第106話 揺れ動くボルタリア④

「ウワッ!」


「陛下、どうされました?」


「陛下?」


「陛下! 陛下! 失礼致します」


 近衛騎士は、トイレの扉を開ける。


「陛下! 陛下! 誰かある! 陛下が! 陛下が!」


 近衛騎士の悲鳴に似た叫び声が、城に響く。ここは、マリビア辺境伯領の首都オルミッツにあるマリビア辺境伯リンジフの居城きょじょうだった。



 近衛騎士の悲鳴に似た絶叫ぜっきょうを聞き、別の近衛騎士が走り寄る。そして、トイレをのぞき込み呆然ぼうぜんとする。


 トイレの中は、血で真っ赤に染まっていたのだ。その血の海に横たわる、ボルタリア国王ヴェーラフツ3世。


 見ただけで分かるが、首筋や、胸を槍で刺され血まみれで倒れ、すでに事切れていた。享年17歳。



 トイレの下は、汚物おぶつが流れるように、川につながる水路になっている。そこから長槍で、複数回突かれたようだった。


 呆然としている近衛騎士とは、別の近衛騎士が、


「追え! 陛下を弑逆しいぎゃくした者は、水路にいる。水路の出口を固めよ!」


「はっ、はい」


 近衛騎士の数人が、駆け出して行く。しかし、陛下の従者の一人が、何を思ったか、トイレの穴に飛び込んだ。


 ジャバーン!


「お、おい、大丈夫か?」


 近衛騎士が声をかけるが、従者の返答は無かった。激しい水音だけがした。水路を凄い勢いで泳いでいるようだった。犯人を追って飛び込んだのだろう。


 凄い忠誠心だ。その近衛騎士は、そう思ったが、実は、その従者はオーソンさんの配下の者だったのだ。警戒していたはずなのに、自分の不手際で、せめて犯人を突き止めよう。必死だった。


 一方、近衛騎士達は、水路の出入り口を聞くために、マリビア辺境伯リンジフの部屋へと向かう。



 そして、犯人はあっさりと捕まった。すでに死んでいたが。犯人は、マリビア辺境伯リンジフと、その護衛騎士だった。



 近衛騎士達は、リンジフの部屋へと飛び込む。すると、ほぼ同時に床から、ずぶ濡れの従者が現れる。


「捕らえてください! 犯人は、マリビア辺境伯です!」


「なっ!」


 従者の言葉に驚き、近衛騎士はマリビア辺境伯を見るが、マリビア辺境伯リンジフは、短刀を抜き自らの首筋くびすじに当て力をこめる。血が飛び散り昏倒こんとうするマリビア辺境伯リンジフ。一緒にいた護衛の騎士も同じく、床に倒れる。


 こうして、ヴェーラフツ3世暗殺事件は、幕を降ろす。





 その夜、僕が寝ていると、オーソンさんが部屋に飛び込んで来て、僕は無理矢理に起こされる。


「グーテル様! グーテル様! グーテル様!」


「うわっ! びっくりした~。オーソンさん、どうしたの?」


「陛下が……、陛下が暗殺されました」


「陛下が……、暗殺……? どこの?」


「ボルタリア王国国王ヴェーラフツ3世です」


「えっ! 何で?」


「それは、分かりませんが……。ですが、犯人は、マリビア辺境伯リンジフ殿だそうです」


「えっ! リンジフさんが……。そう」


 ようやく、目が覚めて、頭がまわってきた。


「分かった。場所はマリビア辺境伯領のオルミッツだよね? とりあえず、僕も向かおう。アンディ! フルーラを起こして、出発する」


「はっ、はい!」


 その日、たまたま夜の担当だった、アンディに声をかけて、護衛騎士を集める。



 クッテンベルク宮殿が明るくなり、エリスちゃんが起きてくる。


「どうされたんですか?」


「陛下が、暗殺されたみたい。僕も、オルミッツに行って、指示を出さないといけないから、行くよ」


「かしこまりました。お気をつけて」


 嫌な予感は、していたのだ。だけど、本当に暗殺されるとは……。この先、ボルタリアはどうなるのだろうか?



