十六話 

 翌日。

 四時間目が終わった後、後ろの窓際の席にいる清水さんをチラッと見た。彼女も私の方を一瞬だけ見て、席から立ち上がった。

 ずっとあそこにいたんだ。

 去年もあんな感じでジーッと私のことを静かに観察していたんだ。それを知ると何かよくわからないけど「一人じゃなかった」という不思議な気持ちが浮かんできた。


 清水さんが一人で教室を後にするのを確認して、私もお弁当を持って教室を出た。

 お母さんに頼んで、いつもはご飯のお弁当をサンドウィッチにしてもらった。それとお茶を持って清水さんと待ち合わせした場所で移動する。念には念を入れて別行動で、なんかスパイっぽいなと思った。


「お疲れさま」


 体育館の脇にある水飲み場の水道の縁に清水さんがチョコンと座っていた。脚をぷらぷらと無意識にしているのがなんか可愛いと思った。

 ただ、体育館のドアの向こうから、女子生徒たちの騒いでいる声がする。


「大丈夫、一年生達だから、見られても問題無いわ」


 清水さんはそう言って、体育館の重いドアを開けて中へ入って行った。


「上履きは持って行って」

「う、うん」


 私も清水さんの後に着いて中へ入っていく。

 ずっと気になっていたけど、清水さんはお弁当を持っていない。


「清水さん、お弁当は?」

「私、少食だから一食くらいなら抜いても平気」


 そう言って、体育倉庫のドアを開けて中へ入って行く清水さん。


「匂いがこもるから、アイツらが来る前に食べて」


 倉庫中は風の通り道が小さな窓しかない。ずっとここに沈殿しているんじゃないかと思う、生ぬるい空気が漂っている。後バスケットボールとバレーボールの匂いがして、あまり好きじゃない。

 前に美月達に、ここでイジメられたことがあるって言うのもあるけど。

 部屋に入った瞬間から、お昼時なのに一気に食欲が失せた。


「アナタも私も小さくて良かったわ」


 清水さんが小さな声で「よいしょ」と言って、倉庫の隅にあった跳び箱の蓋を宝箱を開けるように開いた。


「そこに入るんですか?」

「隠れる場所って言ったら、ここくらいしか無いでしょ?」

「あの、隠しカメラとかじゃダメなんですか」

「それじゃ、アングルが変えられないでしょ」

「アングル?」


 カメラ?


 清水さんはそれ以上は喋らず、跳び箱の中へ入った。スポッとそこに入っている彼女は可愛くて、私はちょっとキュンとしてしまった。


「何見てるの?」

「あ、すいません」


 私も後に続き、清水さんが跳び箱の蓋をした。

 段数の持ち手の隙間から日差しが入ってくるけど、中は真っ暗に近い。

 だけど、湿っていた倉庫の匂いが消えて、隣の清水さんの匂いが鼻に入って来て、むしろ落ち着いてきた。


「多分、後10分くらいでアイツらも来るわ」


 お弁当のタッパーを開けて、中のサンドウィッチを食べ始めた。


「清水さんも食べる?」

「私は、お腹すいて……」


 と言った途端に清水さんのお腹が「ぐぅぅ」と鳴った。

 私が「はい」とサンドウィッチを一つ差し出すと、清水さんは小さな声で「ありがと」とサンドウィッチを食べ始めた。

 一口が小さくてリスみたいに可愛い食べっぷりだった。


 二人でお茶を回し飲みして、まったりしていると、倉庫のドアがドンと鳴って、急に開いた。


「アチーな、ここ」


 聞き覚えのある声と、数名の足音が中に入って来て、私の心臓はドクドクと鳴り出した。


「平良たちね」


 清水さんが小さな声をさらに小さくして言った。


「平良さん、なんで、ここに集まるんですか?」

「学校の中で、監視カメラが付いていない場所が三つあるの。更衣室、トイレの個室、あとこの体育倉庫」


 それを聞いて「ん?」と不思議に思った。前の二つはプライバシーで理解できるけど、倉庫にカメラをつけない理由が分からない。


「前に平良がここで海道静香をイジメていたのがバレた時に、あの男が外させたらしいわよ」


 それを聞いて、半年前に平良さんが言っていた事を思い出した。

 静香ちゃんがサンプルに選ばれた理由の一つが、ここで平良さんがイジメていたのが発覚した事だったとか。


「別につけてても良くないですか? 平良さんもうイジメはしていないなら」

「私もそう思う。こんな格好のイジメを行う場所なんだから。平良の性格考えたら……人を傷つけるのが禁断症状みたいな女だから」


 公園で平良さんと二人きりだった時、確かになんかズッとナイフを突きつけられてるような怖さを感じる人だった覚えがある。何でそんなに人を傷つけたり、馬鹿にしたりして楽しんでいるんだろう?


