第八話

 家に帰って、すぐにスマホで阿雲さんに連絡を入れた。

 しかし、何度電話をかけても留守電に切り替わってしまう。十五分ほど何度も掛け直すと、やっとの事で阿雲さんと繋がった。


「はい。もしもし」

「あ、あの、すいません。色鳥です」


 電話が繋がって、ハッと気付いた。私が家族以外で自分から大人の人に電話をするのはこれが初めてだと。

 その緊張のせいで、思わず声が上ずってしまった。


「……学校で何かありましたか?」

「いえ、何かあったわけでは無いんですが……」


 私は頭が真っ白になってしまい、なんて口火を切れば良いのか分からず、ただただ「うんうん」言っているだけで時間が過ぎてしまった。


 電話の向こうから阿雲さんの無言のイライラが伝わって来た。


「色鳥さん? 私に何か御用ですか?」


 痺れを切らした阿雲さんが強い口調で言った。

 電話の後ろから、大人の人たちの話し声が聞こえる。多分、大事な仕事の最中だったんだ。

 このままだと怒られてしまう気がして、見切り発車で言葉を出して行く事にした。


「あの、阿雲さんにお尋ねしたい事があるんですけど……」

「なんでしょうか?」

「あの、最近、私、全然イジメられてませんよね? それで、大丈夫なんでしょうか?」

「大丈夫、と言うのは?」


 阿雲さんは思い出したように「どういう事ですか?」と付け足した。


「あの、サンプルとして全く役に立っていない……とか」


 そう言うと電話の向こうの阿雲さんが優しい声で笑いだした。


「そんな事は色鳥さんが気にする事ではありませんよ。サンプルの行動を通してイジメが無くなったと言うなら、それは立派なデータとなります。もしかして、そんな事を気にされていたんですか?」

「でも、イジメられている人のデータの方が阿雲さん達も良いんですよね? 正直に言えば。このまま私がイジメられなかったら、あの……私以外の人をサンプルにする、とか……」


 電話の向こうの阿雲さんは咳払いを一回して黙り込んでしまった。


「もしかして、海道静香さんの事でしょうか?」


 阿雲さんの口から、突然、静香ちゃんの名前が飛び出し、私は「ヒィ!」と声を上げてしまった。恐怖で電話の向こうにいる人の声で足がガクガクと震え出した。


「色鳥さん? 色鳥さん」

「な、なんで、阿雲さんが……静香ちゃんの事を知ってるんですか?」


 そう言うと阿雲さんは「なるほど」と呟き、何処かへ歩き出した様だった。

 電話の向こうからドアが一回、バタンと閉まる音がし、阿雲さんが再び話し出した。


「お待たせしました」

「あ、はい」

「実はアナタの思っている通り、この度、サンプルをもう一人増やす事になりました。

 それで、急遽でしたので、すでにサンプルの準備ができている色鳥さんと同じ中学校の生徒から、となりまして。

 それで……実は最初のサンプルの候補に名前が上がっていた女生徒がアナタ以外にもう一人いたんです」

「それが、静香ちゃんだったんですか?」


 私の心臓の鼓動がどんどん大きくなって行った。何か、動かしちゃいけない悪魔の封印を解いてしまったような恐怖が漂い出した。


「学校に仕掛けてあるカメラで海道さんがイジメられている事は、こちらでも確認が取れていましたので……ご報告が遅れて申し訳ありません」

「それっていつですか?」

「いつ? 日付なんかがどうかしましたか?」

「もしかして、阿雲さんが私に電話をして来た日ですか?」


 電話の向こうの阿雲さんが突然、バカのように笑った。


「色鳥さん、よく分かりましたね。さすがあの中学に通っている生徒さんだ」


 やっぱり……また、この人が助けたんだ。


「それで昨日、彼女にはサンプルの話を説明させていただき、さっそく今日から職務について戴いています」


 やっぱり、お昼に見た彼女のあのニヤッとした笑顔。私の直感はここまで全部間違っていなかったんだ。

 という事は、私の嫌な予感の通り、これから何か恐ろしい事が起きるかもしれない。

 あの時、学校へ戻らなきゃ、ダメだったんだ。


「実は色鳥さんの仰っていた通り、最近、アナタへのイジメ行為が減少してしまったのはこちらにも予想外でした。しかし、いじめの克服の精神面でのサンプルとしては、とても良いデータが取れましたので、ありがとうございました」

「ありがとう、ございました?」


 阿雲さんは私の声が聞こえなかったように、話を続けた。 


「それで、色鳥さんから戴いたデータを参考にさせていただき、海道さんには一つ縛りを設ける事にしたんです」

「縛り……」


 私の心がどんどんと曇って行くのが見えた。


「縛りって、なんですか?」

「アナタの様にイジメ行為が減るような言動を控えてもらう事ですね。色鳥さんの映像データを彼女にも見ていただき、継続的にイジメられる様に仕向けたり、工夫をしてほしいと言う事です」