 僕達は、石段を駆け下りる。石段の下には、馬番うまばんの人達が馬を用意していた。僕は、愛馬に乗ると、ヴェルダの街中を駆け抜け、外に出る。



 馬で走りつつ、各所に伝令を飛ばす。


「ガルプハルトに伝令。ヴェルダの防備をよろしくって」


「はっ!」


「パウロさんに伝令。少しの間、ボルタリアの統治任せるのでお願いって。あっ、後、陛下が亡くなったとだけ伝えといて」


「はっ!」



 僕達が、あわただしく出かけたので、ヴェルダ城は、騒がしくなっていた。何か緊急事態が起こった事は、伝わっただろう。


 そして、明日には正規の伝令が到着するだろう。ボルタリア王国国王ヴェーラフツ3世の崩御ほうぎょについての知らせが。まあ、暗殺されたということは、されるだろうな。死因は、病死という事で良いだろう。



 僕達は、ほぼ休みなく駆け抜け、2日程でオルミッツに到着する。


「グーテルハウゼン閣下、良く来てくださりました。少し休まれては?」


 休みなく駆けて来て、ボロボロの僕達は、オルミッツにて、真っ青な顔で目の下にくまの出来た、デーツマン2世さんに出迎えられる。


「それよりも、陛下は?」


「はい、それが……。王太后様が、共に部屋に居られますが、その……、閉じこもっておられて……」


「そう」


 さて、どうしよう? 少し休むか? それとも、現状について詳しく聞くか……。


 と、考えていると、従者がやって来て。


「グーテルハウゼン様、王太后様がお呼びです」


「そう、分かった」



 僕は、従者に連れられて廊下を歩く、アンディ、フルーラのみが付き従う。そして、部屋の前で止まる。


「こちらです」


「そう、ありがとう。フルーラ、アンディ、少し待っててね」


「はい!」



 僕は、扉を開け部屋に入る。部屋には、外からの光が入らないようになっており、蝋燭ろうそくともされているだけだった。おそらく、陛下の遺体がくさらないように、冷やされているのだろう。部屋の中は、寒く、そして、良い香りがただよっていた。おそらく、お祖父様の時のように、良い香りのする蝋燭を使っているのだろう。



 僕が、部屋に入ると、レイチェルさんが、声をかけてきた。


「陛下が、殺されてしまいました……」


「申し訳ありません。私がちゃんと止めていれば」


「そうですよ。グーテルハウゼン卿なら、止められたのです。こんな事が起こる前に」


「はい、本当に申し訳ありません」


「ごめんなさい。あなたのせいではないのは分かっているのですが……。うっ、うう、ううう〜」


 レイチェルさんは、肩を震わせ泣き始めた。


 アンディとかなら、レイチェルさんの肩を抱いて、そっとポケットチーフを取り出す。なんて事をするのかもしれないが、僕には無理。ただ、片膝をつき頭を下げて、時間が過ぎるのを待つ。



「グーテルハウゼン卿」


「はい」


 僕は、頭を上げて、レイチェルさんの方を見る。


「陛下の顔を、見てあげてください。まるで、寝ているようなのですよ」


 そう言って、陛下の顔を撫でるレイチェルさん。陛下と呼ぶが、我が子なのだ。その気持ちは、いかばかりだろうか?


「はい」


 僕は、立ち上がると、陛下の遺体の脇に立つ。すでに、エンバーミング処理は、行われているようだった。遺体の頭のところに複数の壺がある。


 陛下の遺体は、綺麗に処理をされ、顔色こそ真っ白だが、本当に寝ているようだった。



 僕は十字をきり、手を合わせると、神に祈る。



「私達は、陛下と共にヴァルダへと帰ります。事後処理は、お願いしますね。その為に、わざわざヴェルダから駆けつけてくれたのでしょ?」


「はい」


「では、よろしくお願いいたします。あっ、それで、絶対に陛下の葬儀までには戻って来てくださいね」


「かしこまりました」



 僕は、そう言うと部屋を出る。さて、事後処理をするか。だけどその前に、お風呂入って、食事して、少し休ませてもらおう。





 翌朝、レイチェルさん、デーツマン2世さん、そして、フェルマンさん率いるボルタリア王国第一師団は、王都ヴェルダに向けて旅立った。暗く哀しみにあふれた葬列そうれつだった。



