十八話 

 それから一週間、美月は学校に来なかった。

 美月の鞄や教科書は、先週の状態のまま残っているらしく、どうやらあの体育倉庫の出来事の直後に学校を出て行ったきりらしい。


「ほら、ここに記事が出てるわ」


 私はその日も清水さんの家へお邪魔して、そこで美月のお父さんの会社の倒産を知らされた。

 私が普段見ているのとは別の場所にある経済ニュースで、小さく記事になっていた。


「このまま学校に来なくなっちゃうのかな?」

「あんな事があった上に、お父さんの会社が倒産よ。来たくても来れないわよ」


 清水さんはあの現場を見ていたのに、他人事と言った感じで梅昆布茶を飲みながら言った。


「ただでさえ、うちの学校でそう言う家柄とかメンツでヒエラルギーが決まってるから、両方失ったら、どうしようもないわね」

「でも、それって平良さん達の狙い通りになって、清水さん的には面白くないんじゃないんですか?」


 私は少しムッとした口調で清水さんに言った。

 清水さんもそれを聞いて、一瞬、お茶を飲む口が止まり、ムッとしたのがわかった。


「前にも言ったはずよ。計画を潰すって言うのは、長い年月での話だって。昨日の出来事や土師美月の事で、私の気持ちはいちいち変わらないわ」

「でも、一泡吹かせる為に昨日、忍び込んだんですよね。土師さんもあんな事になって、その糸口が無くなったのも事実ですよね?」


 清水さんは湯呑みを口につけた状態でジーッと私を観察するように見てきた。


「アナタ、怒った時はバチバチに痛いところを突いてくるわね」

「あ……すいません」


 自分でも正直、何にイライラしているのかよく分からなかった。


「それは半分は正解だけど、半分は不正解よ」

「どういう事ですか?」

「あの日以来、平良の様子、見てない?」

「平良さんの?」

「アイツ、イライラしながら周りに当たり散らしてるのよ。きっとあの男にまた怒られたんだわ」


 清水さんはいい気味って感じに微笑んだ。


「怒られる? どうしてですか?」

「わからない? 土師美月にあんな怪我まで負わせて、もしこれで彼女が学校に来なくなったら例の『いじめっ子の撲滅』とやらのデータはどうするの?」

「あ、そうか」

「土師美月に殴られてイライラしたんでしょうね。あんなモップで殴る必要はなかったのに。アイツはいつも後先考えずにボロを出すのよ」

「じゃあ、清水さんは一泡吹かせられたって事なんですか?」

「そんなわけないでしょ。やったのは土師美月と平良のミス、私は一切関わっていないわ。こんなんじゃ一泡吹かすなんて言えないわよ」


 それで半分正解、半分不正解って事なのか。


「というか、アナタ。自分の今の状況が理解できていないの?」

「え、何のですか?」


 私の返事に清水さんは呆れたという表情を見せた。


「アナタはイジメに勝ったのよ? 形だけ見れば」

「え?」

「松葉は今、特にイジメられるワケでもなく学校生活をしている。対して土師美月は学校に来れなくなったり、仲間に裏切られて、平良達にこき使われている。立場は逆転しているんだから、アナタの勝ちなのよ?」


