第36話 閑話 ヴィナール公国の動乱

「なんで我々ばかり」


「そうだ、我慢がならん!」


「すまない。だが、耐えてくれ、ヴィナールの為に」


「しかし、ヒューネンベルク様」


「わかってくれ」


 ヴィナール公国ランスウの北、ヴィナール公国とボルタリア王国の国境近くに、布陣したヴィナール諸侯の不満は、爆発寸前だった。



 ヴィナール諸侯の筆頭で、この軍を率いる、ヒューネンベルク侯爵は、大きなため息を吐いた。


「は〜。アンホレスト様も、わかってやってるのだろうか? そして、グーテル殿下は、今回は強気だな。大国ボルタリアの力を得て増長されたのか……。違うな、あの方は、そういう方ではない。ならば、単純に、警告だろうか? だが、時期が悪い」





「ボルタリア軍が演習とは思うのですが、国境近く、テルチ要塞に布陣致しました。その数、およそ5千」


 ヴィナール公アンホレストは、その知らせを聞くと直ちに命じた。


「ヒューネンベルクに伝令だ、諸侯第2軍団を率い、至急ボルタリア国境に向かえとな」


「はっ!」


「お待ち下さい」


 伝令が、報告終わり立ち上がろうとする寸前、声がかかる。


「何かな、宰相さいしょう殿?」


 そこにいたのは、ヴィナールの領邦宰相であり、ハウルホーフェ公で、グーテルの父親である、フレーゲルハウゼンであった。


「いえ、ボルタリア軍の演習だったら、放っておいても良いのかなと」


「まあ、念の為です、念の為。下がって良いぞ」


「はっ!」


 伝令が部屋から出ていくと、アンホレストは、ややくだけた口調で話す。


「あれだな、グーテルの仕業でしょうな、これは」


「ええ、たまに、こういう事をする。頭が良いのか? それとも……」


「もう子供って年齢ではないですからね、わかってやってるでしょう。我々……、いや、俺に対する警告でしょう」


「それは、申し訳ない」


「気にしないでください、義兄にいさん。親の責任ではない、もう、子供ではないのです、子供では」


「そうですね」


 そう言うと、フレーゲルは、アンホレストに挨拶し、部屋から出て行った。



 誰も居なくなった部屋で、アンホレストはつぶやく。


「俺に対する警告、受け取ったぞグーテル。こういうところは、姉さんの気質きしつを受け継いだのか? まあ、良い」


 そう言うと、立ち上がり伝令を呼ぶ。


「だがな、グーテル。俺をなめるな。ちょっと、いたずらが過ぎるぞ」


 アンホレストが、そう言った時だった。伝令が入ってくる。



「ヒューネンベルクに追加の伝令だ。あの辺りは、国境が曖昧あいまいだ。気をつけて行けとな。ああそうだ、偵察ていさつしてて、偶然国境を越えても仕方ないとも伝えよ。偵察は、入念にな」


「はっ!」


 アンホレストの思惑は、向こうがそうくるなら、こちらもちょっと揺さぶってやれということだった。偵察部隊が、偵察に夢中になり、国境を越える。それを見た敵軍の軍長の、暴発を誘発ゆうはつする。


「さて、どう動く?」





 ボルタリア軍第三師団の師団長である、ガルブハルトのもとには、次々と偵察に出していた部隊から報告が入る。偵察も演習というわけで、出したのだが、予想外に多い報告が入ってきたのだった。



「ヴィナール公国軍、およそ3千。国境に布陣しました。あの、どうすれば良いでしょうか?」


「どうもしない。これは演習だ。ちょうど良い演習相手だろ」


「は、はい!」



 さらに、



「ヴィナール公国軍の偵察部隊ですが、国境を越え、こちらに向かっております。どうすればよろしいでしょうか?」


「こっちは演習中。様子見ておいて、攻撃してくるようだったら考えるよ。あっ、一応、グーテル様の所に伝令送ってくれ」


「は、はい!」



 やれやれ、どうやらあちらさんも、こちらをあおってきたな。まあ、良い。こちらは、演習に集中すれば良いのだ。ガルブハルトは、そう考え、ヴィナール公国軍を完全無視することを、決め込んだのだった。


 ボルタリア軍第三師団も、演習に集中し、ヴィナール公国軍の事を気にしなかった。それだけ、ガルブハルトに信頼を寄せ始めていたのだろう。



 対して、ヴィナール側は、いつ戦いに発展するか分からない緊張感と、その事態によって生まれるストレスが貯まり、不満となって爆発しようとしていた。


 それには、わけがあったのだった。



 このヴィナール公国諸侯第2軍団は、アンホレストをはじめ、ヒールドルクス家の支配を快く思わない諸侯で、構成されていた。


 数は、11名の諸侯が率いる、騎士1000名、兵士2000名。元々は、もっと多くの諸侯がいて、騎士や、兵士がいたのだ。だが、戦死や、後継者不在を理由に取り潰されたり、ちょっとした罪で処刑されたり、で数を減らしたのだった。



 元々、ヴィナール公国は諸侯の力が強く、兵力の2/3は諸侯であったのだが、今は、ほぼ半々。アンホレストは、さらなる力の増強を望んでいた。それ故の嫌がらせとも言える、諸侯第2軍団への出陣の強要きょうようだった。もちろん、こばめば断罪だんざいされるのだ。



