第35話 新天地へ⑦

「まあ、そんな事は、どうでも良いですから、熱いうちに食べてくださいね」


 そう言いながら、マスターは僕達の目の前に、皿を置いていく。


「牛肉のシュニッツェルです。本当は、仔牛こうしでやりたかったのですが、まあ、その値段の関係で……。だけど、しっかり叩いていますので、柔らかいと思いますよ」


 ガルブハルトが、ウォーハンマーで、仔牛を叩いて引き伸ばす姿を想像し、慌てて頭の中から追い出す。



 そう、シュニッツェルは、肉を叩いて、伸ばしてその肉を、使う料理だ。マスターの説明が続く。


「叩いた牛肉に、塩胡椒を振り、たっぷりのパン粉をつけ、ちょっと多めのラードで焼いたものです。本来のヴィナールでは、たっぷりのレモンをかけて食べるのですが、今回はグレイビーソースをかけてみました」


「グレイビーソース?」


 僕が聞くと、マスターは、


「まあ、グレイビーソースは、わたしがアレンジしたオリジナルソースなのですが……」


 マスター曰く、本来のグレイビーソースは、ランド王国の北にある島の料理だそうで、肉を焼いたときに出る肉汁にくじゅうに、ワインやいためた小麦粉を加え、ゆっくりとかき混ぜつつデグラッセする。さらに、野菜スープを極少量加えたりして作るソースだそうだが。


 今回は、少量の牛肉とタマネギ、スパイス類を茶色くなるまで炒めて小麦粉とワインと少量の野菜スープを加えて、煮込んだソースだそうだ。



「どうぞ、お召し上がりください」



 僕達は、ナイフでシュニッツェルを切る。すると、中から少量の湯気ゆげが立ち昇り、良い香りがただよう。


 さらに、口に入れると、焼いたパン粉のサクッとした食感の後に、微かな肉の弾力。そして、噛んでいくと、サクサクとした食感と、柔らかい肉の食感から、牛肉の旨味があふれてきた。さらに、サラッとしているようで、しっかりとしたソースの味が、良いバランスになって、口の中を支配する。


 そうか、確かに仔牛だったら、さっぱりとした、肉の味になるからレモンだが。ちょっと濃厚な牛肉だと、このソースに合うな。



 僕は、シュニッツェルの無くなった口の中に、ピルスナーを流し込む。さわやかな苦味で、口にわずかに残った油を流し、口の中がリセットされる。


「本当に美味しいね~。うん」


「ありがとうございます」



 横を見ると、皆が夢中で食べている。そして、サクッと切る音と、食べる音だけが店内に響く。



「いや〜、美味かったね〜。後は、シメで、なんか食べたいね~」


 あっと言う間にシュニッツェルを食べ終えた、ミューツルさんが、そんな事を、言い始めた。


「シメですか? あっそうだ。スープは、いかがですか?」


「スープかよ」


「ミューツルさん、ただのスープじゃないんですよ」


「へ〜」


 ミューツルさんは、興味なさそうに返事をしたが、マスターは、皆を見回して、


「さすがボルタリア王国は大国ですよ、いろんなスパイスが手に入りまして、普段の野菜スープに、クミンと、ターメリック、レッドペパー、そしてフェヌグリークを入れて、小麦粉で少しとろみをつけてみたんです。それにパンを浸して食べてみてください。美味しいですよ〜」


 マスターが言った、スパイスは良くわからないものだったが、マスターの言葉とただよってくる香りに、僕は、


「マスター、それください」


 すると、エリスちゃんも、


「わたしも、ください」


 と、次々と注文していく、


「はいよ!」



 マスターがカップによそっていき、助手さんと、給仕さんが配る。すると、さらに香りが広がり、店内に充満する。


 すると、


「マスター、俺も、もらって良いかな?」


「はいよ」


 ミューツルさんが、ついに陥落かんらくした。



 僕は、パンをちぎり、スープに浸し、口の中に放り込む。なんとも言えないスパイスの複雑な味と、野菜の旨味が口の中に広がる。そして、最後に、小麦の香りが鼻に抜ける。そして、ちょっとの辛味からみ……。いや、結構辛い。僕は、慌ててピルスナーを流し込む。


