度には彼女はもう大人だった。子ども扱いはされない稼業である、その中で甘えたいのがシィであり、悔しいかな、もう一人の姉だった。
「そんなことないってば。でもアークにそう言われると自信ついちゃうなぁ」
「ふふ、嘘じゃないよ。シィのためならってみんな思ってる」
「おだててもなにもでないよ? さ、歩こう歩こう」
アークは雲のない空を見上げる。輝く太陽だけがあって、地には行軍の列と、彼女がいる。煙のあるはずの場所には自分がいた。チャンスとも思わないが、ラッキーとは思う。ほんの少しだけリーシアに感謝するアークだった。
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