「じゃあ、何でカメラが無いんですか?」

「だから、私もその理由を知りたくて、アナタに付き合って貰ったのよ。私の仮説が正しいか、どうか?」


 仮説。

 昨日、清水さんが「もしかして」って閃いたようにしていた、アレか。一泡吹かせられるかもとも言ってた。


 私もできる事なら、協力しないと。


「アイツら、来たー?」


 平良さんは積まれたマットをソファのようにして寝転がり、スマホを弄りながら、クラスメイトの一人に言った。


「ちょっと見てくる」


 そう言って、平良さんの取り巻きの一人が倉庫を出て行った。


「あの周りの人もサンプルの事を知ってるんですか?」

「詳しい事までは分かっていないと思うわ。多分、海道静香がお金で手懐けているんだと思う」

「お金って、サンプルのですか?」


 清水さんは「多分」と小さく頷いた。

 

 やっぱり静香ちゃんは何らかの方法でお金を得ている様子だ。

 なのに、久しく静香ちゃんが誰かにイジメられている所を見た事がない。いつも綺麗な外見をしているし。


「それでも、海道静香にはお金が入っているはずよ。彼女の家庭環境から言って、あれだけの人数への報酬と自分の美容にまでお金を回すのは難しいはずだから」


 そう言えば、この前、トイレで静かちゃんの上靴がどうのこうのって言っている二人組がいた。

 でも、昨日の静香ちゃんの上靴は、確か綺麗でピカピカだった。


 何なんだろう?

 静香ちゃんが二人いるような錯覚は。


「連れて来たよー」


 と、外に出て行った女子が複数の足音と一緒に戻って来た。


「あの二人だ」


 倉庫に入って来たのは、あの美月の取り巻きだった二人組。

 この前、体育館の中に入って行って、そこで美月に出会ってしまい、それきりだったけど。

 ここで何やっているんだろう?


「あの二人も平良さんの仲間って事ですか?」

「だったらあんなに挙動不審にならないと思うけど」


 確かに、倉庫に入って来た二人は顔が強張ってビクビクして小さくなっている。とても仲間には見えない。

 二人とも、今日も何か袋を大事そうに抱えている。中に何が入ってるんだろう?


「じゃあ、お二人さん。今日の分の宿題を出してもらいましょうか?」


 平良さんがスマホをイジりながら言うと、二人は手に持っていた袋から何かを取り出して、平良さんの取り巻きに渡した。


 何か本のように見えるけど、何なのかが分からない。けど、十冊近くあるように見える。


「そう言うことか」


 私の横で清水さんが呟いた。


 平良さんの取り巻きは、二人から渡された本を確認している様子だ。


「なぁ、数学の教科書がないぞ」


 教科書?

 そう言うと美月の取り巻きの一人が恐る恐る手提げから本を出した。今度は目を細めて、それを凝視した。私達が使っている数学の教科書だった。


「何で教科書?」

「恐らく、海道静香が使っている教科書だと思うわ」

「静香ちゃんの教科書?」


 私はよく分からなかった。

 平良さんは静香ちゃんと手を組んでいるはずなのに、なんで静香ちゃんの教科書を二人に持ち出させているんだろう?


「平良さんは静香ちゃんの仲間のフリをしてるだけで、陰では静香ちゃんをまだイジメているって事ですか? お父さんにバレないように」

「……半分正解だけど、半分は不正解。アナタの思っているニュアンスとは違うわよ、あれは」


 どう言うことだろう?


 平良さんの取り巻きが、美月の取り巻きの出した数学の教科書を確認し出した。すると、急にその教科書を丸めて、美月の取り巻きの一人の頭を引っ叩いた。


「なんだ、半分しか書けてねぇじゃねぇかよ!」

「き、昨日は忙しかったから、それだけしかできなくて」


 私をイジメていた二人が、ずっと前の私みたいに怯えて話している。あんな弱い声、聞いたことがない。


「それじゃ足りねぇんだよ、全ページに落書きして来いって言ったよな!」

「す、すいません! でも……」

「でも、じゃねぇよ!」


 美月の取り巻きが突き飛ばされて、床に倒れた。

 何が起きているんだろう?