「なんですか、それ。さっきと言っている事が違うじゃないですか!」

「勿論その代わり、報酬は色鳥さんよりも多く支払うと約束し、彼女も了承しました」

「アナタたちは、イジメを撲滅させる為に行動してるんじゃないんですか!」


 頭の中に怒りが込み上げてきて、思わず大声を上げてしまった。


「さっきも、映像で彼女がイジメられていたのを、野放しにずっと見ていたんですか! なんで、止めてくれないんですか? あの子は無関係だったんですよ!」

「彼女はそれを了解してくれました。彼女の家庭も母子家庭で両親を楽させてあげたいと思っていた様です。それに彼女と我々がどんな契約を結ぼうと、色鳥さんには関係のない話です」

「そうじゃなくて……静香ちゃんが可哀想だって思わないんですか?」


 電話の向こうに大きな沈黙があった。

 そして、暫くして阿雲さんの声が伸びてきた。


「最初に申し上げたと思います、色鳥さん。『イジメをなくす方法なんて存在しない』と。

 我々も、まだ全てが手探りの段階です。あなた達にもサンプルとして同意を得て探り探りお付き合いをして戴いている段階なんです。それについては説明をしたはずですよね。今更、完璧や、善意のみを押し付けられても困ります」

「でも……一昨日までは静香ちゃんはサンプルじゃなかったのに、イジメを見てたなら」

「なら、アナタは何で彼女を助けなかったんですか? 昨日の下校の際に」


 阿雲さんにそう言われ、私は咄嗟に制服の校章のカメラを見た。彼にぶつけてやろうと思っていた言葉が全部、喉の奥に引っ込んでしまった。


「なぜ、急に彼女の肩を持つのですか? 昨日は見捨てて、今日は友達、そんな都合の良い人間関係がありますか?」

「それは……」

「それにアナタも知っているでしょう? イジメられても、お金を貰えば高揚感を得て、イジメへの恐怖がなくなる事は。

 我々も、あの土師美月にアナタが向かって行った時は驚きました。

 あのデータが取れただけでもアナタをサンプルに選んだ甲斐がありました。本当にありがとうございました」

「でも……あれは」

「アレは何かありますか? サンプル自らの感情としては違ったんですか? 詳しくお聞かせ願えませんか?」


 あれは、根本的な解決にはならないって、私は今日思い知ったんだ。あんな顔する静香ちゃんが正しいはずが無い。


 こんな人、信じちゃダメだったんだ。

 この人は私の事もモノとしてしか見ていなかったのだと、私は今日知った。あの日、あれだけ優しくしてくれたのも、全て私が大事な商売道具だったからだ。


 あと一日早くサンプルの恐ろしさに気付いていたら、もっと何かできたかもしれないのに。


──見捨ててゴメンねって謝りにきたの? ──


 私の脳裏に静香ちゃんの声が何度も響く。

 

 サンプルのお金は恐怖を金銭で麻痺させているだけの麻酔にしかなっていない。

 麻酔をして痛みが消えても骨は折れるし、血は流れるし、ボロボロの姿をしていたら、その人に近い人たちは傷つく。

 美月が昼間、私に向けた顔を阿雲さんは知らないんだ。イジメている側も何も反省していないじゃないか。


「それと実は今回、彼女にはもう一つお願いをしたんです」

「お願いって?」

「実は、今回、突貫工事のような形にでの依頼になってしまったので、まだ十分なサポートができていないのが実情です。

 ですから、周りにサンプルの事がバレないよう『色鳥松葉さんと今後一切の交流しないように』と」

「え……」


 一瞬、時が止まった。


「それを、静香ちゃんは、受け入れたんですか?」

「ええ。そう言う事ですので、色鳥さんも今後はそれを踏まえて学校生活の方をお願いします。一人ではなく、二人になっては周りに悟られるリスクが倍ですから。それでは、これで失礼させていただきます」

「私は、そんな契約むすn……」


 阿雲さんは「今後ともよろしくお願いします」と電話を切った。

 電話が切れても、しばらくスマホを耳から外せなかった。


「なんで……あの時、学校に戻らなかったのよ」

 

 私は、自分への怒りでベッドに倒れ込み、マットレスを殴り続けた。あの時に静香ちゃんの元に行ってれば……友達になれていたかもしれない。


──松葉ちゃん。誰かが苦しんでるのって嫌い?──


 静香ちゃんとそんな事を、前に体育館の裏で話した記憶がある。


──私も……美月は嫌いだけど、死んだら良いとは思わない──


 その後、私はボソッと自分の考えをそう言った気がする。


──やっぱ、そうだよね──


 静香ちゃんもその意見に同意した記憶がある。

 あの後、私、なんて言ったんだっけ。


──ねぇ、松葉ちゃん。なんで……──


 何気なく話していたから、そこまでしか静香ちゃんの言った事が思い出せない。

 その日、一晩、考えても彼女がなんて言ったのかを思い出せなかった。


 なんか、凄く私も共感した言葉だった記憶だけはある。

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