世界の狭間で今日、また生きる〜冷徹の女神と無慈悲な黒魔獣〜

那菜里 慈歌

冷徹の女神と無慈悲な黒魔獣

見渡す限り死体、死体、死体。

そして空間に響き渡るのは、興奮した男達の雄叫び。

自分達の軍は勝利した。だがこれは序章に過ぎない。これからこの世は混沌を極めていくだろう…


そう天を仰ぎ犠牲者に祈りを捧げる



時は1940年。第二次世界大戦の真っ只中。死体と男共の犇めく戦場に、紅一点女性の上官がいた

クランツェル=リオレイ=レイヴィルリッヒ

女性の身でありながら、大隊長中佐を務め、今まさに大隊を率いて、ドイツ軍に勝利を収めた実力者。

どこぞの国はレディーファースト等と唄いながらも、男尊女卑なこの時代で、上官を務めあげているのには様々な理由があった。


まずひとつに、レイヴィルリッヒ家は有名な軍事貴族であった。だがクランツェルと妹の他に兄弟は生まれず、貴族として軍に貢献するために、成り行きで軍人になったのがクランツェルであった。

アーリア至上主義を掲げるナチスにとって、クランツェルは最高の逸材であった。

容姿端麗で頭脳明晰。小隊の指揮を任せれば必ず勝利を収めてくる優秀な軍人。絵に書いたような、軍に忠実なアーリア人。ナチスの上層部は喜んだ。クランツェルに隊を任せれば、事態が好転に転ぶからだ。

その冷静な戦場運びに、軍の人々は、クランツェルを「戦場の冷徹」と称した。


クランツェルが上官になれたのには、もうひとつ理由がある。愛馬クオーレの存在だった。

クオーレ号は黒毛で、足首と額の白毛が目立つサラブレッドだ。かなり気性が荒く、近づく馬も人も、皆、蹴散らすほどのとんだ暴れ馬で、クオーレ号を所有する、イタリアの農場主は手を焼いていた。人を乗せないどころか荷物も引けないようでは、農場に残しておく理由はない。殺処分の手筈も整っており、あとは日を待つのみという時であった。たまたまその農場に、クランツェルを含む上官の団体が、軍馬に見合う馬はいないかと視察に来たのだ。ほかの上官たちが、馬を次々と選ぶ中で、クランツェルは中々馬を決めあぐねていた。その中で出会ったのだ。

クランツェルは、柵の向こうで、一頭でぽつんと佇むクオーレ号が目に入った。不思議とその黒馬から目が離せなかった。その様子に気づいた農場主はこう告げた。

「軍人様、あの馬「クオーレ」はてんでダメです。人も乗せない、荷も引けない、とんだ暴れ馬で、後日殺処分が決まってるんです。軍人様のお眼鏡に叶うような、大層な馬ではありません」

クランツェルは、そう渋る農場主を説得し、クオーレ号と間近で対面した。いつもなら5m程の距離まで農場主が近づくと、ロデオのように暴れ出すのだが、クランツェルに対してはまるで品定めをしているかのように、じっとしていた。暴れ馬がひっそりと息を潜め、こちらを伺うその気高き姿に、クランツェルは思わず脱帽し、ナチス式の敬礼をし挨拶をした。

「ナチス・ドイツ軍少佐クランツェル・リオレイ・レイヴィルリッヒ。誇り高き貴方に出会えた、この時に心よりの敬意を」

クオーレ号はひとつ嘶(いなな)いて見せた。高らかにそして力強く、嘶き声は農場へ響き渡った。クランツェルを認めたのか、はたまた貶したのか…

「私は誇りを持った、貴方のような軍馬を求めている。どうか、私と共に戦場を駆けてはくれないだろうか。この農場では味わえない、刺激的な日々を、貴方に捧げる事を、ここに誓おう」

クランツェルはそう、クオーレ号に対して宣言をした。

数秒の沈黙の後、クオーレ号自ら、クランツェルの方へ歩み寄った。農場主からすれば、ありえない光景だった。あの暴れ馬が、暴れもせず、あれほど人に近づいていると。

少しクオーレ号の体を撫でた後に、クランツェルは農場主へ、馬具を準備するよう告げた。あっけに取られていた農場主は、手間取りながらも、馬具を少し離れたところまで持っていった。クランツェルは馬具のひとつひとつを、クオーレ号へ見せ、細かく説明をした。説明の後にどんどん装着をしていく。全ての準備が整ったところで、クオーレ号に語りかけた。

