十三話


「アイツら、また海道さんの上履きに何かしたらしいよ?」

「マジ? また土師たち?」


 トイレに行ったら、たまたま隣の洗面台で静香ちゃんのクラスメイトと思わしき二人が話をしていた。

 静香ちゃんの上履き? 

 遠くから見ていると、静香ちゃんがイジメられている雰囲気は感じられないけど。

 しかも、美月達ってどう言う意味だろう?


 新しいクラスになっても廊下で見かける美月はいつも一人だ。取り巻きだった二人も、二人でいる様だけど、なんか楽しそうに見えない。

 むしろ、何かに怯えている様な、そんなビクビクして小さくして生活している様に見えた。


 その三人が静香ちゃんにイジメ……私にはどうもシックリ来ない会話だった。


「しかも、上履きだけじゃなくて、昨日隣の席から海道さんの教科書見たら、落書きとかメッチャされてたよ」

「なんか、本当うざいよね、アイツら。マジでどっか消えて欲しいんだけど」

「でも最近、土師さん元気ないじゃん?」

「いい気味だよね。あんだけ調子乗ってても、結局、親の金ありきだったって事でしょ?」

「親の金?」


 二人の会話に思わず私は声が出てしまった。

 話をしていた隣の二人は私を見て、驚いた顔をして会話が止まってしまった。

 私は罰が悪くなって「あ、すいません」と呟き、髪の毛を直すフリをしてなんとか時間を稼いで、隣の二人の話に聞き耳を立てた。


 あの三人が、まだ静香ちゃんをイジメている?

 でも、静香ちゃんの周りには阿雲さん達がいるハズだけど。

 どう言う事?

 それよりも「親の金ありき」ってどう言う意味だろう?

 確か、美月の家は何かの会社を経営しているって聞いた事があるけど。


「でも、凄いよ、海道さん。上履きも落書きされても次の日には新しい上履きもう履いてくるの。教科書とかも、新しくなってるし」

「家がお金持ちなのかな? あんな雰囲気だし、実はお嬢様だったのかも」


 違う。


 静香ちゃんの家は私と同じ母子家庭で「お母さんが無理してここの私立の中学に入れてくれた」って、言っていた。

 でも、この二人の言っている事が正しいとすると、静香ちゃんにはまだイジメの報酬が振り込まれているって事だ。

 それも美月達が静香ちゃんをイジメて得ている報酬という事になる。


 しかし、そんな素振りは両方ともない。


 何なんだろう?

 私の見えないところで、何が起きているんだろう?


 漠然と姿の見えない恐怖とストレスが合わさったもので、その場で大声を出したい気持ちに駆られた。


「あっ」


 トイレから出た所で、例の美月の取り巻き二人がコソコソと階段を降りていくのが見えた。

 二人とも両手で何かを大事そうに抱きしめながら、周りの目を気にしながら、お昼休みに何処へいくんだろう?


 私はどうしても気になり、後をつけてみる事にした。

 二人は三階の三年生の教室のあるフロアから、一階まで降り、渡り廊下を歩いて体育館の方へ向かっていく。

 今日は体育の授業は無いはずだ。

 昼休みはまだ30分くらい残っている。体育館には誰もいない様子で、鉄のドアがどこも閉められているし、その向こうからボールをついたりする音も聞こえない。

 取り巻きの一人が、そのうちの一つのドアをコンコンと叩いた。

 重いドアがゆっくり開いて、中から平良さんの取り巻きの一人が顔を出し、二人は体育館の中に入って行った。


「やっぱり、平良さん達だ」


 私は夢中になり、隠れていた渡り廊下の影から身体を出して、体育館のほうに歩み寄っていた。

 危険そうな匂いはプンプンしていたが、あの中に入れば何か手がかりが掴めるかも知れない。

 今は心のモヤモヤをどうにかしたい欲望に負けて、敵のアジトに無防備に乗り込んで行った。


「何してんだ、お前?」


 しかし、後ろから聞こえた野太く低い声に、私は「ヒィ!」と声を上げて、飛び上がった。


 振り返るとそこに立っていたのは美月だった。


「あ、あの、その……」


 咄嗟に何も言葉が出てこず、私はその場で立ち尽くしてしまった。

 昔のように美月を恐れているわけでなく、ただ、『イジメられている』と言う主従関係の様なものが消えると、私と彼女は何の接点もない、混じり合うことの無い関係だった。

 美月の方もイジメていない私とは話す事が無い様子で、舌打ちを一回して、周りの景色を見渡し始めた。


「あの、二人と、喧嘩でも、したん、ですか?」


 それが私が美月と対等な立場で交わした初めての言葉だった。

 美月は「はぁ?」と、私を睨んできた。


「お前に関係ねぇだろ」

「あ、まぁ、そうか……」


 私は『言われてみればそうか』と妙に納得してしまった。

 冷静になれば、美月よりも私の方がこの場にいる事はおかしいのだ。クラスも違えば別に仲も良く無い二人の後を尾行してきているわけだから。


 私はハッとした。

 なんで美月がこの場所にいるのか、やっとわかった。


──きっと、二人を心配しているんだ──


 美月に悪い事をしてしまった。私がここに居たせいで、彼女は罰が悪くなってしまったのかも知れない。

 美月はまた舌打ちをして、踵を返して、渡り廊下を戻って行った。


 やっぱり、何かある。


「あのっ!」


 私は思い切って美月の後ろ姿に声をかけた。


「なんだよ?」


 美月は相変わらず機嫌悪く立ち止まり、私の方を振り返った。


 でも、私は彼女になんて聞けばいいのか、また言葉が出て来なかった。「二人を心配しているんですか?」とか「阿雲さん達に何かされてるんですか?」とか、どれもイジメのサンプルに私が選ばれている事がバレる恐れがある。

