十話

 美月も明らかな空気の変化を感じている様子だった。取り巻きがチラチラと美月の方を確認するくらい、あれ以来、美月の機嫌が良くない。

 美月はもう、周りの静香ちゃんを見る目の変化を察しているのだろう。

 それだけじゃなく、その空気の変化を全て作り出しているのが、静香ちゃん自体であることも。

 多分、それに気付かない自分の取り巻きにもイライラしていて、静香ちゃんには殺意に近い感情があるはずだ。


 何故、そこまで言い切れるかといえば、美月が私に向けて来ていたあの挑発のような視線が、あの日以来消えているからだ。


 廊下の向こうから今日も静香ちゃんが歩いて来た。

 昨日と同じ、イメチェンをして可愛くなった彼女を見て、廊下にいた女子の一部が「きゃー」と小さな歓声をあげた。

 今日の美月は何もせず、静香ちゃんの横を何事も無いかのように通り過ぎようとした。

 私からは、むしろ美月の方が少し体を小さくしたように見えた。


 でも、その時だった。

 お互いが通り過ぎようとした瞬間に静香ちゃんが立ち止まったのだ。


「土師さん、何で私を無視するんですか?」


 静香ちゃんの一言に、廊下にいた生徒たちが一瞬で凍りついた。

 それと同時に美月が立ち止まり、物凄い形相で静香ちゃんの方へ振り返った。


「はぁ?」


 美月は睨みつけながら静香ちゃんへと歩み寄る。


「誰が誰を無視したって?」

「どうして惚けるんですか?」


 静香ちゃんは睨みつけられても美月から視線を外さずに、さらに追求した。

 周りの生徒たちは、これからヤバい事が起きそうと察した表情で、皆が静香ちゃんと美月の顔を交互に見ていた。


 しかし、みんなの緊張とは裏腹に静香ちゃんは美月に向かって、ニコッと優しい笑みを見せた。


「昨日まで私を見たら、とてもフレンドリーにちょっかいを出してくれていたじゃないですか?」


 そう言った静香ちゃんの声は柔和で、その場の空気が一瞬だけ和らいだ。


「はぁ?」


 虚を突かれた形になった美月の表情が一瞬緩んだ。

 と、言うより静香ちゃんの言動の意図がわからず、怯んだと言ったほうがいいかもしれない。


「私、土師さんの気に触るような事、何かしましたか?」

「お前、さっきから何言ってんだよ?」


 戸惑った美月が押され出し、睨みつけていた顔が徐々に後退する。

 周りの生徒達も、静香ちゃんの言っている言葉の意味が分からずにポカーンと口を開けていた。

 昨日までの美月の行いはどう見てもイジメ。とても友達関係のじゃれ合いには見えなかったから当然だった。


「昨日、土師さんの機嫌が悪かったから、私、あの後、原因を考えたんです。それで、今日はちゃんと用意して来たんですよ、あれ」

「用意?」


 静香ちゃんはそう言って、ブレザーのポケットの中から、ある物を取り出して美月の前に差し出した。

 それを見た瞬間、美月の顔が一瞬で真っ赤に変化した。


「なんだよ、これ?」


 美月の言葉に静香ちゃんはクスッと笑う。


「やですわ、土師さん。アナタが面白がって壊していたメガネですよ。

 皆さん、いつも私のメガネを壊して楽しんでくれていたので、『もしかして、昨日は私がコンタクトだったから機嫌が悪かったのかな?』と思って、今日はちゃんと皆さん全員が壊す分のメガネを持って来たんです」


 静香ちゃんそう言って、美月の手にメガネを乗せ、後ろの二人の取り巻きにも一つづつニコニコしながらメガネを差し出した。


「まだ壊し足りなかったら、今日はもう1セット持ってますから、安心し……」

「ふざけんなよ、テメェ!」


 我慢の限界に来た美月がメガネを床に叩きつけ、静香ちゃんの胸ぐらを掴んで後ろの壁に押し付けた。


「土師さん、止めなよ!」「海道さんがかわいそうよ!」


 美月の取り巻きが周りから飛んできたその声にビクッとした。

 周りの空気の変化に気付いた取り巻きが、遅れて美月を抑えようとしたが、イライラが最高潮になった美月の怒りは収まりそうになった。


「テメェ、最近、私のことバカにしてんだろ! わかってんだよ、ちゃんと!」


 美月が静香ちゃんにそう言うが、周りは「何言ってんの?」「自分がイジメてた癖に」とドンドン空気が悪くなって行く。


 そして、美月が静香ちゃんの顔を殴ろうと拳を振り翳した瞬間、他の生徒達の悲鳴と同時に、美月の拳が何者かに掴まれた。


「殴っちゃダメよ、美月ちゃーん」


 美月は振り返って、手を掴んだ正体を見て、表情を歪ませた。

 多分、頭の回る美月でも、その人物は予想外だったのだろう。

 私ですら想像ができなかった。

 最近まで、美月達と一緒に静香ちゃんをイジメていた、静香ちゃんのクラス三人組だった。そんな人らが、静香ちゃんを助けるために、美月を三人がかりで取り押さえたのだ。


 美月は三人がかりで静香ちゃんから剥がされ、床に押さえつけられた。

 静香ちゃんはそれを見て、一瞬、美月に向かって笑った。


「あの、皆さん、止めてください」


 しかし、次の瞬間、静香ちゃんは美月を床に取り押さえた三人組を剥がして、美月を助けて起き上がらせた。


「美月さんは一人ぼっちでいる私を構ってくれていただけなんです。ですから、その、暴力は止めてください」


 静香ちゃんに介抱されながら立ち上がった美月は、「大丈夫ですか?」と手を差し伸べた静香ちゃんの手を払い除けた。「痛い」と静香ちゃんが小さな声で、大袈裟なリアクションをした。


