13話 焦げないうちに

 気候に比べ地下室はやや暖かい。アークのユニットの部品をスパナやレンチを使い解体と構築を繰り返すカナリア、温厚と優しさから産まれたような彼女だったが、汗をかきながらの真剣さは、ここでしか見ることのできない、ある種の絶景だった。

 地上部分よりも広いその中心で、好たちに気がついたカナリアが微笑む。口を開閉させ何かを言った。工具と鋼の音色にかき消され、聞こえなかった。


「もう少しで終わるってさ」


 口を読んだアークが通訳をした。鉄屑を組み合わせて設えた椅子を軋ませる。


「やけに早いじゃん」

「僕は少し早起きしたからね」

「シィ、次はお前だ」

「はい隊長。それじゃあ、お先に」


 カナリアのやや後方に陣取ると煌めく魔方陣が現れ、白い装甲と無数の銃器群がコンクリートで固められた床に広がる。


「ふぅ。終わったわよアーク。シィに取りかかるから、軽く動作確認しておいて」

「はーい」

「お願いします、カナリアさん。アンヘルだけじゃなくて、できれば武装も」

「任せて……また派手に焦がしたわね」

「ええ。でも威力があるから、使わないといけない場面も多くて」


 移動式巨大砲塔は使い終えた松明のごとく黒ずんでいて、あちこちに歪な溶け痕を残している。


「修理は無理そうね。一からやらないと。他は……まあ気長にやるしかないって感じね」


 アンヘルは長距離移動と回避を優先させたため軽量化している。しかし反動の大きい重量級の武器も扱わなければならず、両方を兼ねた調整が必要だった。


「おはよカナリアさん、私のも見てよ」


 すでに用意してある漆駒、高速移動の衝撃を受ける車輪はもちろん、他のパーツにも影響を及ぼす。ミラーの診断はベースを残しての総修理というものだった。


「ワイヤーも長さが足りないし、何より劣化してる。細かい傷は言うに及ばず、大きな傷があちこちにあるわ。刀があるのにどうして手甲で攻撃するのよ」


 刀は風斬と銘の打たれた漆駒の近接武器だが使用頻度は低く、もっぱら飾りのような扱いではあるが、それでも整備しないというわけにもいかない。


「だって、殴ったほうが早いんだもん」


 普段にない物言いにシィもアークも吹き出した。ただミラーだけは険しい顔でいる。


「可愛くいってもダメ。蹄だって、あーあ、あなたまた車輪キックしたでしょ」

「てへ」


 乱暴者もカナリアの前では形無しである。


「駆け足での最高速度も越えたのね、もうボロボロ」

「それだけ大変だったんだ。カナリア、悪いが頼むぞ」

「頼むぞ、ですって?」


 エコーの言葉にミラーはくすくすと笑った。工具を、レンチやドライバーを拾いあげくるくると回し、瞬きよりも速くアンヘルと漆駒を解体した。重力の影響すらも超越したかのように、ゆっくりとユニットが崩れる。崩れ方すらも優雅もだった。


「ここが私の戦場なのよ? 私から居場所を奪わないで。あなたは、あなたたちの居場所で存分に戦いなさいな」


 ミラーは元ギフターで、その腕は二十四時間以内でのギフター撃墜数記録を持っていたほどである。塗り替えたのはタリア・エコーだ。これは敵わないと裏方になり、共に軍を離れエコーズ・ギフターズを立ち上げた。


「ふっ、猛ることを言いやがる。……アーク、確認は終わったか?」

「まだ関節のチェックだけだよ」

「そうか。終わったら呼んでくれ。本拠に戻る」

「は、はい……」


 シィはただエコーの去る背中を眺めた。激情が見えるようである。


「なんだよあれ。変なタリアさんだ」

「心配事でもあるんじゃないの? 無茶な部下がいるから」

「はっはっは。言えてるぜ」

「笑うところじゃないと思うけどなあ」




 赤い手足は細身であり、胸と腰に大きなプレートが備わったアークのユニット、フロウ。近中距離を射撃によって制圧することを主とし群を抜く旋回力と数秒程度の飛行を可能にする背部のブースターを生かした機動的なものになっている。

 さて。と深呼吸しアークは静かに魔力を迸らせる。


「カナリア、本気出すけど、いい?」


 金属独特の甲高い作業音、カナリアは手を休めず言った。


「いいわよ。隣を使って」


 地下室の壁を堀抜いた窪み、シャッターの降りている場所がある。その奥は隣接する廃工場の真下で、地主の許可の元一面を鋼で覆い尽くし、照明などの設備を整えた戦闘訓練場だ。


