十四話

 教室で話すのかと思ったら、清水さんはすでにカバンを肩に掛けていた。


「ここじゃなくて、私の家へ行きましょ」


 そう言うと彼女はスタスタと昇降口の方へ、歩いて行ってしまった。

 私は慌てて、教室へ戻り、カバンを取りに戻った。急いで行くと昇降口で清水さんが文庫本を読みながら待っていた。


「すいません」


 私が急いで上履きを靴に変えると、彼女は無言で文庫本を読みながら歩き出した。私は無言で清水さんの少し後ろをついて行った。

 私がいるのに、彼女は気にもせず文庫本を読みながら、自宅のある場所を告げずに、スタスタと歩き続けている。

 平良さんの妹と言っていたけど、性格が正反対だと思った。


 私には一切興味がないといった雰囲気が、態度から滲み出ている。

 小さい体で少し足の回転が速くスタスタと歩いて行く姿をぼーっと観察していた。何かに似ていると思ったら、ペンギンだ。 

 彼女の歩く姿を後ろから見ているのは、動物園にいるようで少し楽しかった。



 学校から最寄りの駅に着いて、清水さんはポケットから定期券を取り出した。


「あの、電車に乗るんですか!」


 私は焦って、改札を抜けようとした清水さんに話しかけた。

 彼女は「?」と言う顔でこちらを振り返った。

 私は歩き通学なので、正直持ち合わせが無かったのだ。


「あなた、お金、いっぱい持ってるでしょ? もしかして、もう使っちゃったの?」

「お金は……全部、家の机にしまってあるんです。あとカードとかも……だから、持ち合わせがないんです」


 彼女はジーッとしばらくこちらを見て来た。無表情で何を考えているのか、正直、分からなかった。

 平良さんみたいな喜怒哀楽が全部外に出てくるのに対して、清水さんは情報が一つも外に出てこない人なんだ。


「そう」


 清水さんはボソッと呟いて、カバンから財布を出して、私の方へ歩み寄って、中から小銭を取り出した。


「はい」

「あ、ありがとうございます。明日にはちゃんと返しますから」

「いいわ」


 その少ない三文字の言葉が、私の心臓にドシンと殴るように響いたのを感じた。

 

「いいわ……って、でも……」


 清水さんは私から、スッと目を逸らした。なんか少し照れ臭そうにしている。


「着いてきてって言ったのは私だから、お金は出すわ。一番安い切符をお願い」

「あ、はい」


 『いいわ』って言った一瞬だけ、清水さんの雰囲気が変わった。

 なんていうか……凄く真っ直ぐな口調で、この人は信じても良い人なんじゃないかって私に思わせてくれたのだ。


 でも阿雲さんの娘で私を監視しているって言っていた。つまりは阿雲さんや平良さんの仲間のはずだ。


 でも、平良さんの苗字は阿雲だったのに、清水さんは苗字は岩田。

 別々の苗字という事は、両親が離婚をしているって事なんだろうか? 

 もし、そうならなんで清水さんと平良さんは別々の親に育てられているんだろう?


 清水さんに言われた一番安い切符を買って、二駅先で降りた。

 同級生の家にお邪魔するのは中学に入ってからは初めての事だったので、電車を降りた辺りから私は次第に緊張してきてしまった。

 駅から十分くらい歩くと、車の通りも少なくなりだし、迷路みたいに入り組んだ道路になって来た。

 駅近くの区画整理されている家家と比べると、なんか、狭い場所に無理やり建物を押し込んだような、ギュウギュウの家の並びをしている。

 

 まだ着かないのかな?


