第34話 新天地へ⑥

「ど、どうか、い、命だけは」


「さ、最後、家族に一目だけ」


 目の前には、せて青白い顔をした、ヤルスロフさんと、デーツマンさんが、慈悲じひを求めてくる。


 う〜ん? どう言えば良いかな? 忘れてましたと、正直には言えないし、え〜と。



「では、ヤルスロフ卿は、外務大臣として、デーツマン卿は、内務大臣として、その力を発揮して下さい」


「えっ!」


 勢いで、押し切ろうと思ったが、駄目か。さて、次は………、


「我々の罪を、許して頂けるので?」


 ヤルスロフさんが聞いてくる。罪? 罪って何?


「ええ、もちろん。許すも何も……」


 そこまで言った時だった。


「あっ、ありがとうございます」


「ありがとうございます」


 そう言いながら、二人が僕にすがりついて泣く。え〜と、


「わかりましたから、離れてください」


「はい!」


 二人は、声をそろえ返事すると、今度はそろって土下座し、


「この御恩は、一生忘れません」


 いえ、忘れてください。





 ボルーツ伯ヤルスロフさんと、ロウジック伯デーツマンさんを解放すると、仕事は落ち着き、通常業務に戻った。その日、僕は一日、芝生の上で、惰眠だみんを貪った。まあ、時たま起こされたけど。もう、皆さん、僕の居場所を把握しているようだ。





 そして、公務の時間が終わると、


「じゃあ、アンディ行こうか」


「そうっすね」


 同じように近くで寝転んでいたアンディと共に、起き上がり一路、自宅であるクッテンベルク宮殿ではなく、マージャストナへと降りる石段へと向かったのだった。僕が忙しい間に、マスターの店は、開店したって話だったしな。





呑処のみどころカッツェシュテルンへ、ようこそ。お二人様ですね」


 目の前には、給仕服きゅうじふくを着たエリスちゃんがいた。


 僕は、方向転換すると、石段へと戻ろうとするが、


「グーテルさん、待ってくださいよ〜」


 そう言いつつ、エリスちゃんは僕の手をつかみ、予想以上に強い力で、僕を引っ張りカッツェシュテルンへと、連行した。そして、


「呑処カッツェシュテルンにようこそ。エリサリスと言います、エリスって呼んでね。うふっ」


 エリスちゃんは、そう言いながらカウンターの僕の隣に座る。え〜と、ここはそういう店だったかな?


 僕は、エリスちゃんが持っていた、金属製のトレーを奪うと、エリスちゃんの頭を軽く叩く。


 ボーン!


 予想以上に大きな音が、店内に響く。


「痛〜い。お母様にもぶたれたことないのに。もう〜。ぷんっ」


 はいはい。



「殿下いらっしゃい。あっ、殿下じゃないか。え〜と」


「殿下で、良いですよ」


「そうですか?」


 忙しそうに働いていたマスターが、音に気づいたのか、顔を上げ、こちらを見ていた。



 カッツェシュテルンの中は、エリスちゃんと同じ給仕服を着た、すらっとした女性が一人と、皿洗いや、マスターの手伝いをしている、若い男性が一人いた。



 オープンしてそれほど経っていないのにもかかわらず、ハウルホーフェ公国時代より大きくなった店内で、カウンターは、少し空いているが、奥のテーブルは満杯だった。



 その奥のテーブルに、僕は、ボルタリアの女性に囲まれたアンディを見つけた、いつの間に移動したんだ?


 それに、アンディは、ボルタリア語を喋れるのだろうか?


 ボルタリアでも、貴族が話すのは、マインハウス語だ。しかし、領民はスラヴェリア系のボルタリア語を話す。アンディは、ボルタリア語を話せるのだろうか?


 ちなみに、エリスちゃんは、お母様がボルタリア出身なので、喋れる。マスターは、いろんな国の言葉を話している。僕は、現在勉強中だ。で、アンディは、どうなのだろう?



