10話 芋パンと手のひら

「わ! ど、どなた?」

「あ、あの」


 背は低く、眼鏡を鼻に乗せ、カールする茶色の髪がなんとも可愛らしい。


「お客さんなんて珍しいな。まあいいや。名前は?」

「は、はい。ガブリエルと申します」

「よろしくガブリエル。でもこれから出掛けるから日を改めてくれると嬉しいね」

「えっと、私、手紙を……」

「手紙?」

「ファン、といいますか、あの」

「ありがとう。でもここはプライベートの場所だ。どこで調べたのかは知らないけど、そういうのはエコーズの本拠に頼むよ。住所はリンカーフォード商業区画Cの7。通り沿いを行けば看板が出てるからすぐにわかる」


 ガブリエルは顔を赤くして頭を下げた。走ってアパートの階段をかけ降りると、二人の視界からはもう消えていた。


「ずいぶん親切ね」

「こういうのはお前の役目だろうが。シィ・ホープセルさんよ」

「だって、びっくりしちゃったんだもん」

「何度かあったじゃん。ホープセルに会わせろって。あれは太ったおっさんだったけど、あの子ならいいじゃないか」

「だから怖いのよ。人は見かけによらないっていうでしょ。突然刺されたらどうするのよ」

「くふふ、心配性だな」




 ティム・ブックスは珍品好きな店主ティム・マックスが営む小さな本屋で、珍しい蔵書しかないというちょっとマニアックな店だ。


「なに買うんだ? また何百年も昔の小説か?」

「今回はそんなに古くないよ。リーシアの作家でビクトールって人がいるんだけどね、彼は世界中央が大好きで、祖国をけちょんけちょんにこき下ろした小説があるの」

「売れたのか?」

「二千部くらい刷ったみたいだけど。売れたのはの数冊。すぐに発禁だもの」

「へえ。そんなの買ってどうするんだ」

「その国の文化や風俗を知るには小説がいいのよ。わかりやすいし」

「そんなもんかね」

「そうなの」


 ティム店主は常連のシィにサインを頼んだ。無愛想を崩して、初版の彼女の写真集を飾っていることを自慢しているという。しかしセルゲイ・ビクトールの「夢の世界中央」は見つからず、二人は足早に喫茶店に向かった。




 客はおらず、長身の優男レスチル・アドが独りで煙草を吸っていた。注文もしていないのに運ばれてきたサンドイッチに、シィは怪訝そうに声を潜めた。


「芋のサンドイッチって、これ?」


 想像していたのはポテトサラダだったが、実物は茹でた皮付きのじゃが芋がスライスされ、それが三切れ挟まったものだった。


「そうだけど」

「想像と違うわ。かなり」

「食うと美味いんだ」


 好き嫌いはないが、料理というよりは実験的すぎる創作料理にシィはそっと手を伸ばす。あまりに水分に欠けていた。ただの芋と食パンだった。


「そうよね。こういう味だよね。ハムとかレタスとかがあるともっと美味しい」

「それじゃあ芋パンじゃないよ」

「これ芋パンっていうんだ……」


 カラン。店のベルがなった。エコーだ。


「ここにいたか」

「あれ、タリアさん。なんかあった?」

「仕事だったら電話する。アパートにお前らがいなかったから、暇潰しに探してみようと思ってな」


 エコーが席に座るとアドはまたサンドイッチを持ってきた。


「おいアド、芋パンにはバターを塗れと言っただろ!」


 食べるとすぐ怒鳴った。アドは黙ったままだったが、煙草を灰皿に押し付けて反論する者がいた。


「いや、タリアさん。それは違うって。何もいらないよ。これはこのままが一番だ」

「私だけが知らなかったの? これってそんなに有名なの?」

「バターは必要なんだよ。これが美味いことはわかる。だけど油とパンと芋、これらは一つだから美しいんだ。美味いんだ」

「違うね。確かにそれは一理あるけど、芋パンに限っては違うように思う。どうして余計な風味と舌触りを加えるんだ」

「ちょっと、そんなに議論するほど?」


 ぐるり。火花を散らせる二人の首がこちらを向いた。


「シィ、お前は知らないのか。ギフターの間で各地の芋パンを持ち寄る会合すらあるというのに」

「え、衝撃の事実なんですけど」

「タリアさん、こいつは今日が初めてなんだよ。仕方がないさ」

「前に作ってやっただろう。スペイン式の芋パン」

「え? あの、しょっぱい蒸かし芋を固いパンに挟んだやつですか?」


 以前、シィが故郷の料理を振る舞った翌日にエコーからの差し入れられたのがそれだった。味、というか素材そのものであり、シィはありがたいものだと暗示をかけて黙々と食べたことを思い出す。