「ここ」


 清水さんが文庫本を閉じて、小さな声で呟いた。


「ここ?」


 私は失礼にも聞き返してしまった。

 見るからに古い感じのアパートだった。

 確か阿雲さんは国の偉い人で、普段の平良さんの様子だとお金を持っているように見えていたのに、そんなイメージとは、かけ離れた雰囲気のアパート。


「2階だから」


 清水さんは、錆びであちこちが禿げている階段を上っていく。私の家のマンションよりも古い建物だ。

 二階の廊下に一つだけ新品の洗濯機が置かれている部屋があり、そのドアの鍵を清水さんが開けた。


「どうぞ」

「お、お邪魔します」


 玄関のすぐ横に台所、奥に襖が二つ。

 清水さんが右側の襖を開けると、テレビとテーブルが置いてあるだけの部屋があった。


「そこに座って、お茶でも出すわ」

「あ、ありがとうございます」

 

 部屋を見渡して、昔、お祖母ちゃんの家に行った時のことを思い出した。

 置かれている家具は割と新しめなのに、古めかしい部屋に全く馴染んでいないのに違和感を覚えた。

 座布団に座り待っていると、清水さんは湯呑みが二つ乗ったお盆を持ってやって来た。


「どうぞ」

「あ、ありがとうございます」


 清水さんから差し出された湯呑みを口に運んだ。


「しょっぱ!」


 緑茶だと思って飲んだら、何か梅のようや塩っ辛い味がして、私はビックリして咳き込んでしまった。


「梅昆布茶、ダメだったかしら?」


 そう聞いた清水さんは美味しそうに飲んでいる。


「すいません。初めて飲むから、ビックリしちゃって」


 そう言ってもう一度飲んでみたが、やっぱり私の口には合わない味をしている。


「あの、学校じゃダメだったんですか?」


 あまり梅昆布茶の味が合わなかったので、手持ち無沙汰になってしまった。


「学校だと、アナタの制服に付いているカメラが起動しているから、話しずらいのよ」


 そう言って、私の右胸の校章の部分を彼女がチラッと見た。本当にイジメのサンプルの話は全て知っている様子だ。


「あの学校にはそのカメラを起動し続ける為に、無線充電の電波がずっと飛んでいるの。多分、アナタの家の辺りまでは充電可能なくらいに」

「そうだったんですか?」


 私ですら知らない事を清水さんは知っていた。

 確かにこの制服をもらった時から「電池はどうしているんだろう?」と不思議に思っていたけど、そういう事なのかと納得が行った。


「この家の辺りまでは流石に電波は飛んで無いから、そのカメラの電池は30分もすれば切れてしまうわ」


 私は色々彼女に聞きたい事があったが、何から聞けば良いのか分からず、間が持たず、何気なく部屋を何回も見渡してしまった。


「ボロいって思ってるでしょ?」

「い、いえっ! そ、そんなこと」

「別に良いわよ。実際にボロいんだから。それに私とお母さんがこんな所に住んでいるのは、あの男のせいなんだから」


 あの男……


「もしかして、阿雲さんの事ですか?」

「ええ」

「あの、平良さんと姉妹なのに苗字が違うのは、やっぱり……」

「両親が離婚したから。それで、私はお母さんに着いて、平良はあの男に着いた。だから、姉妹でも苗字が違うの。

 元々、仲も良くなかったから、あの男は離婚しても、まだ私に父親面をするけど。平良と私は、もう、ほとんど他人のようなもの」


 平良さんと清水さんが姉妹だって、学校に居て一度もそんな噂は聞いた事がなかった。

 正直、姉妹でこんなにも性格が違うモノなのかと、未だに驚いている。


「でも、実の姉妹だったら、きっと何処かで心が通じてるんじゃ無いですか? 私は一人っ子だから、姉妹がいるって羨ましいですけど」

「それも今のうちよ。あと少しで本当に他人になるから」


 清水さんは淡々と梅昆布茶を飲みながら話していく。


「どういう事ですか?」

「暫くしたら、あの男は再婚して平良と新しい奥さんと別の家庭を作るわ。そうなったら、もう私の事なんて見向きもしなくなるわ」

「何で、再婚するって分かるんですか?」

「官僚でも何でも、大人の社会で、ある程度の出世をするには結婚をしていないと信頼されないのよ。

 多分、あの男の事だから、有力な政治家の娘とかとの縁談をもう進めているはずよ。そうなったら、私とお母さんの事はポイって捨ててしまうわ」

「そ、そんな事は無いですよ。だって清水さんは、阿雲さんの血の繋がった娘なんですよ」

「あの男の頭には出世の事しかないのよ。私や平良の事だって出世の為の駒くらいにしか考えていないわ。

 平良はそんなあのクズ男を誇らしく思ってるらしいけど、私にはお母さんを捨てたクズ人間にしか見えないわ」


 私は、実の父親を「クズ人間」と言う清水さんに衝撃を受けた。世の中の親子って言うのは、何があっても深い絆で繋がっているのだと考えていたのに……この人たちの家族関係は、私の頭の中では指人形の人形が動いているだけの様に見えた。