 僕は、レイチェルさん達を見送ると、早速、事後処理に入る。まずは、ボルタリア王国の領内諸侯を集めて、ワーテルランド王国遠征軍の解散を宣言する。


 それを聞くと、領内諸侯の皆さんは、大人しく、自分の軍勢を自領へと送り返す準備に入った。


 普通だと、国王暗殺が知れ渡っているし、かなりの動揺があるはずなのだが、特にそんな感じはない。粛々しゅくしゅくと、騎士団長に率いさせて、自軍を送り出していく。



 そして、領内諸侯自身は、自領に帰らず。


「あの〜、宰相閣下」


「はい?」


「我々は、このままヴェルダに向かった方が、良いのでしょうか? それとも、宰相閣下をこの街で待って、共にヴェルダに向かった方が良いのでしょうか?」


 なるほど、領内諸侯の皆さんは、陛下の葬儀に参加するために、残っているようだった。


「皆さんに、お任せ致します」


「そうですか」


 僕がそう言うと、領内諸侯の皆さんは、ヴェルダへと旅立つ者、残って僕の手伝いをかって出てくれる人など色々だった。



 そして、次は、ヤルスロフ2世さんを呼び戻す為に手紙を書いたり、チルドア候ヤンさんに手紙を書いたり、ウリンスク諸侯の方々に手紙を書いたり。


 一応、暗殺についても少し書き、陛下の葬儀に出席するように明記した。



 さて、後は、一番重要な事だった。マリビア辺境伯に関する処遇だった。



 僕は、マリビア辺境伯の重臣や、後継者となるはずだった者を呼び出した。


 リンジフさんの長男カレンさん、マリビア辺境伯の家宰かさい、そして、騎士団長。さらに、マリビア辺境伯領の筆頭領内諸侯の方だった。


 一様に、沈痛ちんつうな表情だった。



「さて、今回の一件ですが、マリビア辺境伯リンジフは、なぜ、ボルタリア王国国王ヴェーラフツ3世陛下を弑逆しいぎゃくするという暴挙ぼうきょをしたのかということなのですが」


 僕が、そう言うと、4人はお互い顔を見合わせつつ、カレンさんが、代表して応える。


「申し訳ありません。父が、何を考えてあのような事をしたのか。我々は、本当に知らないのです」


「そうなんですか?」


 これは、事実だろう。オーソンさんの手の者だった陛下の従者も、事件後調べたが、リンジフさんと実行犯の護衛騎士の1人以外、誰にも暗殺の事を知らないようだという報告だった。


「はい。最近父は、精神を病んでいたのか、言動や行動もおかしく。その為に、あんな大それた事をしたのだと思います」


「う〜ん、なるほど」


 確かに、精神を病んでいたのだろう。何で、精神を病んだのかは、後で調べれば良い。とすると。


「分かりました。では、カレン殿には、マリビア辺境伯として、この地の統治をお願いいたします」


「はい、ありがとうございます」


 マリビア辺境伯カレンさんが、勢い良く返事をする。


「ただし、二度目はありませんよ。次は、理由はどうあれ攻め滅ぼします」


「き、肝に命じておきます」


「他の方々も、ボルタリア王国からの処分はありません。ですが、リンジフの葬儀をすることは禁じます」


「はい、かしこまりました」


 暗殺犯のリンジフさんの遺体は、僕がオルミッツを旅立つまで、広場にさらされた後、ひそかに埋葬されたようだった。葬儀は禁じたけど、埋葬は禁じてないもんね。



 とりあえず、戦いにならなくて良かった。カレンさん達も、事件発覚後、すぐさま、投降して、素直に話していたそうだったし。まあ、大軍がオルミッツに滞在していたのだ。何も出来なかったが正解だろうが。でも、反逆の意志はない。それで、充分だった。



 これで、事後処理は終わりだった。



「さて、帰ろうか」


「はい、かしこまりました」


「はいっす!」


 フルーラと、アンディが応える。



 僕達は、ヴェルダへと帰る。この後は、ヴェーラフツ3世陛下の葬儀、そして、後継者問題だった。どうなるんだろう?

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