「アド、またそのうち来るからスペイン式を用意しておけ」

「いや、そんな、別に、私は」

「アークにトルコの芋パンを確認してもらおうかな」

「ふっ、あいつはともかく、カナリアならやってくれるさ」

「よし! うちの技師はやっぱり違うね」

「なんなの、そんなに興奮することなの?」


 会計はエコーがした。かなり安かったことが気になるシィだった。アパートに帰ってもくつろぎながら未だに芋パンの話をする二人にうんざりし、シィは強引に話題をつくった。


「そうだ! お仕事ですよ、タリアさん。お仕事の話とかきてないんですか?」

「ん? ないよ。アークが帰ってくるくらいだ。それで最近の芋パンはだな、厚く切ればいいと勘違いしている輩が多いんだ」

「そう! 分厚さもポイントですけど、そこじゃないんだ。厚くするのであればパンにもう少し固さをですね」

「待った! そこまで!」


シィは机を何度か叩いた。


「アークが、なんですって」

「近々帰ってくるんだよ。トルコの方は順次兵を下げて、リーシアに備えるらしいぞ」

「だったら芋パンの話なんかしてる場合じゃないでしょう!」

「怒るなよ。帰還祝いはメルが企画するから」

「それもそうだけど! えっと、えっと、そうだ戦力増強しましょうよ!」


 少女は煙草をブーツの底で火を消し、吸い殻が山のように積もった灰皿に差す。


「戦力増強ねぇ。アークが来るからそれでいいだろ」

「他の連中は要所にいるし、多分あてにされてる。引っこ抜くと面倒だ」

「アークはいつ戻ってくるんですか?」

「予定では七日後。カナリアも一緒だ。リーシア戦で結構潤ったから、祝いは少しだけ豪勢にしようと考えている」


 ふと、エコーはシィの表情に感じるものがあった。「お前ら遊びに行け」と唐突に、ここを自室であるかのように、しっしと手を振る。


「ほら、外でなんかしてこい」

「どうしたんだよ、突然。変だぜ」

「いいから。やり過ぎない程度に遊んでこい。迷惑だけはかけるなよ」


 理解はできなかったが煙草を2、3箱ポケットに入れて、少女はベッドからのそりと立ち上がる。


「わかってますよ。なんだかよくわからなけど行けばいいんでしょ……あ、シィ、お前の銃の整備に行こうぜ。私も脚甲のメンテがしたい」

「物事は早い方がいい。行け」


 露骨におい出すエコー、その意図に素早く気がついたシィだったが、ちょっと遠慮してみせた。


「私たちだけ遊ぶなんて。タリアさんは」

「まだ事務作業がある。部屋にいるよ」

「だとさ。じゃあ行ってくるよ」


 ありがと、隊長。ひらり交わされる視線、ガッツポーズでもしたくなるシィだった。




 専属技師の帰還を待ちながらも、懇意の技師を訪れた。ナズというギフターあがりの、エコーの後輩である。

 彼女は移動式巨大砲台は使いものにならないほどの損傷で、焼け焦げや溶け落ちた部品が無数にあり、修復は難しいと判断した。


「好ちゃん、ひづめの調子はどうなのよ」

「悪くないよ。ただ駆け足の速度がもう少しあってもいいな。リーシアは広いから。寒さと雪の対策もしないと」


 脚甲背部のブースター使用を駆け足と称している。超高速移動が求められる場合の秘技だ。


「手綱もしといたら? ワイヤーもそうだけど、しばらく使ってないでしょ、あれ」

「そうだなぁ。使うような相手には会いたくないけど」


 手綱とは好の手甲のことだ。ワイヤーで移動補助をすることからそう呼ぶ。


「あなたのユニットは仕組みが多いんだから、きちんとメンテナンスしないと。カナリアさんに叱られるわよ」

「そうだけどさぁ」

ばかりじゃなくて、お金はこういうところに使うのよ」

「ははは」


 シィの視線を受けつつ煙を吐き出す。そしてまたポケットから煙草を取り出した。


「これが人参の代わりだよ」


 ギフターのユニットは専門の職人によって造られる。シィのは「アンヘル」と銘が打たれているし、蹄、手綱などを「漆駒うるしごま」と総称し銘してある。

 これら全てのメンテナンスや改造はギフターお抱えの職人が行う。それがカナリアだ。


「カナリアさんも戻るし、いっそオーバーホールしようかな」


 カナリア・ミラーはエコーズの職人であり、エコーと共に軍を抜けたメンバーの中でも古株だ。


「まあ後で考えようぜ。のんびりしようよ、こんな時間は滅多にない。写真撮影もサイン会もないんだぜ。散歩にくらい付き合ってくれよ」


 ナズの店を辞し、フラフラ散歩をした。好は空を見上げる。冬の乾いた空気と煙草を循環させ、シィの手を引いた。


「アークとカナリアさんの宴会場。下見にでも行こうじゃないか。また部屋でやると掃除が大変だ」


 そういった手配はメル・リドリーが、エコーズの事務方がしている。二人がすることなど何もなかった。触れる手の温もりのせいで、シィにそれが言い訳のように聞こえる。




 そうか、なんだよ、嬉しいことしてくれるじゃん。




「掃除したのは私だけ。落ちてる灰も、吸い殻も」

「だからだよ」


 素直じゃないんだから。シィはこの愛煙家で乱暴な友人の手を強く握った。火傷しそうなほど熱かった。


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