 水面下では美月の事をわかっているのに、それを現実の言葉にする力が私には無い。


「その……」

「なんもねぇのかよ。話しかける……」

「二人は体育館の中に入って行きました! よ」


 そう言うと、美月が体育館の鉄の扉を一回チラッと見た。その時、一瞬だけ、彼女の顔は心配そうな表情を見せた。


「……そうかよ」


 美月はそれだけ言って、「じゃあな」と渡り廊下を戻って行った。

 彼女が去った後、胸がガバって開いたような特大のため息が出て、その場にへたり込みそうになった。我ながら情けないと思った。

 自分にできる事が、これだけしか無いって、あまりにも無力だ。


 静香ちゃんへのイジメは継続している。でも、イジメているはずの美月の取り巻き達の様子は、まるでイジメられている人間のそれだ。


 あの中で何が行われているんだろう?


 美月も心配している様子だけど、なぜか手が出せない様子だ。


 放課後、私は残って、日直の日誌を書き終え、職員室の先生の元へそれを届けてから帰ろうと教室を出た。

 職員室のある方の教室棟へ向かう途中の階段から誰かが降りてきた。


「あ」


 顔が見えた時、思わず私は声を出してしまった。

 誰もいないと思った所に私がいたので、彼女も意表をつかれたのか、私の姿を見て思わず立ち止まった。

 次の瞬間、彼女は表情を作り直し、私など見なかったように階段を降りて行こうとした。


「あのっ」


 階段を降りていく彼女の後ろ姿に声をかけるが、彼女は知らん顔で止まる事もしなかった。


「静香ちゃん!」


 廊下に響くくらいの大声を出すと、彼女は立ち止まった。


「話しかけないでって、言いましたよね?」

「なら、無視したまま聞いて。その……昼休みに阿雲さん達が体育館で何かしてる様子なんですけど、何か知りませんか?」


 静香ちゃんは、私に背を向けたまま、階段の途中で立ち尽くしている。


「もしかして、アナタも阿雲さん達と、土師さん達に何かしてるんですか?」

「……してたら何なの?」


 階段途中で立っていた彼女が、ゆっくりと私の方へ振り返った。彼女の氷のように冷たく鋭い視線に、私はビクッと背筋が凍った。


「アナタに、何か言う資格あるの?」


 でも、鋭く冷たい視線とは違い、静香ちゃんの声は震えていた。


「大事だと思っていた人に、二度も見捨てられたのよ」


 静香ちゃんの頬を滴が伝っていく。


「アンタに、文句言う資格なんかあるの?」


 彼女は制服の袖で瞳を拭って、階段を降りて行った。


 私は呆然とその場に立ち尽くしていた。

 彼女は、本当は何も変わっていない。変わりたくないのに、変わらざる得ない状況に私が追い込んでしまっていた。


「助けないと……」


 何か行動にしないと、自分が許せなくて壊れちゃいそうなくらいの焦燥感で、歩いていく彼女の後を追いかけようとした。


「止めなさい」


 だけど、後ろから誰かに肩を掴まレた。

 知らない女の子の声がした。

 振り返ると、そこには阿雲さんでも、美月でもない、私と同じ制服を着た女子生徒がいた。

 声は知らないけど、外見は見覚えがある。

 確か同じクラスの子だったと思う。

 背が低くて、少し癖毛でショートヘア、メガネの感じとか、知的そうな雰囲気の子……私と似ていて、窓際の自分の席で、いつも一人で本を読んでいる。


「それ以上はサンプルの契約違反よ」

「え?」


 なんで、この人、サンプルのことを知っているんだろう?


「アナタは、あの、どちら様ですか?」 


 私がそう言うと彼女は少しムスッとした表情をした。小さい体でムッとしたら、リスみたいで可愛い。


「私とアナタ、いちおう同じクラスなんだけど?」

「そ、それは知ってますけど。クラスが変わったばかりで、まだ顔と名前が一致してなくて。私、友達もいないから」


 私が笑って誤魔化すと、彼女はさらにムッとした。


「私とあなた、去年も同じクラスだったんだけど」

「え?」


 私の中の時が止まった。己の失礼ぶりに冷や汗が出た。


「すいません。どちら様ですか?」

「岩田。岩田清水。一応、阿雲平良の妹よ」

「妹? 阿雲さん達って双子だったんですか?」

「あっちは4月、私は3月生まれ」

「じゃあ、阿雲さんの」

「娘よ。ちなみにあの男にアナタをサンプルに紹介したのは、私よ」


 サンプル。

 この人、本物の阿雲さんの娘さんなんだ。


「これから、少し時間良いかしら? あなたに話があるんだけど」


 清水さんは私の手を無理やり掴んで歩き出した。






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