第105話 揺れ動くボルタリア③

「はい、これ食べててください」


「うん? ちっちぇな〜」


「ミューツルさん、後でたっぷり出るからとりあえず、我慢してくださいよ。奥の方々が、わざわざ獲ってきたやつのお裾分すそわけなんですからね」


「おっ! これは良い肉だ! 柔らかいし肉質も良いですね、若い牝鹿めじかかな?」


 ガルプハルトが、元気良く声を発する。肉が出て来て、俄然がぜん元気になったようだった。



 僕達の目の前に小皿が置かれ、小さな一片の肉が、配られたのだった。


 僕は、それを口に入れる。ただ焼いて塩をかけただけのようだった。だから、余計に分かる。鹿肉の味、淡白に感じるが、赤味肉の濃厚な味わい。柔らかいが、しっかりとした噛みごたえ、そして、溢れ出す肉の旨味。癖もないし、本当に柔らかい。


「美味しい! 柔らかいし、鹿肉もさっぱりとしているけど、味はしっかりしているし……」


「本当に、美味しい鹿肉ですな、グーテル様」


 ガルプハルトが、途中、口を挟む。ん? 何だろ?


「はいはい、ガルプハルトさんは、黙っててね~。美味しい鹿肉で、私の腕は関係ないって事でしょ。はいはい、分かってますよ~。で、殿下、ありがとうございます」


「うん。焼き方も最高ですよ」


「ありがとうございます。ガルプハルトさんみたいな、生肉食べる野人やじんには、わからないですよね。この繊細な味わいは」


「はいはい」


「はいはいって、何ですか!」


「はい、二人ともじゃれ合わないの」


「じゃれてませんよ~」


 だそうだ。


「これから、仕上げるので、少しお待ちくださいね~」


 マスターは、そう言って奥の方に入っていった。



「ところでさ、殿下って呼ばれているけど、どっかの殿下なの?」


「はい? ええ、まあ」


 僕は、突然ペットルさんから声をかけられ戸惑となどう。ガルプハルトも、こちらを見つつ考えているが、ミューツルさんがいち早く応える。


「ハウルホーフェの殿下だったんだよ、かつてね」


「へ〜、昔か。あだ名だな」


「そうそう」


 ペットルさんが、どう考えたかは分からないが、意外と的確な答えにびっくり。ガルプハルトなんかは、


「貴様、何か悪いものを食ったか?」


「へっ?」


 真剣な顔でミューツルさんに、聞いていた。



 と、ここで、僕の視線がペットルさんの隣にいく。すると、なんかアンディとバーラさんが近づいて、何か語り合っているような雰囲気になっていた。気持ち悪い。


「アンディ、何やってんの!」


「いやっす、グーテル様、これは違うんす……」


「何が違うの? ペットルさんにも、失礼でしょ」


「ハハハハハ、殿下。ただ、店の女連れて来ただけだから気にすんなよ」


 と、ペットルさん。店の女?


「そうっすよ。馴染みの店の女性だったんで、語りあってただけっすよ」


「本当に?」


 僕は、アンディを見つめる。怪しいな~。アンディの視線が泳いでいる。すると、ミューツルさんが、


「おっ、ねえちゃん、どっかの店の女なの。今度行くよ。どこの店?」


「えっ。ええ。良いですけど。うちのお店高いですわよ」


「え〜、高いのかよ~。一晩いくら?」


「ひ、一晩! 失礼な、私は娼婦しょうふじゃありませんわよ」


「えっ、違うの〜?」


 今度は、ガルプハルトが呆れた顔をして、ミューツルさんを見ている。さらに、皆の冷たい視線が、ミューツルさんに集まる。まあ、本人は気にしていないようだ。


「ハハハハハ、残念ながら。うちの店は、ラウンジバーですぜ、ミューツルさん」


「ラウンジバー?」


 僕も、聞き慣れない言葉だった。バル、バール、バー、パブ等は、聞いた事はあるけど。


 どうやら、ペットルさんが作った言葉のようで、静かに飲める大人の社交場しゃこうばだけど、女性がカウンターに立つお店のようだ。


「ランド王国に、そういうカフェがあるって聞いて開いたら、結構当たってね~。で、ここヴェルダにもお店を出したんですよ~。殿下も是非」


「はい、分かりました。今度、うかがいますね」


 と言ったものの、どうするかな~?



「はい、お待たせ。さっきの鹿肉ね~」


「おっ、待ってました」


 マスターが、お皿を持って戻ってくる。そして、料理が目の前に置かれる。


「さっきのは、味見程度だったけど、今度は、ちゃんとあるよ~」


 僕は、目の前の料理に目を向ける。


「肩ロースと胸肉はステーキね。もも肉は、たたきにしてあるよ。そして、すね肉は煮込みね。どうぞ、召し上がれ」


 さて、どれから食べようかな。まずは、すね肉の煮込みを一口。おう、濃厚なデミグラスソースの味が、口の中に広がるが、それに負けぬ、やや野性的な鹿肉の味が重なる。肉はホロホロと崩れるが、牛肉よりはしっかりと残る。