「本格的に、人を乗せるのは、初めてと聞いた。私を乗せることは、貴方にとって恐怖だと思う。初めは私の事は、気にしないで欲しい。貴方の思うように駆けてくれ。私が貴方に合わせよう」

そう言い、静かに跨った。初めは前足を上げたり、後ろへ蹴りをしたり、少々暴れたが、しばらくすると慣れたのか、農場内を駆け始めた。

クランツェルは、クオーレ号の走りやすいように、呼吸を合わせることを意識した。手網は引かない。とにかくクオーレ号の思うように走らせた。すると次第に、クランツェルはクオーレ号の気持ちが流れ込んでくるような、なんとも言えない感覚に陥って行った。まるでパズルのピースが、ピッタリとはまっていくような、そんな快感に近かった。クオーレ号も、また同じだった。走ってるうちに、クランツェルの気持ちを察してゆく。そして2人の中で、何かがカチリとはまったような感覚がした。

クランツェルは、緩めていた手網を軽く引きしめた。クオーレ号はぐんぐんスピードを上げてゆく。クランツェルはスピードのまま、木等にぶつからぬように、軽く手綱で導いた。

もはやそこに暴れ馬の姿は無かった。クランツェルもクオーレ号も、互いの意志を尊重しあっているのか、それとも同じことを考えているのか…人馬一体となって農場をひとしきり駆け巡った。クオーレ号が満足し、立ち止まった後、クオーレ号から降り、農場主の元へ駆け寄ったクランツェルは

「彼を私に譲ってくれ!彼ならば戦場の黒稲妻になれるだろう!」

そう興奮した面持ちで告げたのだった。


こうして、クランツェルとクオーレ号の歴史は始まった。共に戦場を駆けるようになって、すぐ戦果が現れ始めた。もとよりクランツェルは、勝利ばかりを収めていたが、その戦果がもっと、目覚しいものへとなって行ったのだ。隊の犠牲者も減り、相手軍の軍勢はみるみるうちに衰退。圧倒的軍事力を見せつけたのだ。2人は共に戦場を駆けるうちに、さらに人馬一体のレベルを上げて行った。互いの表情を見なくても、考えがわかるほどに、深い仲へとなって行った。


そんな変化がありながらも、クオーレ号はクオーレ号のままだった。クランツェル以外誰も乗せようとしないのだ。少しマシになり、他の馬を受け入れるようになったとはいえ、人が寄ることも嫌う性格のままだった。そんな調子だから、クオーレ号の世話はクランツェル自身が行った。馬糞の掃除や給餌など、軍人の、しかも上官にあたる人に、任せてなどおけないと、周りの人々は口を揃えて言った。だがクランツェルは、割とその雑務が満更でもなかった。つまらない会議をしているより、クオーレ号と接し互いを高めあった方が、とても充実しているような気がしていた。


ある日を境に、とある国境で軍の衝突が発生した。クランツェルとクオーレ号の率いる大隊が、前線へ向かう事になった。

クランツェルは、ひとしきり隊の者へ、指示と鼓舞を与えたあと、クオーレ号の頬にそっと手を当て、こう囁いた。

「またこれから戦だ。これまでとは比べ物にならない、荒れた道となる。だが私と貴方なら、どこまでも超えてゆける。一番に戦場を駆け抜け、より多くの敵軍を殺めよう。お前の足ならば、奴らの玉は当たらないだろう。奴らの照準の先へゆくのだ。共に意識の先へ行こう」

クオーレ号は答えるように、強く地面を蹴って見せた。

そしてついに大隊進出となった。

初めはゆっくりと、だんだん早く駆けてゆく。この大隊は、ほぼ騎馬隊で構成されている。進軍速度は言うまでもないだろう。

敵軍の銃の射程範囲に差し掛かったところで、隊へ合図を送る。それと同時にスピードをぐんぐん上げてゆく。進軍速度は時速60kmから70kmへ差し掛かったであろう。その中で、一頭抜きん出る馬がいた。クオーレ号だ。自軍とも差をぐんぐん広げ、独走状態で敵軍へ突っ込んでゆく。もちろんそうなっては、格好の的であるが、銃弾は当たらない。敵が照準を合わせるより先へ、意識の向こうへ駆けているのだ。クランツェルも殺気立ってはいたが、スピードが上がるにつれ、クオーレ号から放たれる殺気も、恐ろしいものになって行った。

戦場という異常空間で、正気を失っていた者を正気に戻すほど、第六感というものがあるとして、それが無い者でも気づくほど、2人の…特にクオーレ号の殺気は、膨れに膨れ上がっていた。あまりの気迫に、敵軍の1人が銃を捨て逃げ出した。それを皮切りに次々に敵軍の軍人が逃げ出した。敵軍の上官達が、必死に逃げるなと軍を留めている頃には、2人は敵軍の中に突っ込んでいた。戦意を消失し、逃げ惑う軍勢をクオーレ号は次々轢き殺し、クランツェルは、馬上からサーベルで刺し殺してゆく。敵軍の、上官と思われる者は、あえて殺さず生け捕りにした。2人ほど捕まえたところで、大隊が追いついてきた。指示を出し、残りの逃げ出した敵軍勢を全滅へ追い込んでゆく。もはやこの時点で勝敗は決定的だった。

敵軍上官数人の捕縛に、敵軍全滅。素晴らしい戦果だった。

こうして冒頭に戻るわけだ。


この多大なる戦果により、クランツェルは「戦場を駆ける冷徹の女神」クオーレ号は「アーリア神話の無慈悲な黒魔獣」という新たな異名を得た。その後も様々な戦果を残した。


だがこの2人の物語は、ある日あっさりと終わりを告げられる。


いつものように戦場へ赴き、どのように隊を動かすかと策を練っている時だった。見張り役のミスにより、敵軍の侵入を許してしまったのだ。指揮を取ろうとしていたクランツェルや、大隊の隊員に敵の刃が向けられた。応戦し、敵軍部隊を全滅させるも、大隊は壊滅的だった。クランツェルもまた、腹部や顔に、大きく致命傷レベルの傷を負ってしまった。

遠のく意識の中、クランツェルはクオーレ号の元へ歩を進めていた。そして近くにたどり着いたところで倒れ込んだ。濃い血の匂いと、異様な雰囲気のクランツェルに、クオーレ号は落ち着かない様子だった。だが倒れ込んだまま動かないクランツェルを心配し、歩み寄り傷口を舐め始めた。

「……不覚を取ってしまった………冷徹の女神の名が廃ってしまうな………………クオーレ、貴方だけでも生きてくれ……もう私は…ダメだろう…衛生兵もやられてしまった…近くに手当てを出来るものは…もう居ない………」

力を振り絞り、クオーレ号の顔へ手を伸ばす。そして優しく撫でた。

「貴方は賢い……賢い故に貴方を馬と貶す人が、嫌いなのも知っている……だがこのままでは、貴方は人を乗せない馬として……殺されてしまうだろう……そんなのは勿体ない…貴方はすごい子だから……」

仰向けになり天を仰ぐ。クオーレ号が心配そうに覗き込み、そして寄り添うように座り込んだ。

「私以外も受け入れてあげて……私はあなたの性格を、私の後継者に伝えて置いてある…きっと悪いようにはしない……貴方がいい子で、その生を全うした時には……」

目を瞑り言葉を絞り出す

「また……来世で……共に…のを…かけ………………」

そう言葉を残し、クランツェルは動かなくなった。クオーレ号は、何度も動かなくなったクランツェルの体を鼻面で揺すり、舐め続けた。しかしもう、その目を開けることはなかった。

クオーレ号は立ち上がると、天に向かって何度も嘶いた。声がかすれて響かなくなっても鳴いた。援軍が来て、クランツェルの遺体を引き取っても、尚クオーレ号は泣き続けたのだった。


クオーレ号は、その後多少言うことは聞かずとも、クランツェルの言う通り、他の人を乗せて戦場を駆け続け、その生を全うした。

人々はその豹変ぶりに、「冷徹の女神が無慈悲の黒魔獣に心を与えた」と言った。

クオレ…イタリア語で心、感情を意味するその名は、後世でドイツ国のみならず、全世界へと知れ渡って行った。


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そして現代。全能神の手によってクランツェルの魂は理の女神として生まれ変わった。

女神クランツェルとクオーレ号が今世で出逢えたかはまた別の物語……

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