 清水さんに言われるまで、その事に気付かなかった。

 でも、私の中に一個も勝ったという気持ちも、嬉しいという感情はない。


「やっぱり、嬉しくなさそうね」


 美月のこと、好きか嫌いかと聞かれたら嫌いだ。でも、美月がこのまま学校から居なくなってしまうのは……なんか嫌だった。

 本当に誰にも説明できないけど、それだけは嫌で嫌で仕方がない歯痒さが私の中にあって、物凄く焦った気持ちになっていた。


「松葉は、土師美月を救いたいって思ってるのかしら?」


 清水さんは梅昆布茶を啜り、湯呑みをテーブルの上に戻した。


「それは……」


 別に美月を助けてあげたいと言う気持ちではない。

 自分の感情がわからない。心の奥から体の内側をこしょぐられている様な気持ち悪さが焦りになって、ずっと私の中に居座っている。


「別に土師さんを救いたいとかじゃなくて……」

「じゃあ、何なの?」


 何なんだ、この気持ち。

 私が一番知りたい。


「分からないんです……ずっと」


 上手く言えない。

 ただただ、気持ち悪い。早く言葉にして吐き出してしまいたいのに、適当な言葉がこの世に存在していない。イライラする。


「ごめんなさい。私も痛いところ突き過ぎたわ。止めましょ」


 清水さんは私の分の湯呑みも手に取り、お茶を淹れ直して戻ってきた。


「アナタにお礼を言っておくわ」


 清水さんは戻ってきて、私の分の湯呑みをテーブルに置いた。


「お礼? 何のですか?」

「昨日、収穫が無かったわけじゃないの」

「えっ!」

「ただ、使うには少し危ない橋を渡らないといけない代物なんだけど。使用する段取りも形も全然イメージすらできないわ。私もアナタと一緒」


 清水さんがそう言ってくれて、少しホッとした。今は仲間がいるって事を忘れていた。感情を共有できる人がいると、悩みが前よりも小さな事に感じた。


「お互い、少し頭を冷やして考えた方が良さそうね」

「そう、ですね」


 それでその日はお開きとなり、私はまた電車に乗って、自分の家へ戻った。

 帰りの電車。帰宅時のラッシュ始まりだし混んでいる車内で、ボーッと窓の外を見ながら美月のことを考えていた。

 誰かに胸に手を突っ込まれて、この気持ちを取り出して名前をつけて欲しい。


 なんで、こんなにも悔しいんだろう。


 きっとコレは勝ちじゃないんだ。

 むしろ、美月が学校に来なくなったら、私の負けなんだ。

 これは、美月への私なりのライバル意識なんだ。

 何のライバルなのかは良くわからないんだけど。とにかく、なんか美月に負けたくないって気持ちと、こんな形で勝負が終わって欲しくないって言う気持ち。

 

「あれ?」


 私の視線の先、一個向こう側のドアの位置に私と同じ制服が見えた。

 なんで、この時間にこっち側の電車に乗ってるんだろう?

 学校に忘れ物でもしたんだろうか? 

 それとも、何処かに遊びに行った帰り?

 電車の窓から差し込んだ夕日が当たって茶色く見えていた彼女の髪が、駅に着き、日が遮られた事で金髪に戻った。そして首から垂れている白い巾を見て、心臓が一回、大きくなった。


「土師さん」


 後ろ姿しか見えないけど、間違いなく美月だ。

 私は彼女に気付かれないように、帰宅ラッシュの人混みに身を隠し彼女をロックオンした。


 案の定、彼女は学校のある私と同じ駅で電車を降りた。


 やっぱり、学校へ行くんだ。

 でも、この時間に何をしに行くんだろう?


 ドキッ。


 その時、私の心臓が鈍く鳴った。

 美月の姿を見た時から、嫌な予感だけが独り歩きしていく。


 美月は制服だけ着て、ただ手ぶらでブレザーに手を突っ込みながら、人混みの中を歩いている。

 美月を見失わないように、私は小走りで彼女の後を追った。

 下校中の生徒と会わない様にしているのか、やけに遠回りをしていけど、確実に学校の方へと近付いている。


 美月は学校の裏門から校舎の中へ入って行った。


 すでに部活の生徒がほとんど帰り、シーンと静まっている校舎。

 遠くから、これから帰るのであろう、私たちとは違う世界に住んでいる数名の残っていた生徒の小走りと笑い声が聞こえる。


 美月はそんな音、鳴っていないかのように職員室へと歩いて行く。

 私は彼女に見つからないように廊下の角に隠れながら様子を見ていた。


 心臓の鼓動がどんどん速くなる。

 

 美月は職員室から出てきて、そのまま階段を上がって行った。

 やっぱり、屋上の鍵を取りに行ったんだ。

 屋上への階段を見上げながら、私の足が重くなっていくのが分かった。


 なんて言って止めれば良いんだ?

 そもそも私は止めて良い人なのか?