「うん。カナリア、無理はしないでね」


 シャッターがぎこちなく開き、アークの姿がなくなると、無数の発砲音とフロウを快調に乗り回す、耳鳴りのような駆動音が炸裂した。


「賭けるか? 試射制限の千発をどこまで使うか」

「賭けにならないわよ」


 どうせ使いきることはわかっていた。喉で笑う二人につられてミラーも吹き出した。


「そうねぇ。トルコでもちょっと目立ってたわ。無駄遣いが過ぎるんじゃないかって」

「まさか。土に埋めてるわけじゃない。狙った敵の狙った場所に撃ち込んでるはずだ」

「オーバーキルってこと?」

「それもあるだろうけど、ただのやっかみよ。弾丸なんて一日で他部隊の二倍を使って、戦果は三倍だから」

「三倍! アークってやっぱりすごいのね」

「そりゃあタリアさんがライカンで豪遊させてくれるはずだよ」

「だから私嬉しくて、整備仲間にちょっと自慢しちゃったわ」


 話ながらも手は止まらない。鮮やかに動く魔法の指先は踊るように細部まで行き渡る。

かなり時間がかかるとのことで、二人は本拠に戻った。いるはずのエコーの姿がない。


「ついさっきまで書類整理をしていたんですけど」


 仮眠室でお休みに。リドリーは小さく言う。


「業務時間もあと少しですので、それまではと思いまして」

「起きないよ、どうせ」

「そうだメル、終わったらご飯でも行かない?」


 お肉がおいしいお店あるの。シィの誘いにリドリーは困り顔だ。


「行きたいのはやまやまですけど、タリアさんはどうしましょうか」

「鍵を置いておけばいいよ」

「そういうわけにも……」

「起こしてくる。ちょっと待ってて」


 シィ一人で仮眠室へ向かい、タリアさーん! と叫び声。


「あれくらいじゃあ駄目だろうな」

「……ええ、そうみたいですね」


 肩を落として戻ってきたシィは喉をさする。


「なんでエコーズには目覚めの悪い人が多いのかしら」

「……それじゃあメル、悪いけど頼んだよ」

「また今度ね」

「お疲れ様です。気をつけて」


 満天に雲、月明かりのない夜だった。等間隔の街灯には季節外れの羽虫がいる。バス停の雨避け屋根には錆が浮いていた。煙草の火はいつもより心細い。


「寒くなってきたな」

「そうね。リーシアはもっと寒いでしょうね」

「だね。……なあ、ネクタイ外してくれない」

「家まで我満しなよ」


 バスが来た。車内は禁煙のためぴっと弾いて捨てて踏み消す。


「……腹へったな」

「芋パンはだめ。ソーセージと豆のスープ、ゆで卵が晩ごはん」

 居住区までは十分ほどだ。道中はエンジンだけがお喋りだった

 バスが停まる。のんびりと歩いてアパートへ、今朝ぶりの部屋は心なしか片付いていた。


「さあて、やりますか」


 上着だけ脱いでエプロンをつけた。料理だけでなく、家事のほとんどをシィがこなしていた。

 コンロに火をつけ、湯を沸かす。フライパンを熱していると、煙草の煙が近づいて来た。


「まだできてないってば。あ、くすぐりはなしね。危ないから」


 以前歯みがきの途中でくすぐられた時、洗面台を派手に汚したことを思い出したのだ。

 好はしばらく無言のまま湯の沸く気泡を眺め、ソーセージが焼ける音を聞いていた。

 へんなやつ。そう無視していると好がシィの側にすり寄った。


「好きだぜ」


 沸ききった湯に卵が落ちる。ソーセージが小さく爆ぜ、一緒に炒っている豆が肉の油に光る。


「え?」


 シィは思わず、奇妙に心を揺さぶった原因を見つめた。

 煙草は小さな唇に収まり、猫背になってフライパンを眺める空色の瞳、黒い髪はしなやかに、結び目正しいネクタイに垂れる。


「な、なにを……」

「ハーブのやつ」


 は? シィが口をあんぐり開けると、煙草を外して微笑んだ。


「旨いよな、これ」

「あ、ああ! そうね、そうよね! ああびっくりした、好きって言うから、私、てっきり……!」

「なんだよ」


 視線が絡む。火花が散りそうなほどの灼熱があった。


「な、な、な……なんでもないってば!」

「へんなシィ。焦げるぜ」

「わっ! 本当だ!」


 慌ててフライパンを動かすと、好はもうベッドで煙を吐いている。ネクタイを外して枕元に放った。片手でシャツのボタンを、片手で上着を脱ぐ器用な彼女、ハンガーにもかけないでまた煙草にふけった。


「あれ、ネクタイ…………なんだよ、やればできるじゃん」


 沸騰するスープ、香るソーセージ、焦げた豆を自分用にしてシィはオクターブ高く夕飯を告げた。

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