十九話 


 それから私達は職員室に通された。保健室の先生はもう帰ってしまっていたので、先生が保健室から取って来た救急箱で応急処置をしてくれた。

「屋上で何をしていたんだ?」と聞いて来た先生達に私と美月はずっとダンマリを決め込んでいた。先生たちもあまりにも感情的に暴れていた私達を見て、怒る事ができなくなってしまった様子だった。


 私も右手が腫れ上がって、美月も怪我をした場所を再度診てもらう為に、先生の車で病院へと連れて行かれた。

 私は手の骨が折れていたので、生まれて初めてギプスというもの経験した。

 治療が終わると先生と医者が話をしている間、私と美月は外の待合室で二人きりで待たされた。

 もう開業時間は過ぎており、隣同士に座った私達はお互いに何も話さないまま、薄暗い待合室でじーっと俯いていた。


「屋上から地面見た時、死ぬほど怖かったでしょ?」


 私はボソッと言うと、美月が「あん?」とこっちをチラ見した。

 私の包帯まみれの右手が、自然と美月の左手に伸びた。私に酷いことを平気でして来た彼女の手は、指が長くて小さく柔らかな手をしていた。


「もう、死ぬなんて怖くて、二度と出来ないでしょ?」


 私が少し嬉しそうに言うと美月は舌打ちをして、私の手を振り払ってきた。そして私から目を逸らした。


「私も去年、あそこに立ったから」


 そう言うと、美月が驚いた顔で私を見た。

 私はもう一度、美月の左手に右手を伸ばした。


「私も、アナタにあそこまで連れて行かれて全部終わらせようと思った。死ぬほど怖かった。でも、死ねなかった。あんな怖いって知っちゃったら、もう二度と自殺なんて出来ないよ」


 さっきは拒絶した美月の左手、今度は抵抗もなく力が抜けている。


「私もアナタも、もう楽になれないよ。生きてくしかないよ、どんなに辛くても、この世界で」


 今までずっと私のお腹の底に溜まっていた物が、一斉に口から込み上げて来た。


「ザマァみろ」


 そう言ったら、顔が自然に綻んで、笑いがこみ上げてきた。

 美月の手は力は何も入っていない。それからずっと私達はそのまま無言で手を握りながら椅子に座っていた。


 ニ年間もイジメられてたのに、私と美月はやっと初めて会話をした。お互いの指と指から情報がどんどん交換されていくように。


 暫くすると、先生が連絡したらしく、お母さんが私を心配して駆けつけてくれた。

 だが、私を見るや烈火の如く怒り始めて、先生と看護師さんが止めに入るほどの勢いだった。先生連中はまたしても、屋上のことを注意するタイミングを逸してしまった。


 その後、お母さんは私の代わりに先生たちにずっと頭を下げて謝り通しだった。

 その後、美月にもずっと「ごめんね、ごめんね」とお母さんは頭を下げた。


「あ、いえ。こちらこそ、申し訳ありませんでした」


 美月は弱い声でお母さんにお辞儀をして言った。

 美月の家族は、誰も来なかった。

 私が離れたソファでお母さんに怒られているのを、美月がずっと見ているのを肌で感じた。


 私たちの怪我の具合から事情聴取は後日と言うことで、私と美月はその場で解放された。私はお母さんの車で帰る事になり、美月は先生の車で家へ送られる事になった。


「あの子、お友達なの? 礼儀正しい子ね」


 車の中でお母さんが突然聞いてきた。

 私はなんて答えれば良いのか分からず、スグに返事ができなかった。

 「友達じゃない」と言えば、お母さんに心配をかけそうだし、「友達だ」と言えば、なんで友達と喧嘩したのかを心配されそうだし。


「わからない」

「何よ、それ。同級生なんでしょ? 手、つないでたじゃない」


 お母さんは怒った口調で言った。

 嘘を吐けば良いだけなのに、死んでも美月を友達と言いたくなかった。


「同級生」


 お母さんは「変な子」とため息を吐いた。

 結果、お母さんを一番心配させる答えだったかもしれない。


 友達ってなんなんだろう? 


 車の窓の外を見ながら、ボーッとそう思った。

 私と美月は今日、世界中のほとんどの人と共有できないモノを共有した。心の距離というものは、お母さんよりも近いかもしれない。

 でも、友達では無い。

 でも、美月を赤の他人と見なして生活することもできない。


 家に帰ったら、なんだか疲れてしまった。

 お風呂に入ると手以外の腫れに悪いと言われていたので、お風呂にも入らず、ご飯を食べたら、すぐに布団に入って寝た。

 でも顔と体が火照って、疲れていても眠ることができなかった。


 暗い部屋のベッドの上でジッと身を潜めていたら、突然、スマホがブルっと鳴り出した。

 清水さんかと思ったが、画面には『阿雲圭一』と表示が出ていた。

 それを見た瞬間、スマホを床に放り投げた。

 地面でしぶといゴキブリみたいに光を放ちながらバイブ音を鳴らし続けるので、足だけ床に下ろして部屋の隅に蹴り飛ばした。充電器ごとコンセントから抜けて、部屋の隅に飛んで行った。

 それから日付が変わるまで、スマホは数十分置きに鳴り、光っていたが、私はもう気にしないでベッドから見える窓の外をボーッと見ていた。


 美月もきっと寝られないんだろうな、と思った。

 本当だったら、もうこの世に居ないはずだった。眠るはずのないベッドの上にいるあの不思議な感じを美月も今、味わっているのだろうな。


 私が納得する美月への復讐って、一体何だろうか?

 私は美月のどういう顔が見たいんだろう?