 それを見た周りの生徒達が「うわ」と呟き、美月の悪口を言い始めた。


「うわ、最悪」「何あの態度?」「マジで自己中」


 美月の後ろの取り巻き二人は寄り添って、小さくなっていた。

 完全に美月たちが敵になってしまった。


「土師さん、気にしないで下さい。いつもみたいに私と遊んで下さい」


 静香ちゃんはそう言って、床に落ちたメガネを拾って、美月に差し出した。


「あの、壊れてしまったので、新しいメガネの方が良いですか?」


 静香ちゃんがそう言って、ポケットから新しいメガネを差し出すと、美月の怒りがまた沸騰し、再び殴りかかろうとしたが、今度は堪えて、握った拳を床に置いた。

 美月が平伏した。それを確認した静香ちゃんはニコッと満足そうに笑った。


「それじゃあ、いつもの様にトイレに行って遊びましょうか、土師さん?」


 美月は、俯いて、黙り込んだまま、一人で廊下を歩いて行った。


「美月」


 取り巻きが美月を追いかけようとしたが、そこに静香ちゃんのクラスの三人組が壁となって立ちはだかった。


「それじゃあ、土師さん以外のお二人だけで遊びましょうか?」


 静香ちゃんはそう言い、トイレに向かって歩いて行った。そして静香ちゃん側の三人組が美月の取り巻き二人を掴んで、トイレへ連行して行った。


 私は足が震えた。

 静香ちゃん、あの二人に一体、何をするつもりなんだろう?


「海道さん、凄いね。美月を完全に黙らせちゃったよ

「イジメられてたけど、いつか懲らしめようと考えてたんだね」

「でも、本当に遊んでたって思ってたら、海道さん、結構天然だよね?」

「でも、海道さん、ちょっと抜けてそうだから、あり得るかもw」


 静香ちゃん達がいなくなった廊下は、静香ちゃんへの好意的な話題で持ちきりになっていた。


 私は床に落ちていた壊れたメガネをずっと見ていた。


 メガネが壊れれば、それは静香ちゃんのお金になって返ってくる。むしろ彼女にとっては壊してくれた方が良いのだ。しかもあれだけ沢山のメガネを壊されたら、まとまったお金が入って来る。


 あの三人組は静香ちゃんからお金を貰って、味方に着いたのだろうか?

 でも、見方を変えるとお金をあげると言うのはカツアゲになる。カツアゲをされた静香ちゃんには、またお金が入る。

 静香ちゃんはイジメられながら、資金を増やして、学校のでの支配力を増していく。


 こんな方法があったなんて、私は考えもしなかった。

 イジメられる側の静香ちゃんが、虐める側を支配する体制が出来上がりつつあるんだ。


 私は恐怖を感じると同時に、この短期間でこれだけの事を考えて実行した静香ちゃんの凄さに感心していた。


 でも、それと同時に……なぜか、今まで虐められていた筈の美月に対して、同情のような感情が生まれていた。


 次の時間、美月は授業をサボった。

 そして、取り巻きの二人は、遅れて教室に入って来た。その顔は顔から生気が抜けたような表情だった。

 トイレで何があったんだろう?

 静香ちゃん、これから何をする積もりなんだろう? 


 もう、静香ちゃんを止めたくても、この短期間で、彼女は遠い存在になってしまった。

 どうすることもできない、私はただの傍観者だ。



 美月は結局、その日、早退した。

 彼女は今、どんな気持ちなんだろう?

 彼女が静香ちゃんに懲らしめられている姿を見ても、私はなぜかスッキリした気分にはなれなかった。


 どうして、ザマァみろって感情が出てこないんだろう?

 それが、自分でも凄く不思議だった。

 むしろ、なぜか私の心は、ショックを受けていた。


「浮かない顔してるねぇ、松葉ちゃん」


 気持ちがモヤモヤ整理できないまま、一人、帰ろうと昇降口で靴を履き替えていたら、知らない声が耳に飛んできた。


「あっ」


 顔を上げると、そこにはこの前まで静香ちゃんをイジメていた、静香ちゃんのクラスのあの三人組のリーダー格の人が立っていた。


「こんにちわ、松葉ちゃーん」


 突然話しかけられて、私はビクッと恐怖を覚えた。

 前から薄々思っていた。


 なんか、この人、怖い。


「な、なにか、御用でしょうか?」

「そんな緊張しないでよ。別にイジメたりしないからさぁ」


 彼女はニコッと私へ頬みかけた。


「松葉ちゃんをイジメても、お金をあげちゃうだけで面白くないし」

「えっ」


 変身ヒーローだと正体がバレてしまったように、私の世界が一瞬、世界が止まった。


「なんで、知ってるんですか?」


 鼓動がどんどん大きくなって、足と声が震えて行く。


「あ、一方的に知ってるだけで、自己紹介してなかったね。私、阿雲平安たいらって言います。よろちくねぇ」

「阿雲……?」

「ああ、お気付きになられましたか。父がいつもお世話になっております。私、阿雲圭一の娘です」

「阿雲さんの娘?」

「てか今まで気付かなかったんだ? 静香は、私が言わなくてもスグに気付いたよ」


 平良さんは、強い力で私の肩に手を回してきた。


「パパから、あなたが静香に近付かないように見張ってろって頼まれたからさぁ。お近付きの印にちょっと話でもしよっか。どっか、公園でも行ってさぁ。親交を深めようよぉ」


 私は彼女に引っ張られるように、近くの公園に連れて行かれた。





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