十五話


「一泡吹かせるって、具体的にどうやるんですか?」


 私が尋ねると清水さんは私の顔をジーッと見てきた。


「な、なんですか?」

「……味方じゃない人に話すつもりは無いわ。アナタがあっち側に寝返るとも限らないし」

「私は……」

「さっきの廊下の様子を見ていたら、仮に今、海道静香に頼まれたら「ノー」って言えないんじゃないの? 今のアナタは」

「それは……」


 確かに、今の静香ちゃんに何かを頼まれたら、私は罪滅ぼしのつもりで何でもしてしまいそうだ。


「でも、今の私なんて、彼女は見向きもしてませんし。それに私に彼女を手伝う資格も、止める資格もありませんから」


 結局、今の私にできることは、ただ身の回りで起きていることを傍観しているだけなのだ。その事を痛感させられた。


「資格ねぇ……」


 清水さんはそう呟き、何かを言いたげにため息を吐いた。


「正直に言うと、今の私たちには具体的なアイデアは何にもないわ」

「えっ」


 清水さんが急に打ち明け、私は顔を上げた。


「良いんですか? 喋っても」

「何も無いんだから、話しても問題ないわ」


 私たち?

 その言葉に引っかかった。私以外に最低でももう一人、彼女が仲間がいるって事だろうか?

 誰なんだろう?

 もしかして、さっき私を監視する様に言った人っていうのがそうなのかな?


「でも、私は何らかの方法で、いつかあの男に復讐してやるつもり」

 

 復讐。

 清水さんの大人しい顔から想像もつかない物騒な言葉が飛び出した。


「ただ、私にもよく分からないの」

「復讐をするんじゃ無いんですか?」

「どうやったら、あの男が苦しんで私の心がスッキリするんだろう? って毎日考えてる。でも、全然思いつかないわ」

「心がスッキリする……」


 清水さんの言ったその言葉に私はハッとした。


「どうかした?」

「い、いえ! 別に」


 私も最近、毎晩考えていた事だった。

 美月がどうなったら、私の心はスッキリするんだろう? って。

 彼女の同じ事を考えていたのかと思ったら、少し白い靄が掛かっていたその部分がすっきりした気分になった。


「もしかしたら十年、それ以上かかるかもしれない。でも、私はあの男に復讐してやるつもり。自分が納得する形で、絶対に」


 もしかしたら私が美月に抱いている気持ちと、清水さんの話している事は似ているのかも知れない? 