「うん、美味しい」


「ありがとうございます」


 横を見ると、皆、夢中で食べていた。



 さて、次はと、2種類のステーキを味わう。一方は骨付きのリブステーキで、これが部位的には胸肉だろうか? そして、もう一つが赤身肉。こちらが背ロースだろう。


 背ロースは、さっぱりとしているようで、しっかりとした獣の味というんだろうか? もして、いかにもという味だった。


 対してリブの方は、脂の甘い味がして、さらに肉の旨味がジュワとする。どちらも美味しいが、僕はリブの方が好きかな。


 どちらのステーキも、バルサミコのソースがかかっていて、この甘酸っぱい感じも、鹿肉のステーキには合っていた。



 僕も、黙々もくもくと食べつつ、最後の部位を口に入れる。鹿のもも肉のたたきだった。


 たたきと言っても、半生なわけではなく。赤いものの、芯までじっくりと火を通してあるという、マスターならではの料理だった。味付けは、塩と故障とワインビネガーという。さっぱりとした味付けだった。


 赤のワインビネガーはとがったっぱさではなく、まろやかで、ほのかな酸味をかもし出している。そして、塩で味を整え、胡椒で味の引き締めをはかる。見事な味付けだった。


 同じ鹿肉とは思えない、鹿肉の味もさっぱりとして、けものくささがまるでない鹿肉の味が口に広がる。柔らかくやや弾力のある、もも肉がたまらない。



「う〜ん、美味しいね~」


「ありがとうございます」


「そう言えば、この鹿肉持って来て頂いた方に、お礼を言わないとね」


「そうですか? 分かりました。ちょっと聞いて来ます」


 マスターは、そう言うと、パーティーをやっている奥のテーブル席の方に歩いて行った。



 モグモグモグ。その間も僕達は、夢中で鹿肉を食べていた。うん、美味しい~。



「殿下、お待たせしました。お連れしました」


 僕は、後ろを振り返る。いつの間にか、オーソンさんと、アンディが僕の斜め後方に何気なにげなく立っている。そして、僕の視線の先には、3名の人物が立っていた。


 二人は、着飾った男女。そして、もう一方は、普段、着慣れないものを着たように、窮屈きゅうくつそうに綺麗な衣装を着ていた。


 ボルタリアの民衆の冠婚葬祭かんこんそうさいの服装といえば、男性は白いシャツ、鮮やかなベストにジャケット、膝丈ひざたけで細身のズボンに膝丈の靴下、そして、ブーツが基本。


 女性は白いブラウスにペチコート、そして鮮やかな色のベストそして、ブーツかストラップシューズが基本。 さらに、飾りえりに胸元に垂らす刺繍ししゅうを施したリボン、エプロンにベール。そして、スカーフ。等という感じだった。



「鹿肉とても美味しかったです。我々までお裾分け頂きありがとうございました。ああ、そうだ。その前に、ご結婚おめでとうございます」


 僕が、お礼を言うと。


「わざわざ、丁寧にありがとうございます。我々も、集まる日は決まっていたのに、なかなか持ち込みで料理をしてくれる所が無くて、つい先日決まったばかりなので、こちらがお邪魔させて頂く方だったので、皆様にもと。皆様に美味しいと言って食べて頂いて良かったです」


 おそらく、新郎であろう方が、新婦と見つめあって話す。さらに、


「この鹿肉は、こいつが獲ってきてくれたんですよ」


 そう言って、一人の男性を紹介する。


「猟師のライネです」


「そうですか、鹿肉、美味しかったです」


「そうですか、良かった」


 猟師っぽくない、若い男性だった。すると、マスターは、


「ライネさんね。ヴェルダ近郊で猟師やっているそうなんで、定期的に獲物をおろしてくれるそうなんですよ。これで、ジビエメニューも定期的に出来ますよ」


 すると、ガルプハルトが喜ぶ。


「へー、それは良いですな~。楽しみですよ」


 なんて事を話す。他の方々も、口々に鹿肉を褒める。



 という感じだったのだが、ここで、ペットルさんが、余計なことを言い始める。


「何で、結婚なんかしたんだ?」


「馬鹿、本人達前に余計なこと言うなよ、ハゲ」


「うるせえな〜」


 また、ミューツルさんと、ペットルさんがごちゃごちゃとやるが、新郎新婦は、そんな事は気にせずに、


「俺と、こいつは、幼馴染おさななじみなんですよ。家も隣で遊ぶのも一緒で、自然にな」


「ええ」


 幸せな雰囲気が、二人からただよう。良いですね~。ペットルさんは、その雰囲気で、茶化ちゃかす気が失せたようだった。



 3人が戻ると、また、くだらない話で盛り上がっている。


「結婚なんかよ〜」


「そうだよな~」


 ミューツルさんと、ペットルさんが意気投合したようだ。仲良いんだか、悪いんだか。



「また、お店来てくださいよ~」


「ああ、行くよ。翌日休みの時にね」


「まあ。ふふふっ」


 うん、バーラさんとアンディも……。うん、聞かなかった事にしよう。



 そして、ガルプハルトと、マスターも何か話している。



「陛下、元気で留守が良い」


「グーテルさん、何ですか、それ?」


「うん? 何だろね?」


「はあ? まあ、居ても居なくても一緒ですからね」


「いやっ、パウロさん。さすがにそれは……」


「まあ、一応、王は王ですか。しかし……」


 パウロさんは、奥のテーブル席を見る。そこには、楽しそうにパーティーを楽しむ若い男女の姿。


「強く豊かな戦いの無いボルタリアを作ったのは、グーテルさんなんだと思うんですけどね」


「いやっ、僕じゃないよ。ヤルスロフさんや、デーツマンさん、それにその他のみんなの力だよ。僕は、グータラだから」


「そうですか? まあ、そういう事にしておきましょう。しかし、陛下居なくなっても変わらないもんですね~」


「いやっ、居なくなった訳じゃないよ」



 そう言いながら、僕は、ちょっと不安を覚える。陛下は、大丈夫だろうか? 

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