「私とお母さんがこんなアパートに住んでいるのも、あの男のせいなのよ」

「どう言う事ですか?」


 人の家庭の話にズカズカと踏み込んでいくのは失礼のはずなのに、私は、学校の勉強を聞いているように清水さんの家族の話に耳を傾けていた。


「離婚の原因は『お母さんが浮気をしたから』って事になっているのよ」

「『事になっている』って?」

「でっちあげたのよ、あの男が」

「え?」


 浮気をでっち上げる? 

 どうして家族でそんな事をするんだろう?


「昔から出世の事しか考えていなかったから、家になんてたまにしか帰って来なかったわ。それで、仕事のストレスが溜まるとしょっちゅうお母さんに暴力を振るっていたの」


 清水さんはお茶をの飲むのよやめて、テーブルの何もないところを一点に見つめながら、話し続けた。

 さっきまで、何の感情もないお人形さんみたいに見えていた彼女が、いきなり動き出したみたいに見えた。


「お母さんはそんな生活に耐えられなくなって、ある日、アイツに『別れてほしい』って頭を下げたのよ」

「なんで、悪いのは阿雲さんの方じゃないんですか?」

「それほど、お母さんは辛かったの。でも、アイツは首を縦に降らなかった」

「出世の、ため」


 清水さんは小さく私の言葉に頷いた。

 初めて、彼女と心が通じた。


「さっきも言ったけど。独身、未婚と同じで、離婚って言うのは出世に大きく響く大事な事なの。だから、アイツは何がなんでも離婚はしないって、お母さんがどれだけ頭を下げても許さなかった」

「じゃあ、どうやって離婚したんですか?」

「アイツがお母さんに離婚する条件を突きつけたの。『お母さんが浮気したのが原因で離婚した事にするなら、別れてやる』って」

「え?」


 私には言っている事が理解できなかった。

 なんで、阿雲さんが悪いのに阿雲さんは反省もしないし、謝りもしないのかが不思議で仕方がない。


「お母さんはその条件を飲んでしまった。

 だから、慰謝料も何も、あの男から支払われていないわ。むしろ、お母さんを恥晒しみたいに親戚一同で罵って追い出したのよ。

 唯一、私の養育費だけが毎月振り込まれているらしいけど。だから、お母さんは朝から夜まで、ずっと働き通し」

「でも、清水さんの養育費を払うのは、やっぱり娘のことが可愛いからじゃ?」

「それは、世間の目があるから。再婚して、私たちの存在を周りが忘れた頃に、私の事も捨てる。あの男はそう言う奴なのよ」


 清水さんは淡々と話し終え、またお茶を啜り出した。

 まるで心の中で、何度も何度もそれまでの敬意を繰り返しているかのように、抑揚もなく。

 それが寧ろ、彼女の阿雲さんへの憎しみに感じられた。


「それなら、なんで清水さんはこのサンプル計画を手伝っているんですか?」

「アイツの手伝いなんてしてないわ」

「でもさっき、私のことを監視しているって……」

「アナタの監視を頼んで来たのは、あの男じゃないわ」

「じゃあ、誰なんですか?」


 清水さんは少し考えて言葉を出した。


「今は言えない。けど、アナタに協力して欲しいの。あの男の卑劣な手口を公表するのを。もっと言えば、この計画を潰すのを手伝って欲しい」


 清水さんはそう言って、私に頭を下げた。

 人に頭を下げてお願いされるのは生まれて初めてだった。


「それが無理でも、アイツらに一泡吹かせてやりたい。それにはアナタの力が必要なの」

「私の力がですか?」


 自分の力を必要と言われたのも、初めての事だった。


 さっきの廊下での静香ちゃんの涙が頭に浮かんだ。

 計画が潰れて解放されてば、静香ちゃんも楽になるかもしれない。


 でも、静香ちゃんを止める権利は、もう私にはないんだ。












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