 なんか厳密には違う気もするけど、それでも清水さんのことが一気に近い存在に感じた。


「当面はあの男が一番力を入れている『イジメのサンプル計画』を潰すのが手っ取り早いと思って、ある人に頼んでスパイさせて貰ってるだけ」

「ある人?」

「私の、師匠みたいな人」


 そう言った瞬間、清水さんの表情は一瞬、緩んだ気がした。


「さっき言ってた、私の監視を頼んできた人ですか?」

「そうね。これ以上は、アナタには言えないわ」


 私は、少し温くなった梅昆布茶をもう一度飲んでみた。


「しょっぱっ!」

「無理に飲まなくてもいいわよ。普通のお茶もあるから」


 清水さんは私に普通の緑茶を淹れて、自分にはまた梅昆布茶をもう1杯注いで帰って来た。

 よく飲めるな、こんな塩っぱいものが。


「でも、十年以上って、その頃には中学どころか社会人になっていますよ。そんな歳になっても、私たちのイジメのサンプルってまだ継続しているんですか?」

「アナタと海道静香の二人はあくまでもサンプル。今後はアナタたちのデータを元にして、どんどんアナタたちの様なイジメられっ子は増えていくはずよ」

「増えていくって……」

「少なくとも、うちの学校では来年度から、各学年で二名づつの生徒をサンプルに抜擢する事になっているわ。もちろん、該当する生徒以外には極秘よ」

「来年って、もうそんな早くなんですか?」

「あの男が目指している当面の目標は、この学校でのいじめ件数ゼロ。

 その後、その成果を持って、まずは全国の私立中学を中心にこのシステムを導入していく。ゆくゆくは全国の学校、会社での導入に繋げるらしいわ」

「そんな多くの生徒にあんな大金、払えるんですか?」

「正確には、埋まっているのよ」

「埋まっている?」

「私たちの社会のあちこちに、そのお金はね。経済損失って言うの」


 清水さんはスマホを出し、何やら操作しながら話を続けた。


「全国の会社でのセクハラやパワハラ、いわゆるハラスメントって言うのが問題になっているでしょ?」


 私は頷いた、それくらいならニュースで聞いた事がある。


「全国の企業のハラスメントによる経済損失は約2兆円から3兆円って言われているわ」


 そう言って、私にスマホで開いたページを見せてきた。

 内容が難しそうで私には到底、理解できそうになかった。清水さんはこんな難しいものを普段読んでいるのかと、感心してしまった。


「3兆円って、そんな大金を損してるって事ですか?」

「そう。そこに学生時代のイジメによる精神障害、社会に出てからの会社やコミュニティでのイジメ問題……全てを合計した経済損失は10兆円以上って言われているの」

「そ、そんなに」

「つまりいじめ問題が解決すれば、この国は10兆円分多く儲かるって事。その為に多少イジメられた人にお金を払って解決できるなら安いものでしょ?」


 初めてサンプルでお金を貰った時、阿雲さんが『これでも安いくらいです』と言っていたのはこう言う意味だったのか。


「で、でも。イジメがなくなるなら阿雲さんのやっている事自体は、いい事なんじゃないですか?」

「アナタが土師美月に殴りかかった様な事が、どの学校で起きても?」


 清水さんに言い返されて、私はハッとした。


「サンプル本人の意見として、あなた、本当にこの方法でイジメがなくなると思う?」


 清水さんが真っ直ぐな目で私を見た。

 私だって、この方法は間違っているんじゃないか? って疑問を持って静香ちゃんを止めようとしていたんだった。


「あの男はそんな問題は小さな事として、無理矢理、話進めて行っている。本気でいじめを無くす気なんて無いわ。あるのは自分の手柄と、このハリボテの計画を本物のように見せる事だけ。この計画にも名前が付いたらしいの『フレンズ』っていう」

「フレンズ?」

「イジメなく、誰でも仲良く手と手を取り合って生きて行く。そう言う意味から『フレンズ』って名付けたそうよ」


 むしろ、阿雲さんたちがやっている事は、友達を作る事とは全くかけ離れた、むしろ真逆の行為に近い。

 お金を貰ったって、友達なんてできない。

 それは私の感情と、さっきの静香ちゃんの顔が証明している。


「計画はすでにステップ1が終了して、今はステップ2に入っているそうよ」

「ステップ1って、何だったんですか?」

「アナタがサンプリングになった案件よ。イジメられっ子に報酬を与える事により、イジメからのストレスの解放。

 これはアナタと海道静香の二人のサンプルで、かなり高い確率で可能である事が分かったわ」

「でも……あれは」

「でも、計画はもう次のステップに入ってしまったみたいよ。海道静香が中心になって」

「静香ちゃんが」

「ただ、その内容は私にもよく分からない。極秘で進んでいるって話だし」


 私は、半年前に公園で平良さんに言われた事を思い出した。


──土師美月を潰す──


 もしかして、次にステップって、こう言う事なのか?

 私は背筋にゾクっと寒いものが走った。


「もしかして、土師さんを潰すって言うのが、次のステップですか?」

「土師さんを?」


 私が訪ねた途端、清水さんの表情が変わった。


「何、それ? 誰が言ってたの?」


 そして、清水さんはテーブルの向こうから身を乗り出して、顔を近づけて来た。


「は、半年くらい前に平良さんから、聞きました」

「平良から?」


 清水さんは突然、深く考え出した。

 何だろう、言ってはいけない事を言ってしまったような気分になった。


「平良は、他に何か言ってなかった?」

「え?」


 私は必死であの時のことを思い出そうとした。

 でも、いかんせん半年以上前の事だ。


「確か、イジメっ子を殲滅するって」

「イジメっ子の殲滅?」

「あと、『データが取れればパパはもっと出世できる』とか」


 それを言うと清水さんが「もしかして……」とハッとした。


「何か、わかりましたか?」

「多分、あくまでも私の憶測だけど。方法はわからないけど、恐らく土師美月は平良たちに酷い目に遭わされるでしょうね。精神的、肉体的に追い込まれて、学校を辞めるか、自殺するまで……」