 諸侯第2軍団は、戦いがあると必ず出兵させられていた。ザーレンベルクス大司教との領土紛争、ダルーマ王国の貴族の反乱への介入かいにゅう、さらに、民主同盟とのモルガンレー峠の戦いにも兵を出し、多数の戦死者をだしていた。


 そして、ダルーマ王国での戦いは、つい先年の事だったのだ。ようやく撤兵てっぺいしたら、今度は、ボルタリア。休む暇も無かった。



 その不満が、積もり積もって爆発する事になる。


「もう我慢出来ない。ヴィナール公国を俺達の手に取り戻すんだ!」


「だけど、勝算はあるのか?」


「そうだ、そうだ」


「そうだな……」


「あるぞ」


「何?」


「ヴィナール公に反感を持つ、ボルタリア軍が味方になるかもしれないし、後は、ザーレンベルクス大司教に、ダールマ王国の貴族達だ。それぞれに、使者を送り味方になってもらう」


「なるほど、それは良い」


「だが、使者を送って援軍が来るまで、時間がかかるぞ」


「そう言われれば、そうだな。う〜ん?」


「時間を稼げれば良いのだろ。ヒューネンベルク様の軍勢も取り込んで、ランスウの街に立てこももれば良い」


「そうか!」


「だとすると、ヒューネンベルク様を人質に……」


「ああ」



 この軍を率いるヒューネンベルクであったが、実際には自分の軍勢を率いる事は許されず、護衛のみを連れて参陣さんじんしていた。


 諸侯第1軍団、騎士500 、兵士1000を率い、ヴィナール公国の大都市ランスウ周辺を治めているのが、ヒューネンベルク侯爵であったのだ。



 それで、反乱軍の策は、ヒューネンベルク侯爵を捕らえ、それを人質に諸侯第2軍団の兵力3000、そして、ヒューネンベルク侯爵の軍勢、1500合わせて4500の兵力でランスウの街に立て籠もり時間を稼ぎ、ダールマ王国の貴族達、ボルタリア軍、そして、ザーレンベルクス大司教軍の軍事介入を待つという策だった。



 対するヴィナール公国の軍勢は、アンホレスト公直轄こうちょっかつ軍が9000、そして、諸侯第3軍団が4500。合わせて13500。その軍勢が一気に、メルクルの街に押し寄せれば、反乱軍は一溜ひとたまりもなく敗れるだろう。


 しかし、ダールマ王国との国境、ザーレンベルクス大司教領との国境に、防衛の為に兵力を送り込んであり、全軍で反乱軍に当るわけにはいかない。


 直轄軍の半数はヴィナール近郊に駐屯ちゅうとんし、すぐに動けるが、残りの半数は国境にいて、呼び戻せるか分からない。さらに、諸侯第3軍団の集結には、時間がかかる。


 それが、反乱軍となった諸侯達の読みでもあった。



「では、夜、皆が、寝静まった頃、ヒューネンベルク様の寝所しんじょを襲い、人質になって頂く。良いな?」


「おう」



 こうして、諸侯達の反乱計画は始まったのだが、ヒューネンベルク侯爵に好意を持つ諸侯の一人が、ひそかにヒューネンベルクの下に向かう。



「何用ですかな? クレイスドルフ男爵」


「大至急、お逃げください」


「? 何故なぜですかな? ボルタリア軍に動きはないとのことでしたが」


「我々は、あなたを人質に、ランスウの街を開城させ、あなたの軍と共に籠城ろうじょうすることにしました」


「なっ!」


 ヒューネンベルクは驚き、宿泊していた国境近くの村の宿屋の部屋から、外に出ようと扉へと、向かうが、


「お待ち下さい。もう無駄です。我々の決意は固い。今更いまさら、説得など、誰も聞きません。行ったら、拘束こうそくされるだけです」


「ぐっ、む〜」


 ヒューネンベルクは、立ち止まり、クレイスドルフの顔を見つつ、うなる。


「無駄ですか。ですが、わたしは、諦めませんよ。ここは、一旦いったん、あなたの忠告に従うとしましょう」


 そう言うと、護衛騎士を集め出立しゅったつの準備をさせる。そして、クレイスドルフの手を握り、


「無謀な戦いで、死んではいけませんよ。わたしが、なんとかしますから、焦らないでくださいね」


「はい」



 ヒューネンベルクは、護衛騎士と共に、ランスウへと、馬を飛ばした。そして、配下の護衛騎士隊長がヒューネンベルクに聞く。


「アンホレスト公への使者は、いかが致しましょう?」


「あの方は、猜疑心さいぎしんの強い方だ、我々の事を人を使い、監視しているはずです。だから、その必要は、ないでしょう。ただし、ランスウに戻り防備を固めてから、正規の使者を送りましょう」


「はっ、かしこまりました」


 こうして、日の明るいうちにヒューネンベルクは国境近くの村を出て、ランスウへと向かったのだった。





 夜、国境近くの村の宿屋に静かに近づく一団があった。だが、


「いないぞ!」


「なに!」


「探せ!」


 たいまつを灯し、走り回る大勢の人々。しかし、


「ヒューネンベルク様は、日のあるうちに、どこかへと出て行かれたそうだ」


「何だと?」


「情報が、れたか?」


「誰だ?」


「今は、犯人探しをしている場合ではないだろ。早く追わないと」


「そ、そうだな」


 諸侯第2軍団は、暗闇の中、ヒューネンベルクを追うために出発したのだった。

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