「殿下、辛かったですか?」


「うん。ちょっと。エリスちゃんは、大丈夫?」


「はい、わたしは、もっと辛くても大丈夫です」


「そう」


「エリスちゃん、だったらレッドペパー加えれば、もう少し辛く出来るけど」


「じゃあ、おねがいします」


「はいよ」


 マスターは、エリスちゃんからカップを受け取ると、レッドペパーを加える。そして、


「うん、このくらいが美味しい」


 エリスちゃんは、そう言うと、勢い良く食べていく。


 僕も、汗をかきつつ食べる。すると、だんだん辛味がくせになってくる。さらに、ピルスナーにとても合う。


 いや、美味しかった。今日も、ごちそうさまでした。





 翌日、僕は、ボルーツ伯ヤルスロフさんを、部屋へと呼び出したのだった。


 僕の仕事場は、当初、執政官しっせいかんが集まっている部屋の上座だったのだが、僕が外で惰眠を貪っているうちに、元々、ボルタリア王の公務室だった部屋になってしまった。


 まあこれは、嫌がらせとかではなく、僕が、外務局、内務局、財務局、法務局、軍務局だのと分けた為に、仕事しやすいように、それぞれの局の大臣、執政官、政務官が同じ部屋で仕事するために、僕の部屋が無くなったようだった。



 コンコン。


「失礼致します。ヒッ!」


 部屋に入ろうとしたヤルスロフさんが、小さく悲鳴を上げる。どうやら、部屋の片隅で剣をいでいたフルーラが目に入ったようだ。



 フルーラは、片手で長く重い長剣を目の前にかかげ、恍惚こうこつとした表情を浮かべている。さらに、剣に反射した光が、青白く輝き、そのキツめに見える顔を照らしていた。


 うん。これは、結構怖いぞ。それに、なんで人が来ると言ってあったのに、剣なんか砥いでんだ?


 僕は、アンディの方を見る。すると、アンディは、さあ? という感じで首をすくめる。



「ヤルスロフ卿。大丈夫ですよ。近づかなければ、襲われませんから」


「は、はい」


 そう返事をしつつ、フルーラがいるのと反対側を通って、ヤルスロフさんがこちらに近づいてくる。


 フルーラは、こちらを見て、首をかしげ、目をしばたかせている。「わたしは、獣か何かですか?」と言ってるようだ。



「あのグーテル様、お呼びだそうで、わたくし、何かしましたでしょうか?」


「良く来て下さいました、ヤルスロフ卿。聞きたいことがあるのですが、良いですか?」


「はい、それは何なりと」


 ヤルスロフさんは、少しホッとした表情で、応える。


「叔父様……、ヴィナール公との話し合いについて聞きたいのですが?」


左様さようですか。あの方は、ご存知の通り、強引かつ頭の良い方です」


「うん」


 良く言えば、強引かつ頭の良い方だな。悪く言えば、傲慢ごうまんかつずる賢い方かな〜。



「なので、当初は、こちらがとても納得出来ないような、事を言っていたのです。例えば、ボルタリア王国の王位をヴィナール公の弟君にゆずれとか、カール3世にお子が生まれる前は、我が子を養子にしろとか」


「そう」


 まあ、絶対に承諾出来ないよな、それじゃあ。叔父様の弟は、ヴィナール公国で宰相やってた頃かな?