 彼女が死ねば、きっと少しは嬉しいはずだよ。


 美月の足音がどんどん遠くになって、消えかけて行く。


──ふざけるな──


 体から急に熱くなって、命令が飛んで来た。

 これは美月が私の中に埋め込んだ時限爆弾みたいな感情だ……あの時、トイレで殴りあった時に。

 私は今、あの時みたいに物凄く怒っている。

 コイツにだけは絶対に負けたくないと言う、意地みたいなモノも感じる。


 私の中で気持ちが言葉になった。

 そうだ、私も清水さんと一緒だったんだ。

 

 美月だけは私が納得のいく形で何が何でも復讐してやる。そうしないと、私の人生は次に行けない。平良さんなんかに負けるなんて絶対に許さない。


──お前だけは絶対に許さない──


 周りから聞こえていた音が全て消え、私は夢中で階段を駆け上る。


 開けっぱなしになっている屋上のドアを駆け抜ける。

 外はもう真っ暗になっていて、ロクに照明の無い屋上は人影もハッキリ見えないほどに暗くなっていた。


「土師美月!」


 私は大声で彼女の名前を叫んだ。こんなボリュームが私の口から出るのかと、驚くほどの大声だった。

 

 その時、その声にビクッとなった美月の足音が聞こえた。

 深海のような真っ暗な中、その足音目掛けて走った。

 近付くと美月は柵を乗り越えて、屋上の縁の手前に立っていた。


「色鳥」


 馬鹿にされたりとか、ふざけ半分とかじゃなくて、初めて美月に真っ直ぐ名前を呼ばれた。


「お前、何してるん……」


 でも、そんな驚く美月の声なんて気にせず、私は彼女の首根っこの折れた腕を吊るしている巾着を力一杯引っ張った。

 私に巾着を引っ張られ、体勢を崩した美月はガン!と、後ろの鉄の柵に背中を打ちつけた。


「何すんだ、テメェ!」

「……死ぬなんて、絶対許さないからな」


 私に凄まれて言い返された美月はビクッとなり、動けなくなっていた。

 私はその隙に彼女の巾着の結び目を外し、柵に強く結びつけた。


「ふざけるな。解け、コラァ!」

「お前だけは、絶対に自殺なんかさせない!」

「は?」

「私の事、好き勝手にして、私の世界をメチャクチャにしたくせに、ちょっと自分が不利になったら逃げるとか、そんなの絶対許さないからな」


 私は柵越しに美月の腕を潰す気持ちで握りしめた。美月はそれに顔を顰めることもせず、大きな舌打ちを返してきた。


「阿雲平良なんかに負けるなんて、絶対許さないから!」


 夜のほとんど誰もいない校舎に響き渡る叫び声を聞きつけた、先生と数名の生徒が屋上に上がって来た。


「おい。何やってるんだ、お前達!」


 巾着越しに美月が「しまった」とビクッとなるのが分かった。

 美月は腕を握り私の手を柵に何度も打ち付けてきた。

 私は全体重をかけて、美月の巾着を地面に向けて押しつけた。


 美月は先生達によって柵のこちら側に引き戻され、手の痛みで蹲った私も後輩の女性に肩を借りて立ち上がった、


「色鳥、テメェ!」


 しかし、柵のこちら側に戻ってきた途端、美月は先生達の腕を振り切り、私に向かって殴りかかって来た。

 ギブスで顔を殴られた私は、肩を貸してくれた後輩の女の子と一緒にコンクリートの地面に倒れ込んだ。

 美月はお構いなしに私の上に馬乗りになって来た。右手の感覚がなくなっていたけど、私も必死で抵抗し、コンクリートの床の上でくんずほぐれずの状態になる。


 先生に止められるまで、私と美月は数分間、あのトイレの時の続きのように殴り合った。

 私も死ぬほど美月に腹が立ったけど、美月と喧嘩をしている事に私のお腹は暖かくなり、ホッとしている自分がいた。

 美月の世界に、ちゃんと私が居たことが伝わってきた。なんでか知らないけど、それが凄く嬉しかった。











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