北畠の猫

清瀬 六朗

第1話 北畠の猫(1)

 わたしが生まれたのは、大きな橋の橋板の下でした。

 その橋の上を人間たちがいつもひっきりなしに通っていました。その橋の板の揺れと、人間たちの足音、ときには車がきしりながら動いて行く耳障りな音、馬という大きな生き物のひづめの音を聞いて、幼いわたしは育ちました。

 どうしてここをこんなに人間がよく通るのか?

 それは、その橋を渡った先に大きな寺があり、人間たちはそこに行って帰ってくるのだと聞きました。

 そうすると、そこに通う人間たちのために店というものができる。店で食い物を売ると食い物のくずというものも出る。売り物にならなくなった魚をわたしたちにくれる商売人もいれば、食い物屑にたかるネズミも寄って来る。わたしたちはそのネズミを食べるということで人間に好かれ、人間たちもわたしたちをかわいがってくれることになりました。

 そんなわけで、わたしたちの仲間が生きるのに困ることはなかったのです。


 しかし、ある夏、ふだんとは様子の違う人間たちが集まって来ました。

 その様子を見て、店を開いていた者たちはどこかに行ってしまいました。新しく来た人間たちは、わたしたちと遊んでくれるどころか、わたしたちの姿を見ると、殺気立った目つきで追い払うのです。

 それからしばらく経つうちに、橋のどちらがわにも人がたくさん集まってきて、大きな声を立てるようになりました。それだけではなく、その人間たちは川をはさんで矢というものを射はじめたのです。川の向こうからも矢が飛んできます。その矢というものにあたると、人は血を流して倒れるのです。

 やがて大きな馬と人とが次々に川に下りて、なかば泳ぎ、なかば水底を蹴って、向い岸へと進んで行くようになりました。次から次へと、水へと飛び込みます。一匹の馬に人が何人もつき、進んで行きます。

 その人にも馬にも矢は降り注ぎ、人も馬も血を流し、大声を立てては倒れていきました。そのまま川の流れに流されていくものもあり、流れのなかに取り残されるものもありでした。川の流れが血の色と血のにおいに染まったほどです。

 それでも、人は、矢の飛んでくるほうへと懲りもせずに進んで行くのです。

 大きな声をひっきりなしに上げながら。

 そのあいだ、わたしたちは橋板の下に小さくなって震えていました。

 ネズミどもも同じ場所にこぞって逃げてきて、橋桁はしげたのあいだに身を潜めていました。しかし、わたしたちは、人間どもの足音、人間どもが上げる大きな叫び声、馬のいななき声に、何より矢が飛んでくるときに風を切る音が恐ろしくて、そのネズミどもを追う気力もありませんでした。

 それが「いくさ」というものらしいのです。

 矢の音がしなくなり、人間の大声が遠くに去って行き、わたしたちが橋の下で起き上がったころには、もうネズミどもは近くにいませんでした。


 いくさのあと、わたしたちの暮らしは変わり果ててしまいました。

 店を開いていた人間たちはなかなか戻って来ません。そうすると、その人間たちの食べ物の屑を食って生きていたネズミどももいなくなります。

 人間たちも変わりました。前はわたしたちが寄って行くと自分から招いてくれてかわいがってくれた人間たちが、少し近づいただけで

「なんだぬす猫! おまえにやる魚なんぞないんだよ! とっとと消えやがれ!」

と石を投げるようになってしまいました。

 そして寒い冬がやって来ました。

 何日もほとんど何も食べない日が続きました。わたしの親たちは、雪の降る朝

「待っていてね。おまえたちの食べものを持って来てあげるからね。けんかせずに、待っているんだよ」

と言って出て行ったきり、帰って来ませんでした。

 きょうだいたちもいなくなり、わたしは、一人、この世に残されたのです。

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