「そんな……」


 私の心に確かな怒りが浮かび上がって来た。


「酷いって思うの?」


 清水さんに聞かれてハッと我に帰った。


「アナタをイジメていた人よ、彼女は?」

「それは……」


 自分でも不思議だった。

 昔は、美月のことを「朝起きたら消えてないか?」「事故にあって死んでないか」って毎日願っていたのに、今では何故か、私は美月の事を心配している。


「もしかして、最近、土師さんが元気無いのは、それが原因なんですか?」

「元気がない?」

「二年生の後半くらいから、土師さん、ずっと一人でいる事が多かったですよね? それの何かなんでしょうか?」


 清水さんは梅昆布茶を飲んで、しばらく考え出した。

 それで一寸してから「ああ」と思い出した声を上げた。その一連の動きがお婆ちゃんみたいだった。


「それは、きっと家庭の都合よ」

「土師さんのですか?」

「アナタ、知らないの? 土師美月のお父さんの会社、今経営が危ないのよ」

「え……」

「去年辺りからね。恐らく、今まであった父親の後ろ盾が無くなって、クラスメイトも彼女と接する意味がなくなったんじゃないかしら?」

「まさか、それも……」

「あの男でも、それは無理よ。会社の経営悪化はただの偶然。まぁ、渡りに船だったとは思うけど」


 でも、それよりも、美月がどうなってしまうのかの方が心配だ。


「よく見てるわね、土師美月のこと」

「えっ」

「アナタにとって彼女って何なの?」

「何なの? って」

「アナタの表情とか見てると、とてもイジメられてた人に見えないから。何か特別な感情でもあるの?」


 私は返事に困って、俯いてしまった。

 分からないのだ。

 体育館の前で美月と話した時、どこか懐かしい人と話した様な感じになった。


「よく分からないんですけど。ただ、土師さんが平良さんに何かされるのは、あまりいい気分がしないんです……これってやっぱり変なんでしょうか?」


 私が尋ねると、清水さんは梅昆布茶を飲みながら、私の顔をジーっと見てきた。また、何かお祖母ちゃんっぽい動きだ。

 清水さんはゆっくりと湯呑みをテーブルの上に置いた。


「聞くけど。土師美月にアナタをイジメる権利はあったの?」

「え?」

「あの男に、私とお母さんをこんなところに住まわせる権利なんてあると思う?」


 清水さんの突然の質問。

 あまりにも唐突すぎて、意味がよく分からなかった。


「あの、どう言うことですか?」

「この世界には権利なんて本当は無いって事」

「本当は無い」

「あるのは力だけ。強い方が弱い方を支配する。だからアナタはイジメられて、私とお母さんはこのアパートに住んでる」


 清水さんが急に力強い顔つきで私を見た。

 その顔が窓から差し込む夕焼けに照らされていて、今まで内に秘めていた闘志を私にだけ見せてくれたような気持ちになった。


「海道静香を助けたいのに必要なのは権利じゃない。アナタがあの男や平良より、強くなれば良いってだけ」


 清水さんに言われて、ハッとした。


「誰かが上とか誰かが下とかが嫌なら、アナタが一番上になればいいのよ」


 清水さんの話している事は、一見、世の中の理不尽さを私に解いているように最初は感じた。

 でも、彼女の表情と声とでそれを聞くと、今後の私の人生の生きて行くための光の言葉みたいに感じた。

 私が理不尽になれば、みんな助かるかもしれない。


「それを踏まえた上で、アナタにお願いがあるの。私に協力してほしいの。私もアナタの目的に協力するわ。だから、お願い」


 清水さんはそう言って、姿勢を正して私に頭を下げて来た。

 生まれて初めて、人に頭を下げられた。


 目的地は少し違うけど、行く方角は一緒の人。

 仲間っていうのかな、こういう人の事を。


 私一人じゃどうにもならないけど、二人になったら、何か変わるかもしれない。


「あの、清水さん。その、協力します。だから、よろしくお願いします」

「じゃあ、松葉」

「はいっ!」


 いきなり、名前を呼び捨てにされてドキッとした。


「明日の四時間目の授業が終わったら、私に付き合ってもらえるかしら?」

「何をですか?」

「平良が今、体育館で何をしているかを知りたいの。もしかしたら、一泡吹かせる事ができるかもしれない」


 四時間目の終わり、体育館で何をしているのか偵察するんだ。


「わかりました!」

「その代わり明日は、そこでどんな酷い事があっても、何もしないで大人しくしているって。仲間として約束して」

「は、はいっ!」


 



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