「まぁ、いいや。じゃあ、他の宿題はやってきたか? 静香の体操服と上履き。六時間目、体育の時に静香が着るやつ」


 平良さんがスマホをイジりながら、言った。

 本当に静香ちゃんが使う私物だ。


「そ、それが……」


 もう一人の取り巻きが手提げから、言われた物を取り出した。

 体操服、上履き、ジャージ……次々となんか落書きしたり、ハサミで切られた痕がある。


「き、昨日お母さんにやってる所バレちゃって、怒られて、これ以上できなかったんです」


 平良さんの取り巻きがジャージを広げると綺麗なままで『海道』っていう刺繍が見えた。


「もう、これ以上、隠すのも無理だから、勘弁してよ」

「はぁ?」


 言葉が癇に障ったのか、平良さんがスマホを置いて、立ち上がり、舌打ちをして、美月の取り巻きの腹にグーでパンチした。

 美月の取り巻きは、お腹を抑えて、その場に蹲ってしまった。


「舐めてんの? 静香をイジメてることにならないし、もう止めたいなんだ」

「もう、勘弁してよ。親にも怪しまれてるし、毎日、こんなジャージとか教科書とか、落書きしたりするのは無理だよ」

「しらねぇよ、馬鹿!」


 平良さんが、今度は上履きを履いた足で、美月の取り巻きのお腹を蹴った。


「守れないなら、別にいいぜ。お前らが松葉ちゃんをイジメていた動画を誰に見せてやろうか?」


 私の動画?


「そっか、アナタの胸ポケットにあるカメラね」


 清水さんがボソッと合点がいったような声を出した。


「あの動画が出回ったら、高等部にも進めないし、一生、まともな人生は歩けないぞぉ〜いいのかぁ?」


 平良さんの顔がどんどんと楽しそうな顔に変わっていく。本当に人を傷つけるのが楽しくて仕様が無いという風の顔で、私はゾッとした。

 本当にこんな人間が、私と同じ学校に存在しているんだ。

 

「そ、それは、勘弁してください!」


 美月の取り巻きが、平良さんに土下座をして懇願している。


「なら、言われたことをやって来いよ。イジメはお前らの得意分野だろ」


 平さんがそう言って、頭を下げている取り巻きの頭を上履きで蹴った。


「平良、いいの? お父さんから問題起こすなって言われてるんでしょ?」

「良いの良いの。どうせ、ここカメラついてねぇし。良いデータとれれば、パパも認めてくれるだろうし」


 そう言って平良さんがおちゃらけた決めポーズを見せた。

 それを見て平良さんの取り巻きがキャッキャと笑っている。


「ひどい……」


 私は、あまりにも無慈悲な光景に怒りが沸々と湧いてきた。それまで、何か嫌いだった平良さんへの憎しみがどんどん形になって体の中に浮かんでくる。


「パパも認めてくれる……なるほど」


 私の隣の清水さんは、私と別のことを考えていた。実の姉がやっている非情な行動を見ても、冷静に淡々と声に揺らぎがなかった。


「平良たちは直接手を下さずに、土師美月の取り巻きに海道静香の私物をボロボロにさせる。それで手に入れたお金で、海道静香は新しい私物を買い、平良がボロボロにさせる。

 イジメられていると言う体で、イジメている側をどんどん苦しめて行く」

「何であの二人は周りに助けを求めないんですか?」

「動画で脅されているのもあるけど。

 仮にあの状態で先生や両親に助けを求めても、イジメている証拠は平良たちには何もないわ。むしろ、教科書とかをボロボロにしてるあの二人の方が証拠ばかりで、どっちが悪いってなったら、結果は火を見るより明らかでしょ?」


 イジメっ子を撲滅するって、こう言うやり方だったんだ。

 ズルくて、卑怯で、野蛮で……何がイジメられっ子を撲滅するなんだ。

 大きな力を利用して、弱い者イジメを楽しんでるだけじゃないか。


「あの二人、助けられないんですか?」


 私がそう言うと、清水さんは「え?」と私が変な事を言っているような目で見てきた。


「言ったでしょ? 今日は何があっても黙ってるって。それにアナタをイジメてた二人よ、何でアナタが助けるの?」

「でもっ!」


 人がイジメられている姿を見るのが、こんなに辛いとは思わなかった。自分がイジメられてた時とは別の意味で胸が苦しくなる。

 阿雲平良って人間への怒りで頭がなりそうだ。


 その時、突然、倉庫の扉が「ガー」と勢いのいい音で開いた。

 その場にいた全員が、差し込んできた外の光の方を見た。


「土師さん」


 美月がゆっくり、倉庫の中へ入って来た。









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