12話 火種が消えるまで
「ん、朝か」
好は眩しい朝日で目を覚ます。昨晩ライカンでアークたちの帰還祝いをして、飲んで騒いで、それからどうなった。前後不覚、いつの間にアパートへと戻ったのだ。
「シィ……いないのか」
首を少し回せば部屋の全景がわかる。シャワーの音もしない。
「煙草、煙草……」
枕元にあった箱に手を伸ばし、火をつけベッドに腰掛けた。
小鳥のさえずり、冬の匂い、季節の変遷にこみ上げる笑み、深呼吸して火を消した。
非常なまでの緩慢さで起き上がる。クローゼットまでの短い距離でさえ、また煙草に火を求めた。着替えて用を足し、鏡の中の自分にはくまができている。
学生服、世界中央の兵学校のものらしい、その襟をただした。真っ黒で襟ぐりだけが白いシンプルなものだ。ネクタイは細身のストライプ、赤の生地に青が走る。結ばずに首に引っ掛けたためひどく格好悪い。
エコーズの本拠にいる時に客に失礼がないようにと、服装にこだわらない彼女を見てタリアが押し付けたものだが、幸運にも丈と袖が多少あまるくらいで、サイズはほぼ同じだった。
(胸が苦しいから好きじゃないんだよな)
日頃は薄汚れたシャツに軍で貰った大きなジャンパーとズボンでいる。丈夫で楽だからと愛用していた。が、気まぐれからかいわば日常の正装で出かけることにした
本拠に行くとリドリーしかいない。時間的には全員が揃っていてもいいくらいだ。
「あれ、行き違いですか? 工房に行く前にみなさんでアパートに寄るって」
「なんだ、もう少し寝ていればよかったな」
「ふふ、そうですね。でもそのネクタイじゃ怒られちゃいますよ?」
「シィがいなかったからね。じゃあ工房に行くよ。みんながここに戻ってきたらそう伝えて」
「はーい。行ってらっしゃい」
ミラーの工房は工業区にある。バスを使わずとも歩いていける距離だ。
近づくにつれて機械の音がしてくる。油と火薬の臭いはどことなくベタベタして、そこかしこに禁煙の看板が出ていた。
(引火したらやばいもんなあ)
しかしまた火をつけた。その看板に挑戦的ですらあった。すれ違う作業着を着た男たちはみな一度は眉間にシワをつくり、そして見て見ぬふりをする。彼女に喧嘩を吹っ掛けた者の末路を知っているのだ。
そのくせ気さくな彼女だと知っているから、工場男たちはこのざっくばらんな愛煙家を気にいっていた。
「ごくろーさん。よう、折れた骨はくっついたか?」
「あんたの工場を雑誌で見たぜ」
「なに言ってんだよ、もう暴れないって。カナリアさんに叱られるから。え、叱られたい? 変な趣味はやめとけよ」
とだれかれ構わず声をかけた。道行く者はほとんど知り合いだった。ミラーの関係者というだけでも寄ってくる虫は多いが、彼女に声をかける者には人間としての好感だけしかなかった。
工業区の北側にエコーズの工房はある。周囲の武器製造工場などに比べ規模は小さいが、ギフターのユニット整備場というのはどこもそうだった。
天井の高い平屋で、寂れた公園のような殺風景。実際には地下室で整備点検をする。その方が事故が少ないのだ。
「おっす。いるかー?」
「あ、どこに行ってたのよ」
「本拠に顔出したんだ。そしたらメルがここにいるって」
「昨日ライカンで言ったじゃないか。工房でメンテするって」
「さぁてね。まあいいや、やっちゃおう」
「適当だなお前は。アーク、カナリアに揃ったと伝えてこい」
「うん」
「それとシィ、あいつにネクタイの結び方を教えてやれ」
「……はーい」
覚えれば簡単なのに。とシィは文句を言いながら少女の首に垂れるネクタイに触れる。
「いやあ悪いね」
「灰をこぼさないの。ここに通すのよ、しっかり見なさい」
「ん、ああ、なーるほど」
「ちゃんと聴かないと締めるわよ」
はにかむ少女、されるがままに煙草を吸って、シィの指先を見つめた。
「ねえ、カナリアが呼んでるよ」
アークは顔だけだしてそのまま地下に降りていく。
「先に行ってるぞ」
タリアもさっと階段を下りる。二人を待つことはしなかった。
「あ、もう終わりますから。さ、行くよ」
「待ってよ。自分でもやってみるから。なあ、どうやって紐に戻すんだ?」
「……今度教えてあげる。ちゃんと覚えなさいよ」
「わかってるさ。ちゃんと、ね」
新しい煙草に火を移し、火種のなくなったものを放り捨てた。工房は禁煙としてあるが、いくら注意しても無駄だった過去がある。
打ちっぱなしのコンクリート床で、火種が消える。
「急ぎなさいよ。カナリアさんが待ってるんだから」
「時間は有限。ゆっくり行こうよ」
「意味がわからないんだけど……」
はにかむ好、シィに手を引かれながら白い煙をほっと吐いた。
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