 マスターが、手を拭きながらこちらへと、歩いてきて、


「すみません殿下。エリスちゃん、どうしても殿下が来るまでその格好でいたいって事だったのですが……」


 僕は、エリスちゃんの方を見る。自分の妻に、コスプレさせる、僕にそんな趣味はない。まあ、でも……。悪くないな。


 エリスちゃんは、両頬を、食べ物を詰め込んだリスのように、ふくらませていた。僕は、その両頬を指で、押す。


「ププフフウー」


 エリスちゃんの両頬が減っこむが、また、すぐに膨らませて、僕が指で押す。


「ププフフウー」


「あの殿下、バカップルごっこは、ご自宅でやって頂いて良いですか?」


 マスターの迷惑そうな声が響く。


「はい、申し訳ありません」



「それで、何を飲まれます?」


 マスターが、気を取り直して注文を聞いてきた。


「エリスちゃん、何にする?」


「わたしは、ラドラーって出来ます?」


「レモネードと、ビールのカクテルですね。ありますよ。うちの奥さんが作った、美味しいレモネードと合わせましょう」


「おねがいします」


「はいよ」


「名付けて、アイリーンラドラーか」


「殿下、なんですか?」


「ん? 何でもないよ」


「そうですか?」


 ちなみに、アイリーンというのは、マスターの奥さんの名前だ。



「僕は、ピルスナーちょうだい。キンキンに冷えたやつね!」


「殿下、その言い方やめてくださいよ〜。ある人を、思い出しちゃいますから」


 マスターが、そう言った時だった。店の扉が勢い良く開く。


「おお良い店じゃんよ~。さすがオーソンさん!」


「フォフォフォ、ありがとうございます」


 そう言いながら、ミューツルさんと、オーソンさんが入ってくる。


 そして、カウンターへと、近づくとエリスちゃんが声をかける。


「ミューツルさん、ここ空いてますよ」


「うん、ありがとね〜、エリスちゃん」


 そう言いながら、席に座る。そして、エリスちゃんを見て、前方を見て、びっくりした顔をして、急にエリスちゃんの方を見る。それは、綺麗な二度見だった。


「えっ~! なんでエリスちゃんいるの? あれっ! 殿下もいる! あっ、マスターだ! えっ、俺、ハウルホーフェに戻ってきちゃった?」


「ミューツルさん、落ち着いてください。ここは、ボルタリア王国のヴァルダですよ」


「えっ、殿下、ありがとね。でも、なんで殿下いんの?」


 すると、オーソンさんが、ミューツルさんの隣に座りつつ、


「ミューツルさんよ〜。殿下のお別れ会をやったではないか。ハウルホーフェのカッツェシュテルンで」


「そうだっけ? でも、マスターまで、なんでいるんよ?」


「奥さんの転勤について来たんじゃよ」


「へ〜。そうなんだ! そうだいね、マスターの奥さん、頭良いもんね〜」


 どうやら、ミューツルさんは、今ので納得したようだった。


 マスターが、そうじゃないんですよ、ミューツルさんという顔をしているが、とりあえず、無視。


「ミューツルさん、何、飲まれます?」


「そうだね~。ビールある? 今日、あち~から、冷たいやつね、キンキンに冷えたビールちょうだい!」


「はいよ!」



 ミューツルさんと、オーソンさんのピルスナーが運ばれてきて、再会を祝して乾杯をする。


 ちなみに、ガルブハルトはいない。今は、ここから60kmほど東にある銀鉱山の街、クッテンベルクにいる。



 僕は、クッテンベルク伯だが、宮中伯なので、僕の領土というわけではないが、そこに僕に指揮権のある、第三師団の駐屯地ちゅうとんちがあり、そこでガルブハルトは、師団長兼騎士団長として、いろいろやっているはずだ。



 僕は、綺麗な黄金色のピルスナーを眺める。キリッとした苦味と、爽やかだが、しっかりとした麦芽ばくがの旨味。まさしく、ピルスナー。僕は、ガブガブと、喉に流し込む。



 そして、僕は、ミューツルさんを見る。


「そう言えば、ミューツルさんは、なぜこのボルタリアに?」


「えっ、俺? 俺は、え〜と、何だっけ?」


 ガタッ!


 聞き耳をたてていた全員が、その場に崩れ落ちる。自分の事を、忘れるなよ。



「あっ、そうだ! ここって、ボルタリア王国のヴァルダって、殿下言ってたよな。それで、再開発計画があって、大工が足りないって言うからよ~。来てやったわけよ」


「そうなんですか~」


 僕が、そう言うと、


「それで、わしが、仕事で行っていた。ヴィナール公国の山の中で会っての〜。ここまで連れて来たんじゃよ」


 そう言えば、オーソンさんにお父様とお母様に伝言を頼んでいたな~。手紙だと、途中で奪われ、読まれる可能性もあったから。


「えっ、ヴィナールの山の中にいたんですか? なぜです?」


 エリスちゃんが、オーソンさんに聞く。


 すると、オーソンさんは、少し悪い顔をして、


「それは、迷子になってたんじゃよ」


「わわわ、それは言わない約束でしょ、オーソンさん〜」


「このような面白い話、良い酒のさかなじゃろうて」


「え〜。やめてよ〜」


 と、ミューツルさんは言うが、


「ミューツルさんが、フルーゼンの街を、出たのは、わしらと同じ頃じゃそうだ」


「えっ!」


 僕たちは、驚きの声を上げる。僕達が出発したのは、1ヶ月くらい前だ。真っ直ぐ来れば、大人の足なら一週間くらいで到着出来るだろう。


「そしてな、ボルタリアに向かっているつもりが、バーゼン辺境伯領のバーゼンバーデンに到着し、温泉に入ったそうだ」


「温泉ですか~、良いですね〜」


「まあ、気持ち良かったけどよ~」


「そこでようやく、間違っている事に気づき、人に聞いて東に向かったのだそうですよ」


「それで?」


「ミューゼン公国ミューゼンまでは、無事に着いたそうですが、そこで飲んだくれて、しばらく滞在し、また、方向を間違え、そして、ヴィナール公国の山ん中で迷い、彷徨さまよえるしかばねになる寸前に、わたしと出会ったというわけです」


「いや〜、あの時は、本当に助かったよ、オーソンさん」


「いえいえ」


 そうか、オーソンさんは、ヴィナール公国への入出国を誤魔化ごまかす為に、山越えしたのだろう。で、そこでミューツルさんと出会ったと。


 だけど、ミューツルさん、本当に偶然そこにいたのかな?



「ミューツルさんって、本当に偶然そこにいたんですかね? ひょっとして、どこかの間者で、僕達の事を、探っているとか?」


「なるほど、その可能性はありますね〜」


 そう言いながら、オーソンさんの目は笑っていた。


「間者? 間者って何よ? えっ、違う違う違う! 俺は、ただの大工でーく! 殿下、俺、違うからね、信じてよ〜」


 ミューツルさんの大きな声が響くと、店内に笑い声が充満じゅうまんする。


 これこれこれ。う〜ん、日常が戻って来たな。

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