「なので、わたくしも、断りました。すると、徐々にそのハードルを下げていったのです。そして、我が君、カール3世が体調を崩された時に、ヴィナール公から、我が身内を、摂政に迎えて欲しいという提案がありました。それだったら、条件さえ整えれば、応諾おうだくしても良いかと思い、わたくしは、我が君に伝えたのです」


 そう言うと、ヤルスロフさんは、ため息を吐き。


「ですが、わたくしが、伝えるタイミングが悪かったのでしょう。我が君は気分を害され、わたくしは遠ざけられた、というわけです」


「そうでしたか」


 だいたい、想像通りだったな。


「まあ、その後は、我が君はリチャード様に相談されて、リチャード様は皇帝陛下にご相談されて、グーテル様が摂政に、となったと聞きおよんでおります。グーテル様は、ヴィナール公の身内には違いありませんから、ヴィナール公も文句を言えなかったと。陛下は、本当に頭の良いお方です」


「そうですね。叔父様とは違う意味で、頭が良いですよ」


「はあ」


 これで分かった。ヤルスロフさんは悪くない。


「では、今後とも外交業務おねがいします。ただし、ヴィナール公から何かあれば、僕が前面に立ちます。その方が、叔父様も何か仕掛けにくいでしょう。お祖父様がいる限り」


「かしこまりました。このヤルスロフ、粉骨砕身ふんこつさいしん、ボルタリアの為に働きます」


 そう言って、挨拶すると、ヤルスロフさんは部屋から出て行った。



「さて」


 僕は天井を見上げ、考える。



 さっきも言ったように、僕がボルタリアにいて、お祖父様がいる限り、叔父様は表立って何か仕掛けてくることは、無いだろう。裏からはわからないけど、そこは、オーソンさんに任せよう。どうやら、叔父様は、あまりそういう方面は得意ではないようだし。


 得意そうなのは、トンダルだけど、今はフランベルク辺境伯領にいる。リチャードさんが呼んだようだ。


 そう言えば、ヴィナール公の息子だから、今回来なかったけど、チャンスがあれば会いたいな。



 となると、大丈夫そうだけど、叔父様には、もう一度、警告しといても良いかな。



 そこまで、考えた時だった。ニュッとフルーラの顔が、視界に入ってきた。


「わっ!」


「グーテル様、そろそろお腹すきましたね」


 驚いて顔を下げ、その後振り返ってフルーラを見た僕に、冷静にフルーラが話しかけてきた。僕は、思わず笑う。


「ハハハハハ。そうだね。そろそろお昼にしようか」


 僕達は、部屋を出てクッテンベルク宮殿にお昼を食べる為に、向かったのだった。





 数日後、ガルブハルトが訪ねてきた。第三師団を動かして行軍訓練及び、戦闘訓練を行いたいというものだった。


 第三師団は騎士1500名、兵士3000名という。一つの師団だけで、ハウルホーフェ公国の兵力の5倍もあった。


 だけどガルブハルトは、それだけの兵力をまとめ上げ、編制へんせいも終わり、今後は演習で強くしていくのだそうだ。


「ガルブハルト、テルチ要塞ようさいなんてどうかな?」


「テルチ要塞ですか? 確かに良い演習場所ですが、ヴィナール公国を刺激する事になりませんか?」


「だからだよ」


「はあ、かしこまりました」


 かなり不安そうなガルブハルトの返事だった。



 このテルチ要塞は、先のお祖父様とカール2世が戦った時に、カール2世が作った要塞で、お祖父様がヴィナール公国側から軍を進めるのを、防ぐ目的で作られた。


 そして、カール2世の死後、破棄され廃墟はいきょとなっているが、ちょっと直せば、城攻めの演習とか、臨時の駐屯地ちゅうとんちとしても使えるだろう。


 場所は、ヴィナール公国との国境近くで、ヴィナール公国の大都市ランスウも近い。





 叔父様に良い警告になると思ったのだが、僕は、この失策を長い間後悔することになる。ヴィナール公国内の、良き理解者を失い、叔父様との無駄な軋轢あつれきを生んだのだった。

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