 それからボーッと考えていた。

 入学の時からずっとクラスの中心にいた美月。それを遠くで見ていた。ある日から、私は彼女に狙われた。

 最初はくすくすと笑われる程度にイジメられ、どんどんエスカレートして行った。

 ずっと美月は王様の椅子に座って、私は低い場所からそれを見上げていた。


「あっ」


 その時、私の脳裏にさっきのお母さんとのやり取りが蘇って来て、私の体震えた。

 その復讐が閃いた瞬間、思わずベッドから飛び上がった。なんか、全てが一つに繋がったような、自分には完璧な解答が完成した。


「今なら、出来るかもしれない。清水さんに協力して貰えば」


 きっと、これが美月にとって一番の復讐だ。それに、清水さんの復讐にも、きっと協力できる。

 それを思い付いた瞬間、何故か安心した私はウトウトと夢の中へ入って行った。


 夢を見た。

 体育館の裏庭、放課後、私はそこで一人座っている。

 するとそこへ静香ちゃんがやってくる。

 静香ちゃんはずっとニコニコと明るい話、今日、クラスであった事を楽しそうに話してくる。

 そこに美月と清水さんがやって来た。

 清水さんは梅昆布茶を飲みながら、私と静香ちゃんの話を聞いていて、たまにボソッと会話に入ってくる。美月は離れたところでスマホを弄りながら、会話をしている私たちの話を離れて聞いている。

 四人でずっとそこで座って、誰が仕切るわけでもなく、ただ抑揚もないけど、延々に会話が続く。


 ただただ、それが当たり前で、毎日の学校終わりの楽しい時間。

 ずっとこんな生活が続けば良いのにって、夢の中の私は思っている。



 そこで目が覚めると、もう朝になっていた。


 夢に出てきたものなんて、何も存在しない現実。

 死にたくても死ぬこともできない現実。

 嫌いな人間が生活を支配する現実。

 でも、もう逃げられない現実。


 何の力も持ってない自分が心底嫌になる快晴で真っ青な空の朝。

 阿雲圭一に私の心を取り出して見せてやりたい。

「これがアナタが理想としてる世界の人間ですか?」って尋問してやりたい。ふざけるなよ。


「美月」


 美月も今、ベッドの上で同じような陰鬱な気分に押し潰されそうになってるんだろうな。

 でも、逃げられないよ、私たちはもう。

 力ある奴に歯向かって、砂みたいにスグに崩れてしまう自分を守るか、さっさと粉々になって、何も考えずに生きるか。

 後者なんて選ぶ気もないし、美月に選ばせてやる気もない。


「よしっ」


 私は顔を手で叩いて、ベッドから床に降りた。



 朝、学校の昇降口で傷だらけの私の顔を見他清水さんは、珍しく動揺した表情をしていた。

 その後、昨日の帰り道、美月とあった出来事を清水さんに話した。


「私だったら、確実に殺してたわね。土師美月の立場があの男だったとしたら」

「そうかな?」

「むしろ、突き落としてたわ」


 清水さんは私の顔をじっと見てきた。


「な、何ですか?」

「アナタって変わってると思ってたけど、違うわね」

「え?」

「クレイジーね、かなり」

「クレイジー?」


 生まれて初めてそんな事を言われた。大人しい私とは無縁の人が言われるセリフだと思っていたのに。


「土師美月に同情するわ。こんなクレイジーな人に根に持たれるなんて」

「あの、それで清水さんに協力して欲しいんだけど」

「協力?」


 私は昨日の夜に思いついたアイデアを清水さんに打ち明けた。

 それを聞いた清水さんは、さっきよりも目を丸くして動揺し始めた。


「本気で言ってるの、アナタ?」

「でも、一番の復讐だと思わない? 美月にとって。それに清水さんの復讐の手助けにもなるでしょ? 今が絶好のチャンスだと思うの!」


 清水さんは少し考えて、クスッと笑った。


「確かに、そんな事想像している人、誰もいないかもね。アイツらもきっと慌てるわね」


 清水さんはそう言ってスマホを手に取った。


「お昼休みにきっと平良は土師美月を連れて体育倉庫に行くわ。そこに乗り込む、それで良いわね?」

「え、今日やるの!」

「今日しかないわ。行動力で私達が負けたら勝ち目なんて無いの。鉄は熱いうちに打てって言うでしょ」

「でも、準備が全然できてないよ?」

「お昼休みまでにはまだ時間があるわ。それに私も奥の手を出すわ」

「本当?」

「アナタのアイデアは土師美月を助けるものだから、私は平良をやっつける切り札を出すしかないでしょ。やりましょ」

「清水さぁん!」


 喜んで私は清水さんの手を握った。右手の怪我を忘れていて、激痛が走った。

 その場にうずくまると清水さんに「大丈夫?」と心配されてしまった。


「でも、土師美月は本当に学校へ来るの?」


 彼女は不安そうな顔で言った。


「美月は来るよ。絶対に」

「美月?」


 と、私たちが話していると、隣のクラスの下駄箱辺りがザワザワとし始めた。

 みんなが見ている視線の先に目をやると、私と同じように顔に殴られた後のある美月が上靴に履き替えていた。


 大勢の同級生がざわざわと美月の噂をしていても、美月は我関せずと言った感じで淡々と履き辛そうに上靴を履いていた。

 が、その中から私の視線に気付き、美月はギッと私を睨みつけてから、自分のクラスに向かっていった。


「ほらね」

「……あなた達、何があったの?」

「それはさっき話した通りよ」


 それから、私と清水さんは授業中に段取りを考えて、休み時間に細かい打ち合わせを繰り返し、ついに四時間目が終わり、お昼休みになった。











 

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