第3話 煙草1本
黒崎がこの店を訪れるのは3度目だった。
最初は1週間前のこと、近くで仕事があったので時間を潰すために立ち寄っただけのことだった。陽が落ちかけている中に、照明の暖色が窓に囲われて跳ねるように反射するこの店が目に留まったのだ。ホットコーヒーを頼んでカウンターに座った。えらくコーヒーにこだわりがあるようで、コーヒーが出て来るまでに5分ほどの時間が過ぎた。
確かにうまいコーヒーだ。人を待たせるだけはある。1口飲むごとにここのコーヒーを認めていった。
机の上をよく見ると灰皿が置いてあった。このご時世になかなか珍しい。黒崎はこの店を良い店だと認識した。今どきは何処に行ったって、喫煙者には厳しい。「喫煙者には人権がない」なんていうふうに喫煙者自身が嘆くぐらいには冷徹な時代だ。昔は平気な顔をして煙草を好きなだけ吸っていた政治家どもが国の構造を変えてしまった。歪な円形の陶器の灰皿を近寄せて、煙草を取り出そうとする。しかし出てきたのは空箱だった。思い切り握り潰す。
吸えるとわかって吸えないとなると苛立ちが増す。灰皿の上に丸めた空箱を捨てる。コーヒーカップを上から覆うように掴み、口元へ運ぶ。
「吸いますか」
背中からした声に黒崎は振り返った。後ろのボックス席に座っていた女が立ち上がり、煙草を差し出していた。見た目には若々しい、首元までのショートカットに切れ長の目をした女が左腕を伸ばしていた。驚いたのは煙草の銘柄が同じであったことだ。礼を言って、箱から1本取り出す。ライターを取ろうと振り返って向き直ると女は店を去るところだった。黒崎はその背中を見送ることしかできなかった。
2回目に店を訪れたのは2日前のことだった。
雨の降る中をコートを濡らしながら店へ駆けこんだ。
この前と同じ席へ座り、同じものを頼む。買ったばかりの煙草の箱を用意しておく。
コーヒーをゆっくりと時間をかけて飲む。
興味もない新聞を仰々しく広げながら、喫茶店のドアばかりを気にしていた。
結局、30分ほど粘った後に煙草も吸わないで店を出た。
そして今日、黒崎は同じように席を座った。
同じようにホットコーヒーを頼んでコートのポケットから煙草を取り出してくわえる。火をつけて、胸に煙を入れたところでドアが開いた。
足音は近づいてくる。マスターにホットコーヒーを注文したようだ。
黒崎の後ろのボックス席に鞄やコートなどを置く音が聞こえる。
座って、少し落ち着いたところで黒崎は振り返った。
「この前はどうも、吸ってください」
女は笑った。
「ちょうど切らしてたから助かったわ」
そして、こう続けた。
「私の向かいが殺風景で味気ないわ」
女は自分の前の空席を指さす。
黒崎は苦笑した。こんな言い回しをする奴がいるとは。
黒崎は腰を上げた。
コーヒーと午後 たくみ@もう食